今日も言葉の群れを編む
今日も言葉の群れを編む。
3年前に見た日食。
あの頃は、月から溢れる光くらいに微かで危ういわたしの輪郭を、どうにか保つために、そのためだけに言葉を並べていた気がする。誰かに投げかけていた言葉も結局は自分にむけていたような。
今日も言葉にできずに消えてしまいそうな、心の震えや光と影の記憶を巻き戻して、私の時計の速さでもう一度、再生する。
進みの遅い秒針で再びはじまる今日は、なんだか少し張り切っている。私だけが2回目の今日。行き場を失った曖昧な感情をひとつずつ拾いあげては、収まりのいい言葉に編み直す。
編み物も言葉を書くことも、間違えがないから好き。ただ、ほどいて納得のいくまで編み直せばいい。効率とか正しさとか、むつかしいことは "ひとまずおいといて" 何度でもやり直せる優しさがとてもありがたい。
そうして私の描く今日という模様ができあがる。
だけど、言葉にしたくない時もあった。
駆けるように舞っていた2枚の落ち葉を見て高揚したあの時も、弱っていた時、電話越しの親友の穏やかな声に包まれて安らいだあの時も、土曜日の午後5時からひとりで夕ご飯を作り始め、優越感ににんまりしたあの時も、ライブで投げかけられた彼女の詩に不意に弱いところをつかれて泣きそうになったあの時も。
風が吹くたびになびいてしまう風船のように、日々とどまることなく揺らめき続けているこの心。それを断片的なこの瞬間に、この文字という平面的で形式化された直線と曲線の造形では写しきれないと思った。私の感じた実態のない心の揺れ動き全てが言葉という記号に置き換えられ、それが他者に意味で割られてしまったとき、それはもう私の捉えたものではなくなると思った。
言葉にできないと思った。この神秘を伝えきれないと思った。
また、言葉は人を傷つけると言う。例外なく私も沢山の人を傷つけてきた。鋭利さを理解した上で意図的にそれを放ったこともある。はたまた、周りの話すペースや周囲の状況変化についていけず、整理しきれていない頭の中を無理やりあさくって出てきたそれらしき言葉を鷲掴みにし、放り投げて誤解を与えたことなんて数えきれない。今も顔を合わせ続けてくれている人の中にも、謝りたい人が沢山いる。だから、怖かった。言葉で人を傷つけることも、傷つけている自分も。
そうしていたらいつしか、言葉を話す人も怖くなった。
「どうせ言っても伝わらない。」
数年前によく口にしていた、諦めのようにも聞こえるこの言葉。けれど本当は、ただ怖かっただけなのだ。引っ張り出して繋げた言葉の水面に映る自分の感情が、誰かの目に歪んで映ることが。そうして傷つけ、傷つけられることが。
こうして臆病になればなるほどに、感じた違和感や悲しさ辛さを正確に伝えようと、とにかく考えるようになった。けれどそれは、さまざまな事象と時間が重層的に絡まり合っていて、どんな形かわからず結局、言葉にできなかった。
また、言えなかった。
けれど今日、分かったことがある。
それは、たったひとこと、悲しい、それだけでも充分だったのだ。例えそれが、心の様子に360度から美しく光を当てられていなくても。
だから、わたしは今、言葉にしたいと思う。
地球に生まれて心を持ってる私とあなた。全部なんて分かりっこない。生まれてきた場所も日付も、踏んできた家の床材も、触ってきたタオルケットの柔らかさも、キッチンから聞こえる包丁のリズムも、めくってきた本のページも、全部、ぜんぶ違うんだから。
きっと、私の想像する海とあなたの思い浮かべる海は少し違っている。けれどどこか、ちっぽけでちいさなところでも、ささやかに抱き合えれば。
わたしはそんな神秘を感じていたい。
だから私は今日も言葉の群れを編む。
そしてこれから先(2024/11/01〜)書いていく文章は主にメンバーシップでお届けすることにしました。鍵をかけるような気持ちで。
私のカメラを持たない、普段の生活のエッセイや、その中で生まれている日々の絶え間ない(笑)思案やインテリアやヴィンテージ、暮らしの日用品やショップなどの偏愛記録、加えてみなさまからのお悩み相談を文章にて、定期的にお届けします。また、ゆるりと近況などをラジオにて配信していきます。
ここに書いた言葉すべてを一緒に抱き合えるわけではないけれど、ささやかにでも、それぞれの日々の中に生きる何かを、見つけてもらえると嬉しいです。