私はAC から 私は発達障害 へ
私はどこまで来れたかな
他責から自責へ
被害者から加害者へ
過度な罪責感で停滞している加害者 から 建設的な事柄で責任を果たそうとする普通の人間へ
自己憐憫から覚悟へ
「私はAC・共依存」から「私はASD」へ
「私はOCD」から「私はASD」へ
自分は何者なのか探す人間 から 出尽くした自分のかけらは自分と受け入れる人間へ
誰かを助けたい人間 から 無力を前提に共にいる人間へ
私の場合、自分がないという感覚も確認強迫もバーンアウトもDVも共依存も、私が発達障害傾向のある人間なんだということで説明可能だ、全て繋がっていた、と気づいた
カウンセリングを通したくさんの女性と話し、場面緘黙、起立性調節障害、IBS、PMS/PMDD、慢性疲労症候群、線維筋痛症、じんま疹、抜毛癖、過去についての反芻からの罪悪感とか加害恐怖、、、それらも発達障害と繋がっている気がした(私にはこれらの症状はないけど)。発達障害者は記憶や感覚が独特でトラウマ化、身体化しやすい。社交不安障害、全般性不安障害、強迫性障害、解離性障害、身体表現性障害、摂食障害、依存症、適応障害、PTSD、うつ病、双極性障害、BPD、統合失調症、、、等と複数の診断名が、複数の精神科を転々とした歴史の中でついていたりするけど、結局、ベースに発達障害がある ということで一元的に説明がつく。
この人はこんなにも大変そうな症状が続いてるから、誰もが傷を負うような相当むごい出来事が過去に何かあったのかな、何かあったはず、と思って丁寧に聴き取っていっても、ない時、発達障害をまず考える。皆にとっては小さくて忘れられることでも、その人にとっては心の傷(トラウマ)になったから症状になったんだろうと。原家族とのごたごた、親や友人の一言、無視されたこと等を長年ひきずり大きく大きく傷ついて何らかの症状になり死にたいほどになる人達がいる。いわゆる診断基準閾値下のPTSDが蔓延してるのが今の精神科臨床なんだと改めて思う。閾値下だからといって軽視せず、共感的にかかわることができればと思っている。
当事者の私達は、「そんな小さなことでなぜまだそんなに悩んでいるのか、なぜそんなにだいそれた症状になるのか、もう忘れなさい」等と言われることでもう一度傷つく。当事者の私達は、そういう自分のふがいなさを自分が一番分かっているから。思うようにならない自分の体と心と長年つきあってきたのは自分だけだから。
”私と全く同じ幼少期や全く同じ出来事を健全な(定型発達の)誰かが経験したとしても、その人は私のようにはならない。” 環境因や関係性の問題だけで今の症状になったわけじゃない。それに本当の意味で気づいたばかりの頃は残酷で衝撃的な事実だと感じた。でもそれは時間をかけて私の中になじんだ。腑に落ちて心静かになった。
人それぞれ、腑に落ちる時期は違う。友人も同僚も先輩医師も主治医も誰一人として私に、あなたはASDだよ、とは言わなかったから、自問自答して自分のタイミングで腑に落ちれた。皆の、私に対してのほどよい無関心さには皆の優しさも混じっていたのかも、と今さらながら思い、感謝した。
発達障害傾向のある女性達が、無理のないタイミングで無理のない範囲で自分を受け入れられるよう、伝え方を試行錯誤中。