祝。難病を克服しました。
紗也香です。
前半に続き、
後半難病への経過、闘病の際に向き合ったこと、綴っていきたいと思います。
髄膜炎と診断され
一週間ほどの入院と言われていたのが、
脳炎の意識不明へ。結果1ヶ月半ほど入院しました。
意識を取り戻し、落ちた体力を回復させるのに、リハビリをしていた頃。
左目の奥に痛みを感じました。
「なんか目の奥が痛い。」
数日後には左目に白いモヤがかかるようになりました。
病院の先生に伝えた結果。
🧑⚕️「ここは脳外科なので、眼科に行って下さい。うちの病院には眼科医がいないので、退院して他の病院に行って下さい。」とのことでした。
リハビリも完全でない中、
急遽退院。
久しぶりの外。世界が衝撃でした。
電車の音、トラックの音、人の音全てが騒音で、普段の10倍うるさく聞こえて、この世は騒音が凄かったこと。
普通に歩けてた道が、
10m歩いては、休み、10m歩いては休み。
(リハビリも兼ねて)
今までと感覚が違い過ぎて、ちょっと興奮してました。笑
そして、眼科のある近くの病院に行って、
またMRL検査と血液検査や目の検査三昧。
結果、別の病院でも難病の可能性もある。
大学病院で診てもらって下さい。
とのことでした。
体力も落ちていたので一人暮らしは不可能と判断。
兵庫の実家に帰って、大学病院に行くことになりました。
大学病院でもまた、MRI検査、腰からの激痛の注射、血液採取、目の検査。
この検査三昧ほんと大変よね。。
待ち時間は長いし、
健康だったらまだ耐えれても、体調も悪いし。そして、付き添いもほんと大変。
双方の大変さめっちゃ共感します。
検査三昧をしてる頃。
次は右目の奥に痛みを感じました。
嫌な予感がする。
そして、数日後右目も見えなくなりました。
目が見えないことの不自由さと
難病かもしれないという恐怖。
このまま失明するんじゃないかという不安。
朝起きる時、目を開けるのが怖かった日々です。
↓その時のストーリー
体力は徐々に回復していても、
一人で歩くこともできないくほど、
最終的には目が見えなくなりました。
検査の結果は
🧑⚕️「多発性硬化症という自己免疫疾患の疑いがあります。判断基準となる免疫のアクなんちゃら(忘れた)が陽性です。」
「目の回復については、ステロイドを点滴投与する治療しかありません。」
「目が回復してもまた再発と回復を繰り返し、最終的には失明する方もおられます。」
「自己免疫疾患なので、長年かけて徐々に身体の機能が低下します。今の医療では進行を遅らせる治療法があります。
年々薬も進化してますので、症状を遅らせることは将来期待できますが、完全な治療法はありません。」
「5年以内に再発しなければ、大丈夫だと思います。%としては50%くらいだと思います。」
とのことでした。
そこから、「再発したらどうしよう」との恐怖との戦いの生活が始まりました。
検査結果を聞いた時が1番視力が落ちていたので、本当に気持ちも滅入ってたんです。
やぱ暗い世界は怖いです。
姉に迎えにきてもらい、
母と姉に病名の報告。
弱音を吐いて泣きじゃくる私に、
姉も泣きながら
「もぉ大事な人を失いたくない。
紗也香がそんな弱気やったら再発するよ。」
「原因不明の病気は原因不明で治るよ。」
と言ってくれました。
原因不明の病気は原因不明で治る。
たしかにー!!!と思って、
目は今は見えなくなってるけど、50%の確率って言われてるし、まだわからんやん!と希望を持ったのを覚えています。
末期癌の人が余命宣告されて、
だったら、やりたいことやろうと思い、アフリカに旅に行った人が、
癌克服したエピソードを知りました。
難病も克服した人ぜっったいにいるはず。
西洋医学で治せないだけで、
東洋医学やったら治せるかもしれんやん。
と思い、調べまくりました。
ステロイド治療は大量のステロイドを打つことになるので、他の身体の機能も下げてしまうため、本能が嫌と言っていました。
しかし、一週間後には、ステロイド治療の入院が待っている状況でした。
「多発性硬化症 克服、完治」を徹底的調べ、
・中国医療針
・難病克服センター
が検索ヒット。
家族会議🧑🧑🧒
あーし👩「ステロイド打ちたくない。
中国医療針で治したい。」
お父さん👨「アホか。お医者さんが言うことがまず大切や。」
お母さん🤱「一回中国医療針行ってみて考えたら?」
ということで、
中国医療針に急遽行くことに。
ハリセンボンのように太い針を打ちまくり、電流を2時間くらい置いたのかな。
この治療も完全回復ではない私には中々苦痛でした。
針も太いし、痛いし。病気を治すという目的がなければ、避けたい痛みです。笑
ですが、次の日なんとっ!!!!
朝起きたら目が少し回復している気がしたんです!!!!😭✨
嬉し涙ぎゃんぎゃん😭
ステロイド治療の入院をキャンセルして、
中国医療針に専念することに。
中国医療針の鍼灸師も寄り添ってくれて、沢山励ましの言葉をくれました。
院内は難病や奇病の方も多くいらっしゃって、小さい子供もいて、皆闘病してる姿に励まされました。
治療中も本を耳で聞いて、自己対話する私に先生も本気になってくれ、沢山サービス針を打ってくれました。
2019年12月、2020年1月
世の中は新型コロナウィルス🦠が中国で発覚して、大騒ぎ。の時期でした。
感染症に怯えながらも、通いましたね。
ほんまに私はステロイド打たんでよかったと思います。
これ打ってたら免疫ただ落ちで、
仮にコロナとかなってたら、それこそ免疫エラーで再発してたかもしれん。
振り返っても
①運の良さ
②当時の選択
③家族のサポート
に感謝です。
そして、難病発覚から1ヶ月半後。
目はほぼ視力を取り戻しました。
家族でイルミネーションを見に行って、
綺麗に見れた感動を一生忘れないと思います。
本当に美しかった。
目にこんなに感謝できたのは初めてです。
甥っ子、姪っ子と♡
ただ、体力の回復は時間がかかるもんで、やはり多忙になると
・痺れ、頭痛
・目の掠れが起きる
・風邪を引いたらややこい(自己免疫)
その度に、
再発するんじゃないかと怯えていました。
危なくなったら、病院へ行き、検診を受け、再発ではないですね。と言って下さる事に、自信に変わりました。
そう思えば、本当の意味で心身ともに元気を取り戻すのに、5年かかりました。
だから、お医者さんの「5年再発しなければ大丈夫でしょう。」という言葉。
5年は治療にかかる。という意味でもあったんやな。と振り返れば思います。
沢山泣いて、沢山弱音を吐いて
沢山点滴と注射ぶっ刺し、腕が針の痕だらけで。
そんな腕も頑張った証で愛おしいです。
支えてくれた家族、友達、仕事の方、各病院の先生。
全ての方に心から感謝申し上げます。
おかげさまで、
再発なく5年目を迎えることができました。
病魔に打ち勝ったぜー!!!
いぇーい!!嬉しすぎるー!!!
次は病気というきっかけから
・変えた生活
・変えたマインド
・思い込み、カルマの昇華など
綴っていきたいと思います。
本当にありがとう。私の肉体。