
彼の地獄と私の恩送り
昨日、デイケアの利用者の一人から、
「きみはとても無理しているように見える。見ていて凄く痛々しい。僕は長年精神科にいるから、そういうのすぐわかるんだよ」と言われた。
読書をしていたので、なんの本を読んでいるのかと話しかけてしまったのが悪かった。はっとしてその人を改めて見ると、発せられた言葉以上に、とても意地の悪い顔をしていた。明らかに、私を傷つけようとして言っていた。
その場はへらへらしながら乗り切った(かなり大人な対応をしたと思う)ものの、彼の顔は久しぶりに心の底まで突き刺さった。そんなん気にすることないよ、とか、何なんあいつ、むかつく、私の何を知ってるっつうんだよばか、とか、私の中の私たちがいろんなことを言った。
傷ついた、とも少し違う。ただ単に、久々に他者から悪意を込めた表情を向けられたから、びっくりしたのかもしれない。
物凄く自明なことを言うようだけれど、心を病んでいるからといって、心根が優しい人だというわけではない。病はどんな人にも平等に降り注ぐ。
他者に対し、平気で意地悪なことを言えるのはなぜなんだろう。人を傷つけようとして傷つけるとは、どういうことなんだろう。
考えてみて、やめた。
彼の地獄は、私には関係ないことだからだ。
最もらしい理由や背景があったから、なんだというのだ。それは彼が背負い続けるものであり、私が請け負うものではない。誰かの心を平気で傷つけてしまうという彼の暴力性は、彼の問題だ。
ただ私は、他者に対し、悪意を込めた表情で意地悪な言葉を吐いたり、相手の心を傷つけようとして傷つけたりするような人には絶対にならないぞ、と思った。尚且つ、悪意どころか、善意で無意識に人の心を蝕むような発言や振る舞いにも、気をつけられるような自分であることを、誇りに思おう、とも。
去年から静かに読み進めていた本を、ようやく読み終えた。
ハン・ガンさんの、『少年が来る』
正直、難解な言葉の羅列と衝撃的な描写に、何度も溺れかかった。でも、私は読みたいと思った。読まなければならないと思った。
世界史の教員免許を取得しているものの、今の私には、1980年の韓国で起きたいわゆる光州事件と呼ばれている一連の悲劇を簡潔に語ることができない。
この悲劇を、単に民主化に向けた過程に過ぎなかったと片づける人もいるだろう。そもそも紀元前の頃から、世界のどこかでこんな悲劇は続いている。人類史上、特別なことでもなんでもない。そう言う人もいるだろう。そしてそれは、残酷なほど事実だ。
私は短大生の頃、スピヴァクのサバルタン研究や、サイードのポストコロニアル理論を勉強してから、「記憶を記録すること」について強い関心があった。強い関心があるが故に、目を背けた時期もあった。けれどこの本を読んで改めて、私はこのことを強く、強く考え続けていきたいと思った。
記憶は、語らなければ記録に残らない。記録にならなければ、継承できない。
けれど、記憶を語るということは、時に二度目の心の死を意味することもある。
トラウマ、という便利なカタカナ語は昨今誰もが使っているけれど、そんな言葉が生温い記憶を引き摺りのたうち回りながら生き存えている人がいる。
声にならない声の中にあるジレンマを乗り越えて、海を越えて、時代を越えて、ここまで彼らの生と死の記憶を届けてくれた著者に感服している。
そして、私自身が私の世界を生き延び続けること、死なないことが、この本の読者としてできる最大で唯一の恩送りだと信じ、私は明日も、生きていきたい。