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永続性についてコンテンプレイティブ・メディテーション(熟考の瞑想)をしてみる

まずは医療関係者の方々に最大限の感謝をのべつつ。お部屋でできることを増やすことでエールにかえていきたい。

オンライン受講始まりました。木曜の朝7:30から8:15のクラスと、火曜夜19:00から19:45のクラス(期間限定)を担当しています。

マインドフルネス・メディテーションが流行って(?)いるけれども、それって実は基本の基本の入口の話で、そこからもっと瞑想の方法と勉強がある。コンテンプレイティブ・メディテーション。熟考の瞑想について。特に今は永続性について熟考するにはいいタイミングかなあと思っている。

今日もDavid の本を読みながら

Awakening from the daydream 

コンテンプレイティブ・メディテーションとは

コンテンプレイティブ・メディテーションとは、簡単に言えば一つの事柄について深く考えるメディテーション。つまり熟考する事で洞察力だったり先を見通す力だったりを養うことができるテクニックだ。

言うは易し行うが難し。

物事を考えるには思考の力を使う。それにはマインドフルネスメディテーションの力が不可欠だ。

そうでないと思考に捕われて終わってしまう。思考にとどまることができずに考えがとっ散らかったり、逆に思い込みを強くする危険性もあると思っている。なので取り扱いは慎重にが大前提。年単位で練習を続けた上で行うすこしアドバンスのメディテーション方法だ。

コンテンプレイティブ・メディテーションでやること

コンテンプレイティブ、何かに熟考するとは、考えとか思いとかあるテーマなどについて考えて考えて考えて考えて考えて、、、いくこと。

そうすると対象のトピックに関して馴染みがでてきて、新たな気付きがあり見解ができてくる。そしてそのトピックに関してより深く理解することができるようになる。そしてそのことは自分が物事を考えるときに、どのように考えるクセがあるのかを見通すことに繋がっていく。

天道における無常の視点について

六道における天道についていくつか記事を書いているが、非永続性にについて考えるのには天道の世界が役に立つと思っている。

六道のうちで、天道を目指すのが一番良さそうに見えるっぽいけど実はそこじゃないっていう話

楽しい、嬉しい、幸せ、満たされているにも実は注意点があるということ

なぜなら天道においては非永続性についての視点が抜け落ちているからだ。

快適で心地よい状況はずっと続くんだ、このままずっと安定してつづいていくんだと思ってしまう。桜は来年も咲くし、明日や10年後の生活を想像しながら今日も生きている。今の生活は一見安定しているようだが、無常である以上その状況も必ず非永続性の影響を受けることになるはずだ。

決してニヒリズムに陥ろうというわけではないし、あきらめて投げやりになってはいけない。

ただ心地よい状態への執着、固執は最終的には苦しみを増大させる結果になるのではないだろうか。

パラダイスを失うのはけっこうキツい。最高なハワイ旅行から帰って来てまた日常に戻れるのは、それがハワイ旅行だからだ。終わりがくるのが分かってるのが重要なポイントだと思う。

今まで幸せを感じたとき、それはずっとつづいていたか。それとも終わりがあったのか。始まりがあれば終わりがあるんじゃないか。変化しないものはあるのか。永遠のものはあるか。

無常や非永続性を熟考することは苦しみを減らすのに結果的にはとても役にたつんじゃないかと思っている。そんな今日このごろ。

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