幸せは自己申告制
つい昨日、読み終えた本がある。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない」
https://www.amazon.co.jp/ぼくたちに、もうモノは必要ない%E3%80%82-断捨離からミニマリストへ-佐々木-典士/dp/4847093461
ミニマリスト、興味はあるけれどすこし胡散臭く感じていた。
でも、この本を読んでわかった。
ミニマリストという言葉だけだと、単にすべてを最小限にするのが好きな人たちだと捉えてしまうけれどそうじゃない。
自分にとって大切なモノ・時間・考え・・そういった自分の軸がはっきりと見えている人、それこそがミニマリストなのだ。
この本のなかで、わたしの心に深く残る内容が数え切れないくらいあったが、何より衝撃的だったのがタイトルにした「幸せは自己申告制」という事実。
あっさり「そうだよね」って思う人がどれだけいるのだろう。
小見出しになっていたこのフレーズは、私の読書に急ブレーキをかけた。
もちろん「ぼくモノ」をぜひ読んで、あなたにも考えてもらいたいのだけど、例えば2012年から発表されるようになった世界幸福度報告。まとめているのが国連と聞くと、なんだかとても精密な調査によるものに思えるけれど、この報告はあくまで各国の国民のアンケート。そう、幸せかどうかの自己申告のまとめなのだ。
この例からも分かるように(というか、落ち着いて考えれば分かるのだけど)幸せかどうかを判断するのは、その人自身。体重や視力、はたまた呼気中のアルコール指数のように、機械で測定できるものではない。
あれ、ということは幸せになるのってすごく簡単じゃない?
だって「わたし、幸せです!」って言えば幸せなんだから。
なんて、そう単純じゃないのが人生。
ただ、幸せは自分がそう思うかどうかであることは間違いがなく、思うだけなら本来は簡単なはずなのだ。では、何がそれを阻むのか。
これもまた、同書に書かれていることなのだが、人は良くも悪くもある一定の事柄が続くと慣れる。生活のほとんどが「当たり前」で構成されている。でも、そのほとんどが最初は何かしらあなたに心のときめきや感謝を芽生えさせていたはずなのだ。
例えばお手洗いに入って用を足して、手を洗う。この当たり前の工程に、実はどれほど「幸せ」が詰まっているか。
お手洗いの空間を誰かが施行し、そして誰かが日々手入れをしたり消耗品を補充したりしてくれている。水洗事情がしっかりしているから、快適に利用できる。
挙げだしたらキリがないくらい、こんな当たり前でちょっとした行動に、幸せと思える要素が溢れているのだ。
また、幸せと感謝は同義だとわたしは思う。
「ありがとう」と言ったり言われると、心が温かくなるでしょう?それを人は真に「幸せ」と呼ぶんじゃないだろうか。
これを読んでいるあなたは、悩みに押しつぶされそうになっているかもしれない。不幸な自分の運命を呪っているかもしれない。わたしもかつてはそんな気持ちばかりだったし、今だって嫌なことがあるとうっかり誰かのせいにしたいと思ってしまうこともある。
でも、そのままだったら永遠に幸せにはなれない。間違いなく。
だって自分が自分を「幸せ」って思わなかったら、幸せは一生訪れないのだから。
「ぼくモノ」のおかげで、わたしは一歩、いや100歩くらい最高の人生に向かって前進できたと思う。何より自分自身ととことん向き合おう!というスイッチを押してもらった。ぜひ、あなたもこれを読んで自分自身と向き合ってみてほしい。そして幸せが訪れますように。
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