第ゼロ印象/日記
つくづく、挨拶は難しいなあと思う。
もしかすると、人に好きだと伝えることよりも難しいんじゃないかと思う。
最近、挨拶をすることが増えた。というのも、家族や友人のつてで始めましての方によく会うことが多くなったからだ。出会いが多くなったことはとても嬉しい。
しかし、やはり自分は挨拶が下手だなあと思う。
今忙しくしているし、とか、なにも買わないのに喋りかけるのもな、とか、理由はさまざまだけど挨拶は難しい。
それこそ、始めましてのお店や人は気兼ねなく挨拶できるのだけど、知り合いの知り合いとなると「覚えてるかな」とか「気を使わないかな」とか余計な考えばかり浮かんでしまう。
自分がそれをされたら気を使うどころか嬉しくて話してしまうのに。
こういった細かいところで改めて「自分しか見えていないなあ」と思う。
しかし、マイナスな思いだけではない。今挨拶したらどんな反応をされるだろうかとか、相手の頭の中にお邪魔したくなることもしばしばある。
プラス思考を持ちつつも、やはり挨拶は下手である。
比較するべきではないが、「こんにちは!」や「ありがとうございました。」の方がよっぽど簡単だ。
なぜこんなにも弱気になってしまうのか。
きっと肩書きで見られてしまうことにどこか恐怖心があるのだろう。
こういった経験はないだろうか。
初対面だと話しかけられるけど、顔見知りだとどこか気まずい…!
ぼくでこそこんな経験ばかりだけれど、これも一つの肩書きで見られてしまうことへの反抗心の一種なのではないだろうか。
「ああ、あの時の」、「〇〇さんの友人の」と、不覚にも持たれてしまった第一印象。これは第一印象ではなく、第0印象ではないだろうか。
肩書きがあるから、少しでもあの時の記憶があるから、どうしても難しい。
どうすればいいかって、そりゃあもう肩書とか第0印象とかを無視して生きていくしかない。数打てば乗り越えられる、である。
挨拶に限らなくとも、第0印象への反抗心は発動してしまう。
最近大きな弊害を感じるのは、自分の挑戦したいことだ。
挑戦したいのに、第0印象を持った人に「こんなことするんだ」と思われてしまうのではないのかという気持ちになってしまう。
いつもはマイナスな思考なんてなげ飛ばしているはずなのに、第0印象にはどうも弱気で立ち向かってしまうのだ。悔しいなあと、我ながら思う。
第0印象。我ながらいい造語ではないだろうか。
と、こんなところには自信を持てるが、自分でいることに自信がない。特に第0印象に関しては超弱気で、魚に生まれ変わるとしたら鰯だろう。鰯にすらも怒られてしまうだろうか。
鰯と手を繋いで自らを名乗れるぐらいには、自信を持ってみたいところだ。
今日はマイナスな感情だらけな文章だが、全くもって元気である。
今日行った古本屋さんでは第0印象に畏れてしまったので、明日は今日よりも少しだけ名乗るぐらいはしてみたい。
今日は本屋さんを3軒巡って、大好きな絵本・ずっと出会いたかった本・ずっと探していた本・詠みたくて詠みたくて震える本の4冊を買い、おまけに大好きな古道具屋さんで大好きな文房具や本を収納する明治時代初期ごろの箱を買った。大好きが溢れていた時に、またもや大好きな古着屋さんに出会い、笑顔で帰ってきた。
第0印象でうぐっとなっていた反動が幸せな形で帰ってきた。
明日もまた大好きにたくさん出会えるだろうか。
日記メインの日記も書けるだろうか。
明日こそ朝を感じたい。
おわり。
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