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あるきっかけで変わったフィクションとの向き合い方
フィクションに何を求めているんだろうか。
たぶん刺激。
日常ではあり得ないバトルやイケメンなキャラクター、生や死。
私はミステリーやデスゲームのような、人が平気で死ぬようなフィクションが結構好きだ。
アニメや漫画はもちろん、小説や映画で何度もみた。
いわゆる鬱な内容のものも普通に見る。
日常では絶対に味わえないし、今の自分よりはマシという、いわゆる安全圏からの傍観を楽しんでいた。
ハラハラドキドキするスリルや続きが気になる刺激を、求めていたんだろう。
ただ、ダンガンロンパC3というゲームをきっかけに、人が作ったフィクションに対する考え方が少し変わったように思う。
とても平和な世界・・・それは、言い換えればとても退屈な世界という事です。
私たちは平和な世界に生きている。特に戦争や事件に巻き込まれることが少ない日本に住んでいる私は、平和と言えるだろう。
それをゲームでは、退屈な世界といった。だからこそ、日常では味わえない刺激をフィクションに求めるのだろう。
ダンガンロンパは16人の高校生がコロシアイのゲームに参加する話だ。
彼らはフィクションだろうがノンフィクションだろうが、勝手にコロシアイのゲームに参加させられることに対して抗う。
ゲームだろうとなんだろうと大切な人が死ぬのは苦しいと。
私が今まで消費してきたフィクションの中のキャラクターたちは、どんな思いで死んでいったのだろうか。
フィクションだから気持ちや考えがないのはわかっている。
でも、ダンガンロンパを通して、フィクションの世界の人たちが、理不尽なデスゲームや残酷な死しかない世界に生み出されることに対して、何を思うのかを考えざるを得ない。
戦争や事件に巻き込まれた人たちは、理不尽だと思うだろう。私だってそれらとは比べものにならない小さな不幸があると、何かを呪いたくなってしまう。
そんな不幸が当たり前の世界に作られて、平和に退屈した傍観者たちが笑っている。
それを想像すると今までのように、フィクションを楽しめなくなった。
キャラクターたちに感情移入しすぎたせいだろうか。
でも、このような新しい視点でフィクションと向き合うきっかけをくれた、ダンガンロンパにはとても感謝している。
数日後にはグロい小説を読んで楽しんでいるかもしれない。けど、フィクションに対して、こんなことも考えていたなというのも忘れないでいたい。
私にとってはすごく心に残る大切な作品だ。
退屈で味気ないかもしれない自分の世界で、私らしい楽しみ方を見つけていきたい。
フィクションは新しい自分と出会うためには、欠かせない存在だ。
刺激も希望も幸せも、自分で見つけるしかない。
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