西加奈子ー『ふくわらい』
読みながら私の心には
「常識にとらわれず自分の判断軸で自由に生きることのすばらしさに
対して、常識によって動かされていることに気が付かされる。素直さの賛辞」みたいな話なのかも、という斜に構えた想いがむくむくと湧いてきていた。
「まく子」で感じたしこりが原因で、ちょっと手を伸ばすのをためらっていた
こともあり、あまり素直な気持ちで読み始めることが出来なかった。
でも、改めて西さんの言葉の重みにやられてしまった。
小細工無しの直球な思いが、熱いエネルギーが、
単語で、文脈で、立て続けに投げ込まれてくるからたまらない。
こういうシチュエーション、展開、人物像の発想の根源は何なんだ。
はっきりとした色を持って、生き生きと話す登場人物。
言葉の一つ一つが想定外で、文章のつながりが奇想天外。
でも違和感なく進んでいける。
それに、最初に感じた素直礼賛本ではなかった。すみません。
正直、この物語の主人公の定(さだ)のような生き方をすることはあまり現実的ではないし、西さんの本の突拍子も無さというが浮世離れした部分なのか
希望最近の私に合わなくなってきた気も少ししている。
常識に縛られない生き方こそ魅力的で正しい、とも思わない。
不器用な生き方を理解してくれる人は、多分、少ない。
世の中の常識を「なぜ」と疑う余裕なんて、正直いって無いことのほうが多い。
人からどう見えているのか。それを気にせず生きるなんて、無理に近い。
先入観や偏見無しに物事を見ることなんてできない。正直。
先入観、偏見、エゴ、自意識、あって当然だ。
見栄や自尊心でまみれている。そんな状態こそ「人間らしい」と思う。
でも、「ふくわらい」の中で生き生きと光る
人の芸術性の塊を取り出したような全登場人物が、私は素直に好きだし、うらやましい。
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