世界史紹介シリーズ2-時代を変えた感染症、ペスト-
教科書レベルの世界史をふんわり時事と絡めつつ紹介しようという試みです。第2回のテーマはペストです。14世紀に当時の西ヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやった感染症です。
コロナ禍で再注目され、カミュの小説『ペスト』を読んだ方も多いかもしれませんが、ここではあくまで教科書に載っている内容だけをベースに紹介していきます!
西暦1000年〜1300年頃、西ヨーロッパは安定と成長の時代を謳歌していました。封建制度という、地方の有力者と家臣の主従関係を基礎とする社会制度が上手く機能していたのです。日本の時代劇で描かれるような感じの社会です。また、この時代は概ね気候が温和で、牛馬耕や水車など技術の進歩も相まって農業生産が増大し、人口も飛躍的に増加しました。余剰生産物を使っての交易活動も盛んになり、商業や貨幣経済も発達しました。これにより、農民や都市の市民が力をつけていきました。
しかし、1300年代に入ると何故か気候が寒冷化し、人々は凶作と飢饉に苦しみました。それと関係してかどうか分からないのですが、謎の感染症ペストが流行し、人口の3分の1がペストで死んでしまったのです。ペスト流行の兆候は、街中で大量のネズミの死骸が見つかる所から始まりました。今でこそそれがネズミが媒介した感染症であると分かっていますが、それすら分からなかった当時の人々はさぞ恐れおののいたことでしょう。
更に、この時代には、何だかんだ理由をつけての戦争も数多く起こったため、飢饉、疫病、戦争の三重苦で大量の死者が出て社会不安が増大し、人々が社会的少数派に不寛容になり、ユダヤ人などが激しく迫害されました。
「社会不安が増大すると人々が少数派に不寛容になる」というのは合理的ではないと思うのですが、歴史上何度も起こって来た事実なんですね。
大量の死者で労働力が不足したため、生き残った農民・市民の待遇は上がって力をつけました。しかし、社会全体としては余裕が無くなり、国王が権力集中を図ったため地方の有力者は没落し、西ヨーロッパは絶対王政の時代へ向かいます。
「神様を信じてるのに救われないじゃないか!」ということ(多分)で、キリスト教聖職者の権威も失墜しました。教会の汚職・腐敗も批判の的となります。教会は異端審問や魔女狩りを積極的に行って対抗?しましたが、かつて太陽に例えられた程の権威が戻ることは、二度とありませんでした。聖職者の権威が失墜したこともまた、王様の一人勝ちに繋がりますね。
いやー、暗い笑
気候変動、疫病、この辺りは人間のコントロールをはるかに超えてますよね。だとすれば、戦争を起こさないことや、あてつけで少数派を攻撃したりしないことの方に、エネルギーを使った方が良さそうです。
コロナ禍には出口の光が見えて来たように思います。コロナがもたらす時代の変化が、良い変化でありますように。。。
それでは、今回も読んでくださってありがとうございました!
追記: 世界史紹介シリーズ第1回も良かったら読んでみてください。こちらは明るい、古代ギリシアのお話です。
第3回、第4回も力作なので良かったら!
追記の追記
ちなみに!その後も長い間、謎の感染症だったこの病について、最初に「ペスト菌」を発見したのは日本人の北里柴三郎さんなんですよ!これは「世界」史の教科書にも載っている重要な歴史です!1894年(日清戦争の年ですね)にペスト蔓延中の香港に派遣され、そこで発見したらしいです。彼は他にも、破傷風菌の抗毒素発見や血清療法の開発など、医学・細菌研究の領域で偉大な功績を修めたため、1901年にノーベル医学生理学賞も受賞してます。まだアジア人差別の強かった時代に異例のことだったそうです。これは誇らしいですね。
ただ、今では「近代日本医学の父」「感染症学の巨星」として知られている彼ですが、当時は恩師の論文を否定・批判したことを理由に東大閥・日本から冷遇され、まともな研究環境を確保するのすら大変だったみたいです。彼を救ったのは私立慶應義塾大学の福沢諭吉さん。その繋がりから彼はその後、慶應義塾大学医学部の創立者兼初代学長、慶應医学会初代会長、慶應義塾大学病院初代病院長を務めることになります。また、日本医師会の創立者兼初代会長も彼だそうです。私はライバル大学の出身なんですが、正直、福沢諭吉も慶應義塾大学も、かっこいいっすね!笑
今年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんの日本国籍剥奪の件についてもですが、広く深い視野で人間の幸せを考えた研究に、日本政府にはもっと柔軟に投資して欲しいですね。そしてそういう政治をして欲しいです。