本谷有希子が中毒で
本谷有希子の作品を読んでいると
自分の平和であり新鮮であり楽しいと思っていた
日常の生活が、ふっと遠くに遠退いていく気がする。
私にとっての日常の、平和な正常さと
本の中で繰り広げられる世界のギャップはとてつもなくて
私の正常な世界は、異常な世界に圧迫されて
すごすごと引き下がっていく。
おかげで頭のなかは、本谷ワールドと化し
心地いい。入り込んで出たくない世界の出来上がり。
簡単に言えば、本谷有希子の世界は異常だと思う。
異常で混沌とした世界。
暴力とか嫉妬とかがむぎゅっと詰まって
内出血している。
そんな異常な世界は
生きている濃度の濃さがもう
粘度すらもっているように見える。
異常が平常な世界で暴れると
水と油、決して交わりあうことはない、
正常から異常は切り離され、分断され
見えないものとして、扱われる
理解されることはない。
でも、異常は平常に理解されたいと望んでいる。
こっち見ろ、見て、見てくださいと叫んでいる。
理解されることは愛だから。愛がほしいから。
正しくて清潔な世界は生きやすいし
ここだからこその楽しさは満喫したいと思う。
異常な世界に、いきたいとは、思わない。
でも、どこかで異常な世界の濃さと強さと脆さに
心引かれている。
でも、物見遊山は排他されるだろう。
だから
小説の世界のなかだけで
その異常な世界を嗜む。
安全なこっち側から
あっち側を覗き見る。
そして気づけば
傍観していたはずなのに、
本谷有希子は、愛が詰まったボールを
破裂寸前にまで膨張させて
こっち側に投げてくるわけで。
爆発する
と思って逃げようとするけど
その膨張した愛は泣いていてさ。
以上が感じたままの感想。
本谷有希子フィーバーは私のなかで根強く継続されていて
今も腑抜けども悲しみの愛をみせろを見ると
もう手にとってふわふわとレジに向かいそうになる。
でも、そうすればこの本は私の本だなに並ぶだけで
違う人の手元にいくチャンスを一生失うと思うと
はっとしてもとの棚に戻す。
誰か買ってくれてたらいい。爆発を受け止めればいい。
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