六道のうちで、天道を目指すのが一番良さそうに見えるっぽいけど実はそこじゃないっていう話
前に六道は2つの大きな世界観があるっていう話をかいたけど、その中で実は「人間道」だけどちらのカテゴリーにも触れられずしれっとスルーされていることについて。
そう、人間道だけどちらのカテゴリーにも触れられていない。
なぜか。人間道は大きく2つのカテゴリー、つまり「喜び」と「痛み」この両方を行き来するカテゴリーなので、ある種6つの中で特別な領域とされているためだ。
こうなったらいいな、でも現実はそう甘くないしなあとか、慣れ親しんだ場所ではうまく振る舞えるけど、知らないことばかりの場所では不安が募ったり、お金があれば気が大きくなるけど、赤字が続いて来月の支払いのやりくりを考えるとてんぱる、、、こういうことを我々はよく繰り返している。
期待や希望、理想の夢を抱いたり、挫折や恐怖を味わったり、こういった状況をいったりきたりすることは苦しみではあるけれども、そのことは一方では洞察力を高めたり、好奇心や冒険心をおこして私たち自身を成長、開化させてくれるきっかけにもなりうる。
そう、スポーツみたいだなあとも思う。
練習は基本苦しかったり、地味で単調だっだりする。でも毎日コツコツ積み重ねてうまくできるようになって自信をもって試合に望む。でもある日、天才なんじゃないかって人物に出会って、ああもう向いてないかもって絶望することもある。いやでも、それでも、、ってそこを超えていくためにまた練習を重ねようってまた努力を積んでいったりもする。
人間道の領域はまさに天才に会ったからあきらめて腐るんじゃなくて、そこから自分をさらに変容させていくある種の情熱のようなものが含まれている感触だ。
そしてその探求する性質は根本的な問い、「私は誰なのか」ということを探求することのできる唯一の領域であるとされている。不確定だからこそ変容の可能性も残されているというのはなんとも皮肉なところ。
だからこそ、伝統的に仏教では人間の領域は貴重で望ましい領域であるとされている。