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銃を手にしたなら迷わず撃て、社会に従順でいざるがよろしな小話
冬が予告もせずに本領を発揮してきました。ちょっと、聞いてないよ。植物たちもびっくりした顔で寒さを訴えているように見え、ぬるま湯で霧吹き。毒にならないほどの暖を与える休日の朝。
銃を手にしたなら撃ってみる
家の中でさえこんなに寒いのなら、外になんて出たらもう比喩じゃなく凍っちゃうんじゃないかと思いながらもウルトラライトダウンを仕込んで家を出る。外は、思っていたより寒くなかった。
こういうことは、たまにある。「案ずるより産むが易し」の感覚に近い。
常々、してみないとわからないことだらけだなと思う。ありきたりな表現かもしれないが、それを実感として捉えることが多くなったように思う。
社会人はみんな忙しい。忙しそうな人もいれば忙しくなさそうな人もいるけれど、きっとみんな忙しい。その中で、誰かからの許可を待つことはかなりのタイムロスなのでは?と思っている。
いくら完璧にレシピを覚えてもそれを作ることができるかは別問題である。実際に作ってみて初めて、あれがないこれがない、火が強すぎて失敗、などという実問題が把握できる。してみないとわからないことだらけだし、してみてわかることは知恵となる。
戦場で銃を持たされ「撃ち方を教えられるまで待っててね」と言われたとする。銃弾が飛び交いはじめても待ち続けている従順な者はやがて滅びる。良い子にしていても救われないことなんてざらにある。従順でいざるがよろし(よしとまではいわず、悪くないで止めておきましょう)。
撃ってみて、あぁ、そうなるのか。それならこうしたら、お、なるほど。
知恵は試行錯誤の末に自分で手にするにかぎる。わたしはこれを、骨につく学びだと思っている。人から教えられたことは身につくかもしれないが、この手の学びは骨につく。知識は身につき、知恵は骨につく。髄までしみこみ柱となり、支えるものになってゆくのだとわたしは思っている。
寒さが厳しくなりそうです。ご自愛ください。