私のトナカイちゃん(Baby reindeer)
最近、Netflixがご無沙汰となっていたのですが久しぶりにハマったシリーズを見つけて、一気にまとめ視聴。
終わり方と、物語自体について考察したくなったので久しぶりに記事を書いてみることにしました。
視聴はこちらから。
なんとこの物語は、主人公役で出ているリチャード・ガッド(Richard Gadd)の実体験という点がとても衝撃なのです。
以下にネタバレを含みますので、観てからがいい!という方は一度飛ばしちゃってください。
とにかくイギリス色の強い作品
ストーリーとしては、売れない芸人(特に、言ってはいけないネタを言ってしまう系芸人)である主人公が昼職として働いているパブに、冴えない女性がある日パブに。何も話さない、オーダーもしないというので不憫に思った主人公が紅茶をお店の奢りでいいよ、と言った瞬間に人が変わったように話し始めるのです。
弁護士で有名人と知り合いと言ったり、ペントハウスを今度買うと言ったり。
この時点で、まず1つとしてイギリス色が最強。
パブ、紅茶、めちゃ強いスコティッシュ訛り。
しかも、天気もどんよりしている。
イギリスに行ったことはないけれど、イメージ通りのイギリスな感じ。
この陽キャ!!みたいな感じでないイギリス番組がアメリカで3週連続1位を記録したというのは私からすると少し不思議。
社会問題もしれっと盛り込まれた作品
最初の時点から、明らかに違和感のある感じの女性にしばらく付き合っていた主人公。
パブの同僚がからかって女性をその気にさせたりすることで、一気にストーカー行為が加速。Webページから取得した主人公のメールアドレスに、とんでもない数送ってみたり。追っかけるような、ザ・ストーカー行為をしたり。
この作品の特徴は、ストーカーの加害者と被害者において典型的な描写していないことです。被害者がひたすら逃げ惑うのではなく、興味本位で尾行してみたり、自分から接触してみたり。私だったら絶対しない。と思いながら、もどかしい行動をしていく主人公に対して腹立たしい気持ちまで持ってくるのです。
次第に話が進んでいく中で、なぜこの主人公が通常とは異なる行動を示すのかが分かってきて、主人公の自尊心(self respect)が極端に低く、自分に興味を持ってくれる存在を大事にしてしまうこと。そして、その発端は以前に受けた性的虐待だったことが分かるのですが、テーマがなかなか重い。。しかし、こういった社会的な内容が評価されている要因の一つかもしれないですね。
描写が度をこして濃い。。。
回想シーンにうつり、自身がコメディアンとしてフェスティバル期間に契約したパブで全く上手くいかなかった日々の中で、たまたま潜入に成功した会員制バーでの著名な作家との出会い。そして、彼と組む中で成功体験を積んでさらに近くで学びたいという気持ちに。しばらく音信不通を経たのち、作家の住む家に呼ばれ無料で指導という名の雑用、作家に誘われてドラッグをすることに。そして、彼がドラッグの影響下にある中で作家は性的虐待を行なっていく。。という、なかなかヘビーな内容に。こういう描写って、日本の作品ではあまりない気がしていて、海外作品を見ていないと辛いかもしれない。(実際私自身も久しぶりの海外作品だったのでなかなかついていききれなかった。。。)
しかも、これが実話(脚色はしているものの)であるということから本当に最悪な気持ちになるのです。イギリスでは、実際の加害者である作家が噂されたりしている模様。驚きなのが、この虐待の描写がリアルな感じが強い中でも演じているのは本当の被害者である主人公。トラウマを再体験できるその人間との強さにただただ驚き。
さらに、その事実を両親に告白するシーンではまさかの父のカトリック教会での暗い過去も明らかになるのですが。。。これも実話なのかな?そうであれば辛すぎる。。(本当に悲しい世界)
主人公にとっての生命線
主人公のそういった暗い過去や恋愛・職場の人間関係・芸人としての可能性など恵まれていないことが多い中で、唯一の安心できることは両親の愛とあたたかさ。
優しい母と、口の悪い父。だけど、子供を全力で守ってくれる姿を見ていると、なぜか涙が出そうになるのです。
これは、最近親子愛に弱い私にとってグッとくるポイント。
それまでの話の中では、どちらかというと主人公に対して理解できない気持ちが強く、イライラしながらみていたのですがそれも和らげてくれました。
トランスセクシュアルの女の子を気になっていた主人公を応援したり、電車で主人公を見送るシーン。両親のシーンがなぜか安心できて、見ている側もホッと安心する一息つけるシーンとなるのです。
そして、舞台は戻り狂気のストーカーシーンに戻るのです。警察に相談するようになって、これまでのマーサ(ストーカー)の録音音声から脅迫と取れる内容を抜き取るために、自分の全ての時間を使って音声を聞いていくシーン。本当に狂気。そして、警察が使えなさすぎる。警察が動きが遅いのは万国共通なんですねえ。
そして、ついに自分と両親に対する脅迫においてマーサが裁判にかけられ有罪判決に。これで終わりなのかと思いきや、話は終わらない。
なぜか主人公は録音を聴き続け、部屋も大きなマップがあったり、もう学問できるんじゃないかレベルで研究している。しかも、自分のことをストーカーした人の話を。どんな人なんだろうって、興味を持ったのだろうけど、この感覚は私には全くない。本当に理解ができない。元カノが部屋を訪れた時には狂気部屋が完成。
よくこの状態の主人公を引き取ろうと思えた元カノの愛を感じる。
なぜ"トナカイちゃん"なのか
そして、最後のシーンでなぜ"トナカイちゃん"と呼ぶのかが明らかになるのです。
そう、それは彼女が小さい頃使っていたトナカイのぬいぐるみから来ていたのです。女の子って小さい頃、お気に入りのぬいぐるみとブランケットあるよね。私も例に漏れずそうだったのですが。それが、彼女にとってはとても大事な思い出だったようで、そのぬいぐるみと主人公がそっくりだったということなんです。
ぬいぐるみに似ているってだけでも複雑なのに、それでストーカーされてちゃいたいたまれない。
最後のシーン。どうやって消化する?
そして、最後のシーン。主人公もマーサのようにお金がない状態でバルに行って、バルおごりになった瞬間、主人公の目がおかしい、、、明らかにおかしくなるのです。
これはどういうことなのでしょう?
悲劇の始まり?それとも、これがノンフィクションで主演している人が本人であることを考えると、闇堕ちはしていないはずだから、マーサの気持ちがわかった瞬間、と捉えるべき?
ここは誰かと議論したい。
最後に
この映画は、他の作品と違って善と悪の二項対立で描写されていないのが人を惹きつけたポイントだと思います。
ストーカーから離れたいという気持ちを持ちながらも、完全に避けていない。見方によっては自分から寄っているともとれる行動をとっている主人公。
見ていてすごくもどかしいけれど、現実世界も近いのではないかと思うのです。
そういった描写が多くの人の共感を得ているのかもしれないですね。
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