ついに読書の習慣が途絶えました。
最近、引っ越しをして
本が段ボールの中にしまったままになっている。
だからだろうか、最近本を読んでいないことに気づいた。
引っ越してから3週間が経とうとしている。
今までは、読書が趣味ランキングに躍り出るくらい本を読むようになっていた。
どこか出かけるたびに、どの本を持ち歩こうか吟味していた。
このとき↓から嘘偽りなく、本を習慣的に読むようになったのだ。
読書家の人たちには到底及ばないが、気づけば大きめの段ボール1箱にぎゅうぎゅう詰めくらいの量はあった。
でも引っ越してから、まだ一度も段ボールを開いていない。
つまり、自分の本たちが視界に入ることがなくなった。
今までは本棚に整列された本たちを毎日眺めていたから、
自然と本を気にかけていた(?)し、パッと手にとって持ち歩くことが容易だった。
でも、いざ段ボールに閉じ込めてしまうと途端に私の脳から読書という行為が抜け落ちてしまったのだ。不覚だった。
私は普段から「本を読みたい!」という気持ちが湧き起こるほど、読書に依存していたわけではなかったということだ。。
ショック、というよりは、改めての自覚で、
私はきっと自分の視界に入るものにその時の意欲を刺激されすぎちゃうところがある。
やらなきゃいけないことの有無に関わらず、
隣にパソコンがあったらパソコンを開いてみたくなるし、
天気が良かったら散歩したくなるし、
note書いててもメールの通知が来たら返信したくなるし、
誰かが見ていたら集中できないし、
汚い部屋を見てたら片付けたくなる、、ことはないんだけど(クソ)
今その瞬間にその行為をする意味があるかどうかに関わらず、手を伸ばしちゃうところがある。つまり理性よりもその瞬間浮かんだ本能が勝ちまくっちゃう。
昔から何かを計画的に進めるのはすこぶる苦手。てか人間はそういうものかもしれないけど、この歳になってこの傾向はあまり良くないと思っている。
話を戻すと、私の読書までの思考回路は
暇だから本読みたいな!
↓
本を手に取る
ではなくて
暇だな、何をしようかな
↓
キョロキョロ
↓
あ、本があるな。カフェでも行くか。
↓
本を手に取る
であったりとか、
カバンの中を見る
↓
前入れていた本がある
↓
そうだ今日は何の本にしよう
・・・
という思考の流れが多かった気がする。いわば外的要因が多い。
つまり段ボールに眠ってしまっている現在は、視界に入ることはないので「本があるな、読みたいな」という意欲が湧かなかった、ということである。
確かに確かに。
内的要因(自発的)に「何かをしたい!」って思って継続的にやれる人ってすごいな。
「何かをしなければ!」でちゃんとそれに取り掛かれる人もすごいな。
私はその環境を用意しないと本当にできない。
だから家で仕事をするのもめっちゃ苦手。何かをしたい時は基本家を出る。
noteも、実を言うといつなんどきでも書くわけではなく、noteを書く時間と書きやすい環境じゃないと手が付かない。
「なんか今は違うな」という感情に支配されているわけだ。。
性格診断で例えると
感情をコントロールしている ○ ○ ○ ○ ● 感情にコントロールされている
↑ピンポイントここですね。ここ。絶対ウケ悪いわ。(
まあでもね、結論といっちゃあなんだけど、
「3週間で思いだすくらいの温度感では、読書が習慣化していた。」
ということだわ。笑
十分十分。
原因が解明されたなら、本を側に置いたらよろしい。
感情にコントロールされるなら、
感情をコントロールしている奴ら(私の場合は環境)を
コントロールしてやる!!!
・
・
・
と、いうことで取り出した本。↓
大学時代、まさにこの京都の桜疎水の近くに住んでおりまして。
お!と思い購入したのが数年前。
短編集なのですが、一番最初の章だけ読んでそのままになっていました。笑
久しぶりに読み進めようと思います。