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私は私が助けるから
酸素と海とガソリンとたくさんの気遣いを浪費している。大事な曲の歌詞、その通りだなと思う。
この前、あからさまに不機嫌な態度を友人に向けられたから、私もちょっと拗ねた態度を示してしまった。そうしたら、ため息をつかれながら「なんでそうなるの」と言われた。あなたから向けられた気持ちが、すごく悲しかったからだよ、と思ったけど喧嘩になりそうだからやめた。私がただ相手の不機嫌を受け止めて、やさしさで返すことが正解だったんだろうけど、そういうとき、私の気持ちはどこに行くのだろう。
また違う人の話。最近、個人的にすっごく楽しい思い出があって、そのエピソードをほくほくと友人に話していたら、思わず伝えなくてもいいところまで伝えてしまった。それが、私の予想以上に相手を不快にさせてしまった。とても怒っていたし、傷つけてしまった。相手が怒っていたのは、私ではなく、私が話したエピソードのなかの私の知人の行動に対してで、「私はその人に腹を立てているだけで、あなたが何かを感じる必要はない」と言ってくれたけど、私が少し頭で考えて、その部分を伝えなければそんなことにはならなかった。結果論ではあるけれど、私が伝えたことで相手をすごく不快にさせてしまった。本当に馬鹿だと思う。軽薄なのは私だったけど、けっこう、割と、いや、かなり強い言葉が返ってきて、私にも刺さってしまった。私が言わなくていい部分まで言ってしまったことが発端だけど、その友人も私に言わなくていいことを言ってしまったと、思う。そうしたら、あんなに楽しかった思い出も、胸を張って楽しかった!と思えなくなってしまった。そこは変わらないでほしかった。言わなくてよかったことを言って、勝手に傷ついた私が悪いけど、私の楽しかった思い出はどこにいくんだろう。
そういうことが続いた、言葉を口に出す前に1回考えてしまう癖が多分また加速する。人と話すのが怖い。それでも人は好きだ。人が苦手で人が好き、人に会うことで色々消耗して、人に会うことで色々回復して、厄介な心だと思う。
SNSというかスマートフォンに疲れてしまった。少しだけ画面を見る時間を減らそうと思う。流れてくる誰かの言葉に必要以上に傷ついている。見なくてもいい言葉を見て、重く受け止めてしまう、すごく良くないことだと思う。というか、そう感じる。これはthinkではなくfeelが近い。私を守れるのは私しかいなくて、じゃあそのためにまず環境を整えようと、ログアウトはしていないけどホーム画面の1番遠いところのフォルダの2枚目に全部移動させた。こんなにインターネットが好きな人生なのに、インターネットから離れようと思うなんて初めてのことだ。意識的に行うデジタルデトックスというよりは、私からのちいさなSOSだと思う。気づけてよかった。自分の好きを誰かに傷つけられないために、好きでいていいものを自分で嫌いになってしまわないために、自分の好きに自信を持つために、必要なことだ。ちゃんと自分の人生を生きる。スワイプする指先を違うことに使う、私が好きなことはSNSがなくてもできる。
あたたかいコーヒーを飲みながらパンを食べること、美容部員さんとお話ししながら化粧品を選んでもらうこと、都会の夜景を見ること、水族館に行くこと、堤防から海を見ること、料理を1から作って食べること、グラタンに焦げ目をつけること、日記を書くこと、季節のフルーツを高いな〜とか思いながら買って剥いて食べること、人とおいしいものを食べること、喫茶店でゆっくり本を読むこと、車窓から景色を見ること、夕方に音楽を聴きながら散歩すること、すきな歌詞を並べること、光が入った写真を撮ること、楽しいことを想像すること