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インターステラーを観る時はお湯落ちのマスカラをしていくな!

全部綺麗に落ちますから。

現在10周年記念でリバイバル上映されているインターステラーを観に映画館に行った。
お金と時間の関係でギリギリまで行くか迷っていたけど、2時間に1回Twitterで「インターステラー」と検索しては観に行った人の感想を見てしまうので、このタイミングで観ないと絶対後悔する…と多少の無理をして。

結果、本当に本当に劇場に観に行ってよかった!
涙で視界がぼやけて見えなかった、もはや自分の意思とは関係なく、ずっとずっと涙がこぼれ落ちていた。

本編が終わって、エンドロールが終わって、照明がつく、あの瞬間がどうしても苦手だ。現実に引き戻されるみたいで。
みんな足早に出て行かないでよ、もうちょっとこの余韻の海を漂わせてよ、通路に落ちてるポップコーンに気を取られたくないし、携帯のロック画面に見えるインスタの通知とか最悪、上書きしないで。今の私に誰も何も話しかけないで。わずかな抵抗ですぐにイヤホンをしたけど、こういう時に聴く音楽がわからなくて、とりあえずクラシックピアノ50選を検索して、ドビュッシーの月の光を選んだ。

ああ、今この瞬間も、宇宙は膨張し続けていて、138億年前、宇宙が晴れ上がった時の光が、映画館で泣いている私に届いている。
今の生活と、138億年前はたしかに、たしかに、並行して存在している。3000Kが、3Kになっても、あの時の光は138億年後に私に届いている。光が届いている、なら愛も届くはずだ。

ゴリゴリ文系の私だけど、高校の地学の授業、特に宇宙分野が大好きだった。“3K宇宙背景放射”といういかにも科学的な概念に、私は哲学的にひどく感銘を受けた。

3K宇宙背景放射を簡単にいうと「138億年前、宇宙が暗闇状態から光が通る状態になった時に排出された光が、現在も微弱な電磁波として観測されている」ということなんですが。
最初は意味がわからなかった、だって138億年前でしょって。その時の光は138億年前のもので、私はその138億年後を生きている。届くはずがないじゃないか。

でも宇宙は生まれてから、ずっとずっと外側へと膨張を続けていて、それは私が25mをクロールで泳げるようになったとか、最寄り2駅前で降りて3kmウォーキングした、とかそんな感覚じゃ比べられないくらい遠く、果てしないもので。
だからその膨張のせいで、宇宙の発生場所と地球の間にどんどん距離ができてしまって、宇宙ができた時の光が地球に届くまで、138億年もの時間がかかっているという話。
138億年かけて届いた光は、すごく微弱なものになっていて、目になんて見えないけれど、ちゃんとちゃんと確認されている。

なんて、どうしても哲学的な話みたいになってしまうけど、これはスピリチュアルとかそういうのは何も関係ない、ただの公的機関に証明されている科学的根拠だ。
この概念が、感覚的に掴めた時、私はこれで期末テストばっちりだ!とかよりも、ただただ科学に、宇宙に、感動した。

138億年前に宇宙ができた時に放たれた光が、今の私に届いている。

これを高2か高3のとき、教科書を見ながら、先生の話を聞きながら(今思えば地学の先生の説明、わかりやすかったな)、なんてロマンチックなんだ!と思った私は、インターステラーを観て、久々にこの3K宇宙背景放射とかいう心をときめかす科学的根拠を知ったあの日の気分、いやそれをはるかに超えたものを味わった。

誰もポップコーンに手をつけてはいけない緊張感ともはや団結感まであったあの無音空間、圧倒だったな。宇宙は無限大的にうつくしくて、そして残酷で、絶望的で、希望があって、無限の可能性に満ちていて。私たちの生きている地球はその中の小さな1粒に過ぎなくて、そのなかで、争ったり、悩んだりしている私たちは本当にちっぽけだ。でも、でも。
そんな私たちが日々思い、与えて、受け取る愛。

愛って形而上のものだけど、色んなものに化けて視えるようになる。愛は見えないけど、愛が見えるようにするものはたくさんある。
愛は観測可能な力。
1番非科学的で、1番科学的な理論だ。


はーーーー、良い映画だった!とかそんな薄い言葉で片付けられないので、もう少しだけ、余韻のに浸ることにします。(余韻って、真っ暗で、無音で、宇宙みたい。)

劇場で、そしてIMAXで観ることに価値がある映画と思うので、まだ観ていない方は多少無理してでもぜひ!

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