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エッセイ

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日々の中で感じたことや考えたこと。
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記事一覧

Webライターという仕事を辞めた。

2023年3月から、会社員を辞めたいという理由で始めたWebライターという仕事。 無事にその年の10月に会社を辞めてから、フリーランスとして細々と続けてきた。 今まで636記事を書いていたらしい。 思い返してみるとフリーランスのときよりも、会社員時代の副業としていた時の方がたくさん記事を書いていた気がする。 あの頃は毎日が挑戦で楽しくてたまらなかった。 会社を辞めてからは現状維持。会社を辞めるという目標以上のものが見つけられず、生きるために続けているだけだった。

年内に終わらせたかったこと

昨日はいろいろな手続きをした日。 銀行口座の氏名変更にマイナンバーカード。 入籍してか、2ヶ月経っているのになぜ今更なのかというと、 銀行はオンラインで申請したとおもったら、窓口でしてくださいとメールが来ていることに気づいていなかったのと、 マイナンバーカードは、引越ししすぎて裏の備考欄の空きがなく新しく作り直してもらっていたから。 それらの申請&受け取りを、年内には終わらせようと思って、やっと行ってきた。 銀行はオンラインで予約していたので、着いてすぐに手続きし

小さなことでも喜べる人になりたい

大きなことを成し遂げたときは、喜んだり、達成感を感じたり、誇らしくなったりするでしょう。 でも、小さなことを喜べる人になれたら、もっと毎日が楽しくなると思う。 家を綺麗にしたとき ご飯を作ったとき 一冊の本を読み終わったとき いつもより10分早く起きられたとき ピアノを10分練習したとき 5分英語の勉強をしたとき どんなに小さなこと簡単なことでも、何か行動を起こせたり、頑張ったりできたときは、喜んで、自分をほめる。 何故だかわからないけど、「これだけしかでき

ゆるく続けることを目標に

今までに、たくさんの目標を立ててきた。 毎月10冊の本を読む 毎日ピアノの練習をする 1ヶ月で英語のテキストを終わらす 毎日Noteを更新する 一発で宅建を合格する 半年で本業の収入を副業収入で超える 達成したものもあれば、数日で諦めたものまで。 目標を達成できるかの違いは、上手く毎日のルーティンに落とし込められるかだと思う。 ただし、無理な量や頑張らないといけないものをルーティンにしようとすると、失敗する確率が高い。 仕事や試験のように、必ず達成しないと

それをしている自分を好きだろうか?

何かの合間に、ついつい手を伸ばしてしまうスマホ。気がつけば数時間触り続けていることはないだろうか。 ネットサーフィンやSNSなど、その時は楽しいと感じていても、後で振り返ると無駄な時間を過ごしたと後悔をする。 これはスマホに限らず、衝動買いしたものや休日の寝だめ、暴飲暴食など、一時的な気楽を幸せと勘違いしてしまうことはよくある。 退屈な時に「幸せ」を求めて手を伸ばすものほど、一時的な快楽であることが多いのはなぜだろう。 そもそも「幸せ」とは、簡単に手に入るものではない

自分を幸せにしてくれるもの

『いつも幸せな人は、2時間の使い方の天才』によると、「自分を幸せにしてくれるものリスト」を作ることは、幸せを3つのカテゴリーにわけることらしい。 自分の幸せを知るためにも、それぞれ書き起こしてみることにする。 ①簡単にできること 推し活をする アニメを見る 映画を見る ゲームをする 散歩する ご飯を作る 外食する 猫と戯れる 本を読む Noteを書く 日記を書く 部屋の掃除をする 紅茶を飲む コーヒーを淹れる ②ちょっと無理すればできること

自分で動かせないものはできるだけ手放したい

返信はいつ帰ってくるのか。 今月はどれくらい仕事があるだろうか。 打合せはどれくらい時間がかかるだろうか。 電車はいつ動き出すだろうか。 注文していた荷物はいつ届くのか。 自分ではどうにもできないことに悩まされる日々。いくら時間を使って考えても、自分では答えは出せない。 相手次第であったり、はたまた天気次第であったり。 急いでいるときこそ、そわそわしてしまったり、考えすぎたり、いらいらしたり。 自分でコントロールできないことは、思い切って手放してしまおう。 相手から

推しが決まらない!に終止符を

もともととあるゲーム実況グループが好きで、約3年ほど自分のペースで推し活していた。 毎日投稿される動画を楽しんだり、メンバーシップに入ったり、イベントに参加したり。 日々の楽しみが増えたり、いろいろなことに一喜一憂したりと、楽しい推し活の日々を過ごしていた。 しかし、残念なことに来年で活動休止に。 新たな推しを、求めてインターネットの海を彷徨い出会えたのが「にじさんじ」。 150人以上が所属する男女混合のVtuber事務所だ。 大人数のVtuberが所属するからこ

たまに食べる冷食は美味しい

久しぶりに冷食を食べた。 基本的に自分で作ったり、外食したりするので、あまり冷食を食べていなくて、本当にめんどくさいけどお腹空いている時のために冷凍庫に入れていた冷食。 久しぶりに食べると美味しい。 レンジに入れて数分で温かいものが食べられる幸せ。 味が濃い?から、一度食べるとまた食べたくなってしまう。 マックも久しぶりに食べると美味しすぎて、連続で食べてみたくなる感じ。 毎日冷食やファストフードに頼るのは、健康的にも良くないし、せっかくなら料理したいと思うけど、

いつもと同じ日常でも自分次第で彩れる

幸せで充実した日々を送りたいと願っても、毎日外食をしたり、旅行に行ったり、友達と遊んだりできるわけではない。 けれども、同じような生活を過ごす中でも、特別ではない普通の日常生活を過ごすことを幸せだと感じられる人もいる。 同じような生活を繰り返すことに不満を抱く人と、幸せだと胸を張れる人の違いは何だろう。 これは、その人の性格だとか生活レベルが問題ではない。 どんなに小さな出来事にも、毎日繰り返す日常生活の中でも、充実感や満足感、幸福を感じる努力ができているかが違うのだ

目的があれば朝に起きられる

最近、朝に配信を始めるVtuberにハマっている。 今のところ毎日、一本目の動画を5時~7時に配信し始めるので、それを見るために朝早く起きられるようになってきた。 好きなものを見るために、推しの声を聴くためになら、夜遅く寝たとしても起きられることがわかり、 今までは朝は苦手、起きられないと決めつけていたけれど、 朝起きる目的があれば、自分は変われるんだと嬉しくなった。 確かに、旅行や朝から予定があれば、起きられるし、 学校や会社に行っていたことは、基本起きれていた

幸せになるための手段を目的にしないように

誰もが幸せになりたいと思っているだろう。 幸せになるために、何かに挑戦したり、努力したり、どこかに出かけたり、誰かと会ったりする。 しかし、いつの間にか「幸せになるため」の行為が目的になってしまっていないだろうか。 幸せになるために始めたことが、いつの間にか どこかに行くこと SNSに写真をあげること 恋人を作ること 資格を取ること これらの手段が目的になり、それまでの過程やその先にある感情をないがしろにしてしまうことがある。 幸せになるためにしていたはずの

たった2時間の素敵な時間を過ごすだけで、その日1日が「いい1日」になる

いつからか、毎日を素敵な時間に彩るべきだと決めつけていた。 何かを達成したり、美味しいものを食べたり、好きな人に会ったり、、。 けれど、朝起きてから夜寝るまで、何もかも完ぺきにこなせるはずもなく、予定通りに進められなかったり、だらだらしたりしたりして、素敵な日々を過ごせていないと自分を責めてしまうことも多かった。 『いつも幸せな人は、2時間の使い方の天才』という本を読んで、自分の考え方が大きく変わった。 1日中、素敵にする必要はない。 たった、2時間(あるいは数分だ

のびのび心ゆくままに。

家族が旅行に行くので、今日から1週間、猫と2人生活。 久しぶりに帰宅に合わせてご飯を作ったりしなくていいのが嬉しい。 自分のタイミングに合わせて、ご飯を食べたりお風呂に入ったりできるの久しぶりだな。 人と生活するのがしんどいとか苦しいとかは思わないけれど、たまには1人で好きなように過ごせる時間も欲しくなる。 まあ、家族が仕事に行っている間は1人で家にいることが多いのだけれど。 けれども、帰ってくる時間を気にしたりしないといけないので、1人だといつもよりのんびりできる