嫌いな人を心から消す方法
私には今、嫌いな人が5人います。
1人は遠方にいるので会う事はありませんが他4人はこの近所に住んでいます。
顔を合わせたくないと思いその人たちの家の前を通りかからないように気を付けていますがそれでも我が家の前を通りかかられたり、車ですれ違ったり。授業参観でバッタリ会ってしまったりします。
そうすると心がどうもソワソワしてイライラしてきてしまいます。
皆さんもそういった人がいませんか?
嫌いな人がいる原因
直接的な原因を考えるとまず私が新潟に引っ越してきたからだと思います。
私たち家族は夫の転勤で転々としてきました。自分たちが希望してわざわざ田舎に居を構えるようにしてきたので、富山に住んでいた頃も、新潟でも地元民からの疎外感は大変きついものでした。
ある人は私たち夫婦の車を傷つけにわざわざ自宅に来たり
ある人は子どもを使って「デブ」と言わせたり
ある人は近所のおじさんと不倫したくて私をダシに使いました。
しかしそんな事されてもそうそう引っ越しもできませんし、夫の職業も子ども達や自分たちの学歴もすでに得たものですので変えるわけにはいかないのです。
だからと言って相手に
「お前ら頭おかしいんか?性格変えろよ!」
と言えるわけありませんしたとえ言ったところで
「そうねー。じゃこの邪悪な自分の性格を変えるね♪」
とは絶対にならないですよね。
そして相手にだって「生活」がありますし、この場を去ってもらう事もかなわないからです。
ならばどうしたらよいのでしょうか?
自分の心に深く問いかける
私はまず、
「なぜ私はこの人たちの事が嫌いなのだろう?」
と考えてみました。
車を傷つけられたり、不倫のダシにされたり、デブと言われたりしたことにとても腹が立ちました。私が相手に対して何かしてしまったのか、とも考えました。
車を傷つけたおばさんに対しては、子どもが同級生だったのですがうちからDSのカセットを何個も盗んでいったので
「もうお付き合いしたくありません。」
とはっきり言いました。
不倫のダシ女に関しては、息子の高校合格発表日に
「ねぇ?受かった??高校。落ちてないか気になってさー」
とLINEしてきたので
「あなたの不倫相手とのピロートークに息子を使われたくないのでさようなら。」
と言って友達を消去しました。
子どもにデブと言わせた親ですが、子ども達の性格と素行が非常に悪く(近所の方に挨拶をしない、道路で自転車やローラーブレードを蛇行運転、暴言を吐く、他人の家で行儀が悪い)何度か直接その子ども達に注意したことがあります。その腹いせで陰口を言ってくるようになりました。
しかしそれは他人の事。
私も口が過ぎたのは反省しています。
でも私の心にずっと残ってしまっているこの気分の悪い根は何なのだろう?
もう過去の事なのに。
なぜだろう?と更に突き詰めてみました。
1 私たち家族の生活を見てひどく嫉妬している
2 私のはっきりものを言う性格がむかついている
3 太ってるくせに態度もでかい、よそもののくせに
こんな感じだと思われます。
2と3は自分に突き付けられた課題だということが見えてきました。
かなり改善の余地があります。私の性格と体格に問題があるのですから。
3に関してはほぼ無くなっています。嫌いな4人とは一切関わり合いを持たないようにしていますし、体重も減りましたし(笑)
1は仕方ないと思います。みんな隣の芝生は青いのです。自分ところよりも他人のお宅の方がよく見えているのでしょうね。
でもみんな必死で生きている事には変わりがないのになぜ優劣をつけたがるのでしょうね。私も以前はそうでしたが。
私は比較するのもされるのも大嫌いですが、自分と他人を比較して優劣をはかり生きがいとしている人間がいる事も事実として受け止めなければと思うようになりました。
2に関しては特に私の至らなさだと思いました。
仏教では「身口意(しんくい)の三業」という言葉があります。
自分の心の中(意)が態度(身)や言葉(口)に現れるため、収めてコントロールせよ、ということだと認識しています。
これができていないことが原因の1つだと考えるようになりました。
あとの原因は仏教でいうなら「苦諦(くたい)」と「諸行無常」です。
人間は生きている時すべてにおいて悩み苦しみながら生きていることを自覚する事です。自分だけ苦しみから逃れられません。だからこそ過去にあった出来事を掘り返して「瞋(じん)怒りの気持ち」をわき起こし今一生に1度しかない通り過ぎていく時間を無駄に過ごすなどナンセンスです。
1秒でも心地よい時間を増やすべきだと思いました。
そして時は移り変わります。時間とともに過去の記憶は薄れゆく。
その人の犯した罪は積もって悩み苦しんでしまうのでしょうけれど、私は記憶から忘れればいいだけの話です。
数年前我が家の車を2台とも派手に傷つけた近所のおばさんは、子どもが盗み癖がある事を放任していたため、高校で同級生の財布を盗んでしまい学校から停学処分を受けた後、結局退学してしまいました。地元ではトップの進学校の理数科に意気揚々と進学していったのに・・・。
近所のおじさんと不倫した女性も、子どもに「デブ」と言わせた女性も家庭内不和があり夫が家を出て行ってしまいました。子ども達も学校で問題ばかり起こしています。
そうして皆、人に悪い心を持って行いをなすとより一層険しい悩みを抱え人生を送らなければならなくなります。
私がそこでするべきは、その人たちの事を考える事ではなく
「自分の心を清らかに保ち、人に悪しき心を持たないために仏門を学ぶ。宗派関係なく法話を聞いて方便を得る。」
となりました。
さて。
今日は久しぶりにウォーキングをお休みして、法話をたくさん拝聴いたしました。
私の最近のお勧めは高野山の法話です。
とても話がわかりやすいです。心に語り掛けられているような気がします。
たくさんありますので自分の悩みや考え事に合わせてサムネを見て視聴するのもいいと思います。
皆さんも何か悩みがあったり、苦しかったりする時はまず自分の心にある原因をしっかり見つめてみてください。
何が原因で今の気持ちになっているのか、そしてどうすればこれを解決できるのか。
ぜひじっくり考える時間を作ってみてください。
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