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【対人関係】怒りがおさまらない時の5つの対処法【アンガーマネジメント】
相手の不義理によって、怒りを覚えた経験は誰しもあるのではないか。
友人関係なのか、会社の関わりの中でだろうか、それでもこの記事を読んでいると言うことは、少なからず「怒り」に生活を奪われている。
大切な人生の時間のなかに、自分を怒らせた相手のことで頭がいっぱいの瞬間があるのだ。
なので、自分の時間を自分のために使うべく、どうしたらこの怒りが頭から離れてくれるのか、その方法を紹介する。
怒りはどうして起こるのか
一例として。相談に乗って欲しいと頼まれ何時間も相談にのってアドバイスしたのに、それを実行しないでずっと悩んでいる。さもすればまた同じ相談をしてくる。自分の命の時間を無駄にされたそんな経験。
後輩にとって有益になるだろうと紹介した相手に、後輩が自分の悪口を言っていたと知った時。
他にもさまざまなシーンが思いつくが、どれをとっても自分がムカついた以上、その怒りは自分で処理しないといけない。
このように部下ならクビだ!友達なら縁を切る!と言いたくなるくらいムカついた時、どうするのか。抑えきれない怒り。それに向かう自分の心をどの整えればいいのかを紹介する。
昔の私なら、瞬間的に沸点に達し、そのままそいつが自殺するんじゃないかというほどのありとあらゆる罵詈雑言を吐いていたと思う。相手の気持ちがわかるようになると相手が傷つく言葉もわかるようになる。
でも大人になるにつれてその場の感情に任せて怒り狂うのは、良くないことだということは想像に容易い。怒りをそのまま本人にぶつけるほど未熟ではいけない。
感情は操作できない
「感情をコントロールする」と言う本は多い。でも実際はどうだろう。そこまで達観できたらいま怒っていない。それだと仕方がないので、ここでは感情はコントロールできないとしよう。
そこから怒る側がそれを抑えるスキルとして有名になったのが、アンガーマネジメントだ。とはいえ、先述の通り感情コントロールと同じでそんなに簡単ではない。怒りというのは感情であり、感情は自分で操作できない。家族が亡くなって悲しいと思うことをやめられないのと同じだ。
すぐに取り入れることができて、自分の経験で怒りを消化できたものを紹介する。それはこの5つだ。
1、怒りを悟られないためにその場をはなれる
もっともベーシックな方法だ。時間をおくと表現しているものが多いが、本当の意味ではその場を離れるが正しい。相手が目の前にいる場合、怒りをぶつけたくなる。自分がこんなに抑えようとしているのに相手がニコニコしていた場合、よけいに腹が立つからだ。要するに、怒りが増幅して本当にお抑えられないようになる。
時間をおくよりも、その場を離れて相手を視界からまず消した方がいい。物理的に消したくなる感情が少しは抑えられる。
2、身体を動かす
ヨガでいう瞑想もこの一種に入る。瞑想というのは静かに自分の中の意識に集中することだけではない。ハードに動くこともまた瞑想の一種なのである。
ヨガをである必要はない。親しみのあるスポーツ。ウォーキングでもいいが、できれば集中してそのことだけ意識が集中する方がいい。これをアスリートはゾーンに入ると表現するものであろう。
動くことで前向きになるホルモンが分泌されする。うつ病にも運動がいいという研究が増えてきたのもこの結果があるからだ。
ちなみに怒りを抱えたまま、この静かな瞑想をするのはおすすめしない。怒りの感情を抱えたまま静かな心になれるはずがないからだ。ぐるぐるといつまでもその怒りと向き合うことになり、いつの間にかしかめ面になっている。
3、親しい(できれば利害のない)相手に話す
これが一番スッキリするだろう。話しを聞いてもらう事で感情の表現もしやすい。親しい相手ならときには乱暴なコトバを使っても許容してくれるかもしれない。関係性がものをいうだろうから
相手のことを知っていると共感を得やすいのでつい頼りたくなってしまうが、経験上良くない。知っているということは繋がっているということだ。今は繋がっていないかもしれないが、連絡することがカンタbんんになったじだいにいま一緒に過ごし散るかどうかなんて関係ない。時間を飛び越えて伝わるかもしれないと認識しておこう。
4、本を読む
「頭にきてもアホとは戦うな」著:田村耕太郎氏
「バカとつきあ合うな」著:堀江貴文氏、西野亮廣氏
同じような経験をした先人たちの声を聞く、と言うものだ。自分を怒らせる相手を構うことほどムダなことはないと既に知っている。非生産的な時間であることを彼らは身をもって経験しているのだ。
これを読むことで、少し自分の中で整理できる。なぜなら彼らは自分の肩を持ってくれている。何しろ自分は怒りを向けた相手のことを「アホだ」「バカか」と思っているのである。その「アホ」を相手にすることのムダさを知り、感情の整理ができる。
実態的な相手がいないのに共感してもらえている気になれるところが、この方法のいいところだ。経営者は人に愚痴は言えない。自分にとっても話した相手にとっても時間を奪う行為であり、お互いにとって不利益であることがわかっているのだ。読書家が多いのは本に共感してもらって浄化しているのだと気づく。
5、とにかく離れる
とにかく距離をおく。物理的に離れるのだ。別に「絶交よ!」とか相手にいう必要はない。そっと離れていくだけだ。相手が友達なら、時間が経てば消化できることもある。いま反りが合わないなら無理して一緒にいる必要はない。
本当に気の合う親友でも、その時の状況や置かれた環境の変化などで少し変な状態のときもあるだろう。友達はずっと友達であるべきというルールはない。大前提として友達は選んでいいのだ。本当に友達なら忘れた頃にまた一緒に時間を過ごすだろう。
一方、会社の人間ならそうはいかない。お互いが会社に住んでいない限り、早くとも明日だ。その間にほかの方法で少しでも怒りを消化しよう。
5、その怒りを疑え
これが1番大切かもしれない。相手が自分の意見を却下されたとか、企画が通らなかったとか、認めてもらえなかったといってはらわたが煮え繰り返るだろうか。一部の人には残酷な話しだが、上司は仕事をしているだけだ。部下を認めることが仕事ではない。数字を上げることがすべてなのだ。
「本当に怒ることなのだろうか。」この問いをいったん自分にかけることをおすすめする。自分の視座が低いだけではないのかと一歩下がって冷静に俯瞰してみよう。
思考は操作できる
ここからは感情の話しではない。その怒りのもとを辿ってみることで、すべての責任を自責にしようとしうのがこの記事の結論である。とはいえそれではあまりに強引なので説明する。
上記でいうと、友人からの相談、その相談にのった自分が悪い。あしらえばよかったのだ。あしらうと言う表現は適切でないとも、断ればいい。「今ごめん」「今日はちょっと・・・」その判断ができなかったのは自分だ。
異人の顔をして親切に話しを聞いてあげてそのアドバイスまでしてあげた。なのに・・・と思っているのであろう。私も思っていた。でも実際は相談に乗るという選択をしたのは、その後を期待してだ。自分のアドバイス通りに動くだろうと期待し、相手の人生に影響を与えたかったのか。
後輩に人を紹介すると決めたのは私だ。後輩にとっても自分にとってもいいことが起こるだろうと期待した。その後輩の人間性を見誤ったのは私だ。
自分の視座と相手の視座が違うことを受け入れる。自分の正義と相手の正義が違うことを受け入れる。すべてが自分の選択による結果だと思えば「ああ自分のせいか」と怒りは少しは和らぐ。
最後に
血肉にしよう。私も怒りを消化できないでいた。その怒りを何度も消化しようとして、その結果がこの記事だ。怒りの感情をそのままSNSに書いても誰もいい気がしない。それならその消化していったさまを、こうして自分の財産とすることを選んだ。これならきっと同じように怒りに震えている誰かの助けにもなるかもしれない。
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