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Day20:難が有るから有難い

今日で「書く習慣1ヶ月チャレンジ」、記念すべき20日目です!わーい!
残り10日…。意外と早いものですね。ラストスパート、と言ったところで実際にスパートをかけるわけではないですが、気を抜かずに頑張ろうと思います。

最近考えているのは、果たしてこのチャレンジが終わったら、noteをどう続けて行こう?ということ。毎日書いていたのに、30日間終わった瞬間に書くことを辞めたら、今までの習慣が勿体無い。何かしら書こうとは思っています。
とはいえ、最近は「時間が足りねえ!」とも思っています。特に平日。まあ仕事しているから当たり前なんですが。帰宅して、ご飯を食べて、お風呂を入って、色々やること済ませたら、もうあっという間に22時とかで。日付が変わる前に寝よう、と思うと、残り2時間しかない。ゲームもしたいし、シナリオの勉強もしたいし、手帳いじりもしたいし、本も読みたいし…。本当、24時間って足りない。

先日、こんな記事を書きましたが、これを書いてから、ライトノベルを読み返しています。時間泥棒…。読み返して、セリフを結構覚えているものなんですよね、自分。大好きな作品だったので、当時は何回も読み返していましたから、当然のことなのですが…。「懐かしいなあ、読んでいた時はあんなことがあったなあ」と、思い出にも浸ってしまうので、当分ライトノベル沼からは抜けられなそうです。

さて、「書く習慣1ヶ月チャレンジ」20日目のお題は、「これまでで1番の後悔」です。

後悔って、難しいですよね(というかわたしはいつもお題に対して「難しいですよね」ってずっと言ってるな…)。
私は、「後悔」は時間が過ぎて、その時を振り返った時に「後悔」だったな、と思えるものだと思うんです。多分、のちに「後悔」したと思う事象が起きたその当時って、そんな「後悔する」とか考える余裕なんてないと思うから。自分のことを冷静に、客観的に振り返った時に初めて、「後悔したな」と思えるものだと思います。まあ、字を見てそのままですけどね。

些細なことや大きなことまで様々な後悔、あるよなあと振り返りましたが、一つ書こうと思ったのは、「人の死にちゃんと向き合う」ですね。

私が小学2年生の冬に、曽祖母が亡くなりました。私にとって、初めて「身近な人が亡くなった」ということを経験しました。絵本や、本で、「死ぬ」ということを私はなんとなく知っていましたが、実際に直面すると、「怖い」という感情が大きくありました。

そして、火葬し、火葬が終わって骨を拾うとき、私は怖くて、その場に立ち会えませんでした。自分の知っている人が、骨になっているという現実に、絶えられなかったから。私より年下の妹や、従姉妹は逆に普通でした。多分、まだ小さくて、「死」ということがよく分かっていなかったから。

大きくなって、私はあの時、ちゃんと嫌でも向き合えば良かったと思いました。
大きくなって、身近な人が亡くなって、その時初めて骨を拾うという場に出くわしたときに、流石にもうその場に立ち会わないということは出来ませんし、初めて骨をみるのが、例えば親だとしたら…、正直、どういう思いになるのか、想像がつかなかったからです。あの時、嫌でも、怖くても、向き合えば良かったと思いました。

私が社会人1年目の時、私の祖父が亡くなりました。
死に目には間に合いませんでした。
あと2日仕事をすれば仕事納めで、帰省する2日前になくなりました。

私はその時はじめて、骨を拾いました。
それまで、たくさん泣いたけれど、なぜかその時は、涙が出ませんでした。
それよりも、「意外と骨がちゃんと残ってるな」とか、「意外と大きかったんだな」とか、「あんなことがあったな」とか、色々なことを思い出しました。

そのあと、私はお葬式で弔辞を読みました。
(東北は、火葬の後にお葬式をする習慣があります)
途中で涙声になったので、なんか後半はすごい訛って読んでいたみたいですが、参列者からはとても良かったよと言ってもらいました。
(せっかくなのでちょっといい感じの文章にしようと思ったり思わなかったりしていたのは内緒です)

後悔がない人生って、ないと思います
もちろん、後悔の大きさは様々だと思うけれど。
でも、その後悔が全て悪い方向に進むわけではないとも思います。

高校時代に、たしか家が寺院の先生がいて、その先生がこんな言葉を教えてくれました。

「難が有るから、有難い人生。難が無ければ、無難な人生

有名な言葉みたいですが、当時の私はなるほどなあと思いました。
確かに、何も障害もなければ、その人生は平坦な道ですよね。
でも、そんなつまずきそうな石ころもない道を、人ってずっと、ずっと歩めるんだろうか? と。

壁が道の途中で立ち塞がって、壁が超えられないから、休憩したり、寄り道したりして、その壁を乗り越えて、そんな人生だからこそ、「辛いなあ」とか、「面白いなあ」とか、思えることができるんだろうな、と。

これからも後悔すること、たくさんあると思います。
でも、後悔することがダメなんじゃなくて、後悔した時、そこからどう次に進めるか、が一番大切な気がします。


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