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【絶版本】バリキャリの友人ユウコのレコメンド本:『アミ 小さな宇宙人』を10年振りに読んでたまげた日曜日
ハロー!志織です。
もうすぐ9月も終わりですね。
少しずつ確実に秋が深まってきていますが、皆さまいかがお過ごしですか?
先日、「本のdigり方」のnoteを書いたと思うのですが、私にはもう一つ大好きなチョイスの仕方があって、それは、「人に勧めてもらったタイトルを読む」ということです。
そういった本はいくつかあるのですが、今日はそのうちのひとつの、こちらのタイトルを紹介します。
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エンリケ・バリオス 『アミ 小さな宇宙人』
一時期、世界的大ベストセラーになった作品なので、ご存じの方も多いかもしれません。
この作品は、作者の友人の名もない小さな印刷所から1986年に出版された本で、チリでたちまちベストセラーになり、その後11カ国で翻訳されて「アミブーム」を巻き起こすほどになったそうです。
それでですね、実はこの本、今は絶版になっているそうです。
たまげたわ。(たまげるって都会の人は言わない?)
みんな、この本を読んで、どんな感想を抱いたのかな〜と思って、久しぶりに「読書メーター」を開いたのですが、「いい本なのに絶版になって残念〜」とか、「Amazonではプレミア価格がついてしまって、6000円くらいになっててとても買えないから、2年間図書館で予約待ちしてやっと読めました」というコメントがあり、驚愕。え、そ、そうだったの…???(汗)
翻訳本なので、版権とかいろいろな問題があるのだと思うし、絶版になった詳細は私は分からないのですが、ひとつの理由として、「この本があるともう他のスピリチュアル本、自己啓発本がいらなくなっちゃう」からじゃないかな〜、と思うんですよね…。
私はこの本との出会いを面白がっているのですが、大学を卒業した後も、年に1回くらいで会うペースの友人がおりまして、彼女に「この本、すごくおすすめだよ」と教えてもらって、手に入れたのです。
内容をご存じの方は「面白い」の意味を汲み取っていただけたかと思いますが、この本、どう考えても、とてもじゃないけど、バリキャリの効率主義☆現実思考の人間が読むもんじゃないんです。(笑)
本を勧めてくれた彼女は、とにかくスピードの速い女で、先進的で、いつも新しい人。
転職もバンバン繰り返し、パートナーへのプロポーズも自分から。籍は入れたくないから事実婚で、六本木のタワマンに新婚生活の住まいをチョイスするような、パワフルでエネルギッシュで、ブルドーザーのように、自らの道を開拓し続けるような人。
かっこよくで、individualで、大好き。
ただ、今思い返しても、なぜ彼女がこの本を勧めてくれたのか、正直分からない部分も多いけど、(後にも先にも、勧めてくれた本はこれだけ。)だからこそ私のなかでは少し特別で、不思議な存在感を放った本になっています。
ただ、この本を買って読んだ当時のことは、正直あまり覚えていなくて、でもなんとなく手放したらいけない気がして、ずっと本棚に差したまま過ごしていたのです。
それで、「積読の整理もしたいし、いったん本棚を整理するか〜」と思って、全部の本を引っ張り出したところ、この本が出てきて、なんだかとても気になって、10年ぶりくらいに読み返すことになったのです。
そしたら、この本のすごさに、若中年の今になって、気づいてしまった。
もちろん、すべての内容に同意・賛同は出来なかったりします。
菜食主義を強く推奨するところや、選民思想(人間の精神レベルを数字で表現する部分がある)については、少し注意が必要だと考えます。
ですが、愛についての教えは、「これ、本当に40年近く前に書かれた本なの?」と驚きを隠せない部分も多いです。
なんというか、ここ数年で出まくっているスピリチュアル本・人生の哲学本、ビジネス系自己啓発書で言っていることをこれ1冊で言っている感じ。
私は本が好きだし、ミーハーで影響を受けやすいので、その時代ごとに流行った本はけっこう読んできたつもりなのですが、本当にこの1冊にだいたいまとまっている気がするのです。
例えば、宇宙人のアミと、主人公のペドロ(ペドゥリート)は、こんなやり取りをしています。
「ペドゥリート。また、ものごとを混同しているね。きみのおじさんはたくさんの情報をもって
いる。でも、それがかならずしもインテリとは
限らないんだ。賢者とはもっともかけ離れて
いる。コンピュータは、ぼうだいなデータを所持できる。でもだからといって、インテリという
わけじゃないだろう。自分が落ちる穴を知らないで掘っている人間が賢者だと言えるかい?」
「うん、でも……」
「武器はそれを賛美する人をいつか裏切るようになるんだよ……」
ふむふむ、言わんとしていることは、なんとなーく、わかるか、も…???
アミの言っていることは、ぼくをあまりなっとくさせなかった。
でも彼のほうがずっと上なのははっきりして
いた……。
とにかくぼくは彼の言うことを信じるように
つとめた。にもかかわらず頭の中は混乱したままだった。
ぼくにとっておじさんは英雄であり……そして
とてもインテリなんだ……。
「きみのおじさんは頭の中にすぐれた“コンピュータ”をもっている。たんにそれだけのことだよ。
おなじ言葉でも解釈のちがいが生じている。
地球ではインテリとか賢者とか言われている人はたんに頭脳がすぐれている人を意味している。
それはわれわれのもっているうちのひとつの脳だ。
しかし、われわれは脳をふたつもっているんだよ……」
「えっ!!」
「ひとつは頭。これは言って見れて“コンピュータ”で地球人の知っている、ゆいいつのもの。
でも、胸にもうひとつ別の脳をもっているんだ。目には見えないけれどちゃんと存在しているんだ。こちらのほうが頭より重要で、あの男の胸に輝いて見えた光のことだ。われわれにとって、
ほんとうのインテリとか賢者とかいうのは、
このふたつの脳の調和がとれている人のことを
言う。
つまり頭の脳が胸の脳に奉仕するというかたちであって、多くの地球の“インテリ”のようにその反対ではないということだよ」
すごい。
アミがここでいう「胸の脳」は、つまり現代でいう「心」だと思っているのですが、スピリチュアル界隈でいう「男性性」が「頭の脳」、「女性性」が「胸の脳」を指し示していると思うんです。
あんまりスピ系がお好きでなかったり、詳しくなかったりする方向けに説明をすると、たとえば…
*女性性*
「◯◯という場所に旅行に行きたい!」
「◯◯したい!」のような気持ち
*男性性*
「◯◯という場所に行くには、交通手段は◯◯を使って、費用はこれくらいかかるから、仕事で◯◯円くらいお金を稼いで…」
「◯◯するためには、まずは◯◯を準備して…」
のように、具体的な現実化の方法を考える
これが、女性性と男性性の違いです。
もう少し分かりやすく解説するために、アミとペドロの会話の続きを見てみます。
「じゃ胸の脳が頭の脳より発達しているひとはどうなの?」
「そういうひとは、”善良なおバカさん“とでも言おうかな。きみの言う“悪いインテリ”にとって、だますのがとてもかんたんなひとたちなんだよ。
“悪いインテリ”は、彼らによいことをしているように思わせておいて、結果的には人を傷つける
ことをしているんだ……知性の発達は、情緒の
発達と調和をもって進んでいくべきなんだ。
こうやってのみ、インテリとか賢者というものはつくられていくんだ。こうやってのみ、胸に光は育っていくんだよ」
要は、頭は、心が望むものを叶えるために使うものであって、逆であってはならない。
頭に心を支配されてはいけないよ、ということを言っているのです。
バランスが整っていないといけない。
どちらかだけに傾くと、たとえば、頭の脳だけを使えば、戦争や暴力や競争を起こしてしまうけれど、心の脳だけを使えば、現実で大切な人を助けたり喜ばせることは出来ない。
目の前で自分の大切な人が川で溺れていて、「助けたい!」と思っているのに、両手を組んで祈るだけでは大切な人は死んでしまう。
だからこそ、そこで頭の脳を使って、大切な人を助けるために、自分の腕を使ったり、仲間に助けを借りたり、何かを駆使して、川から引き上げる。
これが、正しい使い方。
これはビジネスでも同じで、誰かを喜ばせたいな〜と思うだけでは、念力なんか使えない私たちは、相手のことを喜ばせてあげられない。
だからこそ、サービスや商品など、具体的な「何か」を産んでアウトプットすることで、現実的に相手に喜んでもらう方法を考える。
す、す、す、すごすぎる。
このこども向けの本で、宇宙の真理をサラッと言っておる…。
そして極めつけは、これ。
「じゃ、ぼくも愛なの?……」
「とうぜんだよ。自分じしんのこと、さし示してごらん。」
「よくわかんない、アミ」
「“ぼく”と自分のことを言うとき、自分のからだのどの部分を指さして言っている?“自分”と言って指さしてごらん」
自然に胸の中心を指さして“ぼく”と言っているのに気がついた。
「どうして、たとえば、おなかやのどやひたいを、ささないのかな?」
「なぜならね、そこに、ほんとうのきみがいるんだよ。きみは愛だ。そしてそのハートの中に、
きみの住まいがあるんだよ。きみの頭は、たとえば、一種の潜水艦の“潜望鏡”のようなもので、
きみにー(と言ってぼくの胸を指さして)
ー外のようすを知覚させる役目を果たしている。その“潜望鏡”と内部にある“コンピュータ”である
頭脳のおかげで、ものごとを理解したり、
生命機能を司ったり、手足は、ものを取りあつかったり、からだを移動させたり、でもきみじしんはここにいるんだ。ー(ふたたびぼくの胸を
指さした)ーきみは愛だ。だから、どんなことでも愛に反したおこないは、きみじしんに反した
おこないになり、愛である神に反したことにも
なるんだよ。だからこそ、宇宙の基本法は愛で
あり、愛が人間の最高位のもので神の名を“愛”と言うんだ。宇宙の宗教とはまさに、愛を感じることであり、愛をささげること。これにつきるんだよ。これがぼくの宗教なんだよ。ペドゥリート。」
爆泣き。
必死にがんばって、昇進して、お金を稼いで、安定を手に入れて、好きなことにお金を使って生きていこうとしていたけれど、逆だったんだな。
中心は愛で、それを守るために頭を使って、現実を変えていく。
まずは自分が、「このクルミって美味しいなあ」と愛を感じて、それを周りの愛する人たちにも、「このクルミって美味しいよ」と、伝え、分け与え、ささげること。
たったこれだけのことなんだね。
だからまずは、自分を愛で満たすこと。
自分が何で満たされるのかをじっと観察すること。
まだ起きてもいない未来に怯えずに、今この一瞬を見つめて感じ切り、楽しむこと。
自分の利益のために、私たちを怯えさせたり、戦わせたりする存在にのまれずに、武器や暴力を手放し、自由と平和に生きること。
これが出来たら、私たちの毎日のなかでも、世界の国同士のあいだでも、戦争がなくなって、平和になるのではと思うのです。
そのために、まずは、やさしくて人を優先し過ぎてしまうあなたは、自分の「本当の心の自由と平和」を取り戻すことから始めよう。
それが少し出来るようになってきたら、あなたなりの愛の表現で、「心をなくしてしまい、頭の脳だけで生きてしまっている」人を溶かせるように、一緒に歌って踊ろう。
そうやって少しずつ、私たちの地球を、元々のやさしい惑星に戻していきたいですね。
絶版になっているので、気軽に読みにくくなってしまってはいますが、図書館で読めたり、もしかしたら古本屋さんなら出会えるかもしれないので、気になった方は、ぜひ手に取ってみてくださいね。
それでは、本日はこのあたりで。
また本を片手にお会いしましょう。
アデュー!
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