「私の育児の中のトラウマについてお話」の後編
こんにちは!ソルトです。
今回は前回の「私の育児の中のトラウマについてお話」の後編。
「トラウマ化した出来事をいよいよ克服していくお話」と「夫について少しずつ理解を深めていくお話」してきます。
私が、育児中に夫から受けた振る舞いによって数年間抱えていたトラウマを克服できたか否か、同時期に発症したパニック症のその時のお話、などさせていただきます。
前編のトラウマ暗黒期に入るお話もよければ合わせて読んでみてくださいね!長いけど。。(笑)
いよいよ来た、トラウマ克服の期
さて、それは娘たちが成長し、長女「年長→小6」、次女・三女「1歳半→小2」になった今年、その期が訪れました。
急に、夫が仕事の付き合いで九州に一泊二日の旅行に行くことになったのです。
それまでも、夫が仲間と趣味の釣りに行くために、夜留守にする、夜中の三時ごろから出かけるなどは、数回ありました。
私は、夫の息抜きに水を差してはいけないと、そのどれも快く見送っていましたが、、夜中やはり極度の不安感から起きてしまい、子どもたちの寝静まった静かな寝室で、一人動悸と恐怖感と戦っていました。
子どもたちも、今回はがっつり泊りということもあり私の不安を無意識に察してか「パパいないと寂しい、怖い」といって泣きそうでした。
私は「大丈夫だよ~!ママいるでしょ~?」と言いながら、、
(そんなこと言わないで~、、ママ頼りないよね、ごめんね)と思って少し悲しい気持ちでもいました。
今回は完全に一日帰ってこない。。
子どもたちはどんなに不安に思っているだろう、、私がパニックになったらどうしよう。。やはり、何年経ても「トラウマ」はついてまわりました。
私がパニックになってしまったら、どう対処しようか。。
私は考えました。
でも、気付いたことがありました。
数年前とは違い、私には
「何時でも連絡してきてよ」
そんな風に言ってくれるママ友が出来たのです。
もちろん、建前で言ってくれていただろうし、実際に何時でも電話できるわけではないけど、、。
常識ギリギリの時間まで本当に連絡を取ってくれそうな人でした。
引越してきたこの土地で、地域の人間性の違いを感じ周りから壁を作られ、自分からも下手に出ることなく壁を作ってきた私でしたが、、日々、ひたむきに淡々と「筋を通して生活する」ことだけを心がけてきた結果、ひょんなことからつながった人でした。
それからもう一つ、、
長女が6年生になり、下の二人も2年生になった。
娘たちは成長していたのです。
パパが遠くへ行くと知り、一瞬「え?」となっている娘たちに、わたしは自分を鼓舞する意味も込めて
「ということで、パパが帰るまで女子会だーーー!」というと
「イエーイ!!!」と三人の晴れ晴れした声と笑顔が返ってきました。
自分が言ったことでしたが、思った以上の反応に内心じーーんと来てしまいました。。(笑)
「何する?何する??」
と話し合ってる三人の顔を見て、
「ああ、、大きくなったんだな。。」と不意に実感しました。
毎日見ているのに、成長ってこういうところで感じるものなんですよね。
「私が、、私が、、みんなを守らなくては!一人で守らなくては!」
何も手伝えない何も頼れない、ひたすらお世話するだけの幼い子どもたち、、
そんな時代はいつの間にか終わったんだな~。。
その時に不意に、そんな風に一人しんみり思ったわけです。
それでこの記事を書こうと思ったわけなんですが。。
私は、私のトラウマは、、。約7年前に起きたものですが、、私がそこで立ち止まっていたわけではない。
今ここに至るまで、パニック症について少しずつ知っていき、対処の仕方もいくつか知っている、長い時間をかけて自分の体のを改善していった。
周りも7年前とは違う。
子どもも成長し、人間関係も少しづつ変わり、私を追い詰めていた環境はあの時とはいつの間にか、もう違う。。
私はこの時、それに改めて気づいたのでした。
~当日を迎える~
さて、実際はどうだったかというと、、、、結果、無事、二日間を乗り越えられたわけです。。(´▽`*)
もちろん、始めは内心ドキドキでした。
夫を羽田直通のバスが出る駅まで車で送っていき、みんなで見送りをした帰りの車の中、、ハンドルを握る私の手は痺れていました。。
(さあ、もう後戻りはできないぞ。。どうする私? やるしかないだろう?)
そんな自問自答を繰り返して、、初めて飛行機に乗るという夫を心配している娘たちをなだめながら、明るくふるまう私の顔は引きつっていました。
胸の奥がキュッとなり少し息苦しくなっていました。精神的に不安を感じている時に私の体に出る症状でした。
最悪、2時間かかる実家へ逃げればいい!今はそれができる体力は戻ってきたんだから。あの頃の立ちあかれないめまいはもうない、頻繁にフワフワ体い力が入らず気持ち悪くなっていた症状ももうあまり出てこないし!と自分に保険をかけていました。それを家に戻るまで何度か自分の中で確認しました。
夫は、7年の間に少し進歩し「連絡」を取るということをほんの少し意識してくれるようになりました。
正直なところ、、恐らく今でも夫の中身は変わっていません。
きちんとその「スイッチ」が入っていたら、以前よりはやってくれます。
「スイッチ」が切れていると、過去の再来。私と考えや行動はすれ違い思考停止・無関心の横行、、私の体を不調にさせるところまで私を追い詰めるほどの非道さです。(非道は言いすぎかな。。でもそんな勢い)
ただ今回は、夫にとっては人生初のフライトwさらに、気心の知れない人たちとの旅ということで、夫自身不安だったのでしょう。。
九州に行っても、逐一詳細まで、帰ってくるまで二日間連絡・報告がきちんと来ました(笑)
私にとってはそれが功を奏し「常に連絡が取れている安心感」でトラウマに触れないラインだったのかもしれません。
私たちはというと、、とにかく「寂しい」と娘たちに思わせるすきを与えない作戦で行きました。娘たちの好きなことでとにかく埋め尽くす!
「読書を思う存分したい!」を叶えるべく、カフェ併設の本屋さんに行き、がっつりと何時間も好きな本を何冊も存分読みました。そして買い出し後帰宅し、私も一緒に楽しむためキッチンに立たずに出前を取り、早めのお風呂のあとは、お菓子パーティーにゲーム三昧(*‘ω‘ *)
盛り上がったままみんなで就寝し、、、、気がついたら朝を迎えました。
私は不安で夜中に動悸がして起きるということもなかったのです。
そんな自分に、内心、、かなり驚きました。。
全く不安に駆られなかったかと言えば、それは違います。
その日何度も「トラウマ」が頭を出しました。
日が沈み、あたりが暗くなるとやはり余計なことが頭を勝手によぎりはじめる、、
「何かあったときに私一人で対処できるだろうか、、」
「夫のいる九州とここでは、かなりの距離があるんだ、、何かあったらすぐかけつけてられない距離なんだ、、私が今晩急に体調を崩し救急車で運ばれたらしたら、、」と、そのまま思考がどんどんと動いていきます。。
これはパニックの前兆です。
( 始まった、、ヤバい、、飲み込まれる前にストップ!!!)
と自分の意志で何とかネガティブな思考を止め、強制的に気が別なところに向くようにしました。
前は、うまくいかなかった。
前は、こんなに落ち着いてはいられなかった。。
それが今、成功している自分にもその都度人知れず、驚いていました。
今までと違うのは、、この七年で、
「私一人で背負うものが格段に減っていた」ということ。
子どもたちが、ある程度自分のことをできて、
「私がお世話をしなければ、、」
「私がご飯を作ってあげなければ、、」
「私がお風呂に全員入れて、あがった後のお世話もしなければ、、」
「私がみんなを時間までに寝かしつけなければ、、」
「私がぐずった子をあやさなければ、、」
「私が何かあったらすべて考えて一人で対処しなければ、、」
そのどれもが以前と違い、責任が「軽く」なっていたのです。
そして、、
頼らなくてはいけないのは必ずしも「夫」でなくても良いのかもしれなくなったのです。
~夫との関係・母の言葉~
私の「トラウマ」は、、
私が頼りたいと思う人が「頼らせてくれない」ということにありました。
夫の性格・人間性のものからくるものです。
私が心から「助けて!」と訴える時、分かっているかの如くそっぽを向く、気づいているのにわざと気づかないようにふるまわれ、それが自分が粗末に扱われているようでとても悲しく、とても傷つきました。
それが辛くて本当に辛くて、、何度も夫に訴えてきましたが、どうしても分かってもらえず、私はずっと孤独でした。
普段は気も合い、気さくに会話して仲の良い夫婦ですが、、バイオリズムなのか、何か、、。急にお互いの何かがうまくいかなくなる時、また、自分が追い込まれれば追い込まれるほど、もともと根本にある夫との人間性のズレが、見事にボロボロになっている私に突き付けられてきました。
倒れたところを踏みつけられるように。。
この人とは無理だ、、一緒にいると辛い。。何度もそう思いました。
ただ、夫婦ともなれば、そんな簡単に関係を解消することはできません。
私はその都度「今回もすごく傷つくのではないか。。」とビクビクしながら夫との関係ややり取りを工夫し、トライしエラーし、クラッシュしながらここまで来ました。
ここまで来ても、夫の人間性は全く変わっていないと思います。
しかし、私を取り巻く環境が少しずつ変わっていました。
今回出来事で、改めてそれに気づくことが私はできました。
私の母が、当時長女がまだ赤ちゃんだった時、そして下の二人の育児も加わり心身ともにボロボロだった時、決まって言ってくれていたのは、、
「時間が解決してくれる。みんな必ず大きくなるから、そのとききっと楽になるからね」という言葉。
「長い暗いトンネルは永遠に続くのではない。必ず出口はあるんだよ。」
ということだったのです。
母は分かっていました。
私がその言葉を少し実感できたのは初めてそういわれてから11年後。
長かったですが、あのときの私に今があることを伝えられるなら、伝えてあげたい。そして、今にもボロボロで壊れてしまいそうなあの頃の私にどんな時も寄り添って、背中を優しくさすり
「大丈夫だからね、絶対大丈夫だからね。絶対だからね。」
と言い続けてあげたいです。
( 頑張れ私、負けるな私 あなたには味方がいっぱいいるからねと。 )
まだ出口にはたどり着いたわけではないのですが、、7年前より確実に肩の荷が軽くなていることを今、実感しています。
この夫不在による不安な二日間は、思いの外、あっという間に過ぎていきました。夜中、発作で起きるかもと心配でしたが、気がついたら朝になっていました。起きた時はホッと胸を撫でおろしました。
子どもたちも、パパ不在を始め寂しく思っていましたが、二日目には「もっと女子会したかったね」と言うほど余裕を見せました。
私の人知れずですが、大きな「克服」の期はこうして呆気なく乗り越えました(笑)
トラウマ克服の第二期目
なんとその二か月後、、すぐに「克服第二期」がやってきました。
今度は、夫が県外の実家に、地元の同窓会に出るため、数年越しに帰ることになりました。今度は2泊3日。
また「女子会するぞーーー!」と気合を入れ(笑)
夏休みだということもあり、その三日間は一段と子どもたちそれぞれで自分の好きなことに時間を使うことにさせました。まず読書やYouTube、普段制限をしているゲームも許容範囲の中で比較的自由に。「夏休みでいつもより時間に余裕があるし」とあまりうるさく言わないように心掛けたので、私もこどもたちも、とても心穏やかに過ごせました。ただ、宿題や習い事もあったため、今回は比較的普段どおりの日常に近い生活を送りました。
夫は慣れている地元に帰るということもあり、前回の様な頻繁の連絡は、逆に全くなくなりました。。(笑)
午前中「ついた」と連絡があってから、お昼までポツン、ポツンとやり取りをしましたが、夕方前からはぱったりと連絡がつかなくなりました。
さぞかし、久々の同窓会を楽しんだのでしょう。
私がパニック症であることなど、おそらく、そもそも、、全く気にしていないのだろうなと思いました(笑)
以前から「連絡がつかないことがトラウマ、パニックの引き金」(前編より)と何度も夫には伝えてきているのですがね、、。
夫を束縛をしたいわけではなく、今はどうしても配慮してほしいところなのです。何をしていてもいいのですが「連絡がつく」というだけで私が抱えてしまう不安感や症状に対して、私の安心材料になってくれるわけです。
まあ、、それが伝わっていないのか、私の症状を軽く見ているのか、、。
なんだか、ここまでくると、ちょっと笑えて来ますね(笑)
私って本当に雑にあつかわれているな~~~ハハ~~
あいつどこまでアホなん、どこまで自由なんだよ~~
そりゃ~そんだけノビノビ生きてたら、病気とかしないわけだよねーーー
とね(´▽`*)
まあ、ここまでで「済むようになった」というのも私にとってはとても大きな進歩でした。
ここまでこれたのは、体のコンディションを少しづつ整えてきて、子どもたちも成長し、頼れる環境がほんの少しできたら。
次の日まで全く連絡が取れず、さすがに子どもたちも気にしていましたが、、
結果、彼は同窓会の記憶も途中からなく、どうやって帰ったのかも覚えていなく、、気がついたら、なぜか実家の布団で寝ていたそうです。
ホント自由な奴ですよ(笑)
こうして、周りの心配などお構いなしに、拍子抜けるほど彼は自由人なのです。
武士の様な育ちの私には、いろんなことが理解できず、日々の頑張りもガン無視で、こうしてグルんぐるんと振り回されて、勝手に体がおかしくなってきたわけです。
やっぱり、笑えます。。
「釣りしてゆっくりしてくるわー」と余分に一日泊まるといっていたのに、その夫の一日は二日酔いで台無しになっていたわけですがね、、(笑)
案の定、彼とはまた連絡がほとんどとれませんでした。
3日目のお昼に「今から帰るね」と連絡が来ました。
私からしたら、ここ↑も本当に進歩です!
夫から「帰るね」と自主的に連絡が来るようになるなんて!
伝わりますか!?本当にこれ進歩なんです!(; ・`д・´)
彼も彼のペースで、多少なりとも歩み寄ろうしているのです。
あの自由すぎる夫が。歩み寄ろうとしている。。!?(笑)
やべ、笑えて来ます。
だから、、私は、彼をずっと一方的に「悪」とするわけにはいかないのです。
私も譲歩しないといけない。。と思うのです。
パートナーとして、お互いのことをお互いが理解していく。。
それは私だけが主張することではなく、私も取り組まなくてはいけないことなのだと思うのです。。
結果、、克服第二期も驚くほどスムーズに、、「パニック発作」やその前兆である「大きな不安感」に襲われることもなく乗り切ることが出来ました。
まだ二回の成功体験ですが、、私にもこういう時が来たのかと感慨深いものがあります。
この小さな成功体験をいくつも積み重ねていくことは、「パニック症」の克服につながっていく正当なプロセスです。
人知れず、私はこうして「克服」への挑戦をしています。家族もあまり知らないけど、、私は少しづつ「元の自分」へ戻っていく努力をしたいと思います。
またまた長くなってしまったので、、今日はここまで(;^ω^)
次回は、後編の後半、、このお話の神髄になるかもしれない「夫を理解していく」ということについてのお話。
以上、ソルトでした(^ω^)
前編のお話の記事↓↓↓