生活の基盤が侵されると習慣にすがりたくなる。あぁ、あの頃は良かったが攻撃性に転じるとき。
今日も医療関係者の方々に最大限の感謝を述べつつ、ステイホームしながら生活基盤を刷新していこう。
メディテーション・瞑想のオンラインクラスやっています。TrueNatureMeditationにて木曜朝 7:30〜8:15 と、火曜夜 19:00〜19:45 のクラスを担当しています。
今日もDavid先生の六道をテーマに考えていることをつらつらと。
結論としてステイホームと生活基盤を安全にすること。衣食住を確保すること。これが何よりの基盤である。これがなければものごとを建設的に考えることもできなくなってしまう。そういう意味で稼ぎやお金や家の不安がある人への支援が必須だし急務なんだろうと思う。動物道のマインドセット、安定感と安心感をどうとり扱って行くかは結構キーになる気がしてきた。
動物道のマインドセットについて
ZOOMの使い方にも慣れてきた。テレワークも少しずつ日常になってきている。
でも、どこかでこの努力はいつか報われて1〜2ヶ月か半年か、近い将来今までどおりになるという前提で頑張っているのではないだろうか。いつになったら会社にいけるのとか、学校はいつから始まるのかとか、ディズニーランド行きたいなあとか。
隣国を見ると分かるように、会社や工場やテーマパークも少しずつ再開はしているが、以前のようはなっていない。多くの方が分かっているはずだ。隣り合ったデスクはありえないしクラスの人数も授業の方法も変わるはずだ。けれどつい思い浮かべる光景は
「目指せ、今までの日常!」
だったりしないだろうか。
悲観したいんじゃなく、私達は単純にそういう癖が出るんじゃないかということだ。慣れ親しんだものに対する愛着というか安心感というか。
テレビなんかでニューノーマルという言葉がちょっとずつ浸透してきた一方で、古き良き時代の安心感に憧れている。
これには動物道のメンタリティーが強力に働いているんではないだろうかと思っている。仏教における六道の教え。動物道の領域を考えてまとめてみたい。
動物道のメンタリティ
「動物はシンプルな生き方で、自然と調和し生きている。こんな自然と寄り添ったライフスタイルを送れれば素敵だわ。」
けれど当の動物たちは必死だ。今日の食べ物をいかに捕まえるか、または外敵に食べられないようにどう逃げるか。この2つが思考の中心で生きている。家族をどう養うか、どう稼ぎ、生活基盤をどう固めていくかにとらわれる。安心や安全なんて夢のまた夢。
これは結構しんどいメンタリティだ。
だからこそ、いつ出てくるかわからない鹿を追いかけるよりも農耕で安定した食料を確保してきたし、群れや家族を作り会社やコミュニティの中で役割やルーティーンを作り、社会を発達させて都市を作ってきた。
いつものように会社に行き、仕事をして、家事をして、育児をして、スーパーにいけば食糧が手に入り、外食だってできる。25日には口座にお金が入ってくる。寒さや外敵から身を守る家がある。
忙しいことに変わりはないが、手に入れた安心感と安定感は絶大だ。
問題なのは、その安定と安心を崩すものを避ける思考が強く働くようになることだと思う。こうなると動物道のマインドに問題が出てくる。
冷静に考えれば既存のやり方がうまくいかなくなることが明らかに分かっていても、今すぐの問題ではなければ今までのやり方を繰り返すようになる。
だって今までどおりのやり方でもきっと回るから。
「とりあえずこっちの案の方が無難だよね。毎年このパターンで採用されてるしこれくらいの売り上げはきっと堅いわ。いつも通りで。」
特徴は無知。無関心だ。
「来月から、本社からきた上司が配属になって、どうも新しいプロジェクトを始めるらしい。冗談じゃない、我々は今までこのやり方で長年うまくやってきたんだ。徹底的に抵抗するぞ。」
全ての行動が習慣に基づいて行われると途端に動物道の抑圧的な感じが匂ってくる。それは時として攻撃性にも結びつくんだろう。
知ろうとしない。探究心がない。好奇心がない。
今日の餌があればそれでいい。
問いをし続けられるかどうか
感情に関しても同様だ。慣れてる感情とか、大事にしている信念とか。
たとえそれが明らかに有害なことだとしても、慣れているという条件だけで簡単にひきずられてしまうことって心当たりないだろうか。だって慣れてるんだから。次にどうなって何が起こるかが分かっているというだけの安心感に乗っかってしまう。
うちの学校はマスクは白以外は禁止です。
うちはFace to face が基本なのでオンラインなんてあり得ません。
世の中に本質を捉えていないケースは山ほどあるんだろう。慣れや経験はいつのまにかルールになり、守り、続けること何より正しいという思考というか反応が起こる。
もちろん伝統と文化は大切だ。茶道も花道も弓道も大事なことを伝え経験させてくれる。ルーティーンや、慣れているものを継続する際に好奇心と識別力が欠如すると問題に発展するということだと思う。
「もし顧客に彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。」とヘンリーフォードが言っていた。
自分は、会社は、社会は、何をしているのか、何ができるだろうか、私は誰か。問い続けていくことがキーになるのだろう。
習慣の霧の中で歩いていると本質を簡単に見失って、より早い馬の開発に力を注いでいくのだろう。質問力、探究心が成長の鍵になるはずだ。
皮肉だけども切羽詰まると学習が捗り経験に結びつく
動物道におけるメンタリティは、不確定さや不快感を避けて、新しい状況を避け、保守的になることだ。
作り上げた信念を守るということ、そこを頼りにしてしがみつくことで安心する。私は正しい。だってルールに書いてある。だってそれが正義だよ。会社を守ってる、家族を守ってる、みんなを守ってる。
先の問題に蓋をして逃避に陥り先延ばしする。
もしくは
安全地帯を侵すものには攻撃性を喜んで向けるようになる。
そのため、学習は非常に実用的なものに限られる。生きることと、それを維持することに関することで十分だ。
習慣を継続することができなくなったとき、思考と感情をどう扱うか
ただ皮肉なことに、心地よいルーティーンは自然の力で強制的に変更を余儀なくされる状況が進行中だ。
習慣的なパターンを繰り返すことが許されなくなってしまった。
よく行っていた店がなくなった。アメリカの失業率が高い。1、2ヶ月先の収入は確保できるか。正直かなりしんどい。もう逃避はできない。現実は目の前だからだ。アジア系の方への差別が増えているらしい。アジア系の店が襲われる事態も起きている。
「お願いばっかりされてもそれじゃあもう生きていけないよ。」
確かにその通りだ。。
家賃どうしよう。食費払えるかな。
だかその不安を攻撃性に転換したり、その矛先を個人や企業や政府に向けることが果たして正解だろうか。
課題はモチベーションと好奇心。可能性を信じたい。
衣食住の力強さ。肉体はリアルで生々しい。
そう、たとえテレワークが習慣となっても、私達には肉体があってそこに根差して生きていることに変わりはない。食べて、寝て、安定を築き生きていく。
毎日の掃除洗濯仕事家事育児も、決まりごとや縛りになることもあるけれど、習慣のルーティーンは生活を地に足のついたものにしてくれている。具体的にどのくらいのお金が必要で、どう事業を継続して、どう家計を維持して、どのくらい稼げばいいか。
綺麗事じゃない、これは精神性に大きく影響する。
そうだ生きることは必死なことだった。
不確定さ、不安が続くならば、無知や無関心や攻撃性が蔓延る時代が続くのだろうか。少なくとも、稼げるか稼げないか、いいか悪いか、単純な比較、判断基準が増えてくるんだろう。そのメンタリティで日常の行動を選択して、おまけにそれが正しいと信じて疑わない、その方向に陥る人はこれまで以上に増えつつあるんだろう。
何が必要だろうか。
具体的なお金や政府の援助や助成金はもちろんとして。
自分が固執した思考パターンを持っていると知っていることは非常に重要だ。
もともとテレーワークなども推奨されていたけれど、なかなか広まらなかった。状況が変わることで意味を見出しているはずだ。
動物道のメンタリティは選択肢に少しずつ影響し、選ぶ日常が全く変わってくる。じわりじわりと。
生身の体は力強く心強い習慣癖に支えられて生きている。それはありがたい。
同時に、私たちはその強力に埋め込まれたを習慣癖に気づいて自ら緩めることも可能だ。
いろんな時代を乗り切った先人達がいるし練習方法は残してくれている
私たちの紹介しているメディテーションや、瞑想の練習では、最初に呼吸に意識をおくことから初めていく。
この「おく」っていうところが絶妙なニュアンスなのだ。
初めてメディテーションや瞑想を体験される方よくあるパターンがある。
呼吸がまったく分からなくなる場合か、逆に過度に呼吸に集中をかけてしまう場合だ。
メディテーションや、マインドフルネス瞑想で、集中力を高める効果があると言われて広まった経緯もあって、このパターンからの固執にはまり込む傾向も多くある。
ここから先は坐り込んで坐り込んで、体感していく感覚なのでぜひ練習を繰り返してそのさじ加減を体感していただきたい。
素振りして素振りして、ドリブルしてドリブルして、そのちょうどいい距離感を感じていくように。
ただ、何かに固執する間は可能性が開かれていかない。シンプルに物事がいいか悪いかのどちらかだとみなす傾向なんだろう。
2600年前からいろんな時代があったと思う。平和な時代にしろ、動乱の時代にしろ、このやり方は人間の本質が変わっていないから伝わってきたし学ぶことが多い。自分の思考に気付きを広げる、新しい視点。可能性。私たちは心の曖昧さを解消することが必ずできる、と思っている。そのための練習方法はすでにある。