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留学経験もない僕がニューヨークで一年生活してみた件について

いやー、どうもどうも。

久しぶりの投稿です。いやー、緊張しますね。
前回の記事を読みましたが、その時のテンションで書き上げた感じが満載で、読み返すと恥ずかしくなりました。
全体的にかっこつけてて、さすが僕だなあって感じでした笑。

さて、なぜに久しぶりにnoteに舞い戻ってきたかと申しますとですね・・・

渡米して一年が経ちました

そうなんですよ、奥さん。2021年の5月3日にニューヨークに到着しましてね、一年経過したのですよ。
しかもね、何を隠そう、この僕。

留学経験も無いのに単身ニューヨークに乗り込んだ男

なんですよ。
そんな男がね、2021年の5月の頭にニューヨークへ単身乗り込んできたわけです。家族も友人もいない、異国の地・経済の中心地・ニューヨークへ。

本来であれば2020年の5月に渡航予定だったのですが、コロナの影響で延期。そこから一年間、インターン先の東京オフィスで就労することになって、一年越しのチャレンジでした。
その時を待ちわびていましたし、東京に拠点のある企業で良かった、ラッキーだったなと思います。

まあそんなわけで、この一年間の総括を書き留めておきたいなと思って、一念発起しまして久方ぶりのnoteに舞い戻ったわけです。

これから何かに挑戦したい方、海外に興味がある方、アメリカが好きな方、それ以外のすべての方で僕がこれから書くことに興味があるぞという方はしばしお付き合いください。

2021年5月

2021年5月3日、ジョン・F・ケネディ国際空港に降り立ちました。ニューヨークに来るのは3回目。一回目は小学校低学年の時、二回目は2016年?のひとり旅、そして今回です。
そもそも今回ニューヨークに来たキッカケは、J-1ビザインターンシッププログラムに申し込みまして、約一年半ニューヨークで就労するためなのです。

当時はまだ日本にワクチンが行き届いてなかったこともあり、空港・飛行機はガラガラ。羽田空港まで送ってくれた心優しい元同期・元同期カップルに見送っていただき、飛行機に乗りました(カズヤ夫妻・ブンコさまありがとう)。
飛行機の中で聴いたのは、椎名林檎の「人生は夢だらけ」シング・ストリートの「Drive it like you Stole it」。興奮してほとんど眠れなかったです。

そんなこんなで話はJFK空港に戻って・・・
最初はクイーンズ区(★)のシェアハウスの一室で暮らしていました。
部屋には僕も入れて、日本人三人で住んでいました。

★豆知識のコーナー
同市内には5つの区(マンハッタン区、ブルックリン区、クイーンズ区、ブロンクス区、スタテンアイランド区)があるため、同市を指してthe five boroughs(ファイブ・ボロース、五区)と呼ぶことがある。

Wikipedia

5月はとにかく慣れるのに必死であっという間に過ぎ去った印象です。
まず、ニューヨークは基本的に電車移動なのですが改札が日本と違う。
クレジットカードをかざして構内に入れる手段もありますが、僕が使っているのはメトロカード。

改札の溝にスライドするのですが、この速度が速すぎても遅すぎても通れないというまさに感覚値を探る感じなので、最初の一か月は何回も改札のレバーに阻まれてスムーズに入れなくて恥ずかしいなあ・・・と思っていました。

それでも、待ちに待ったニューヨークの景色は如何とも形容しがたい風景でした。街の様子や雰囲気は日本のそれとはまったく違いますし、古いアパートから新しい商業ビルが混在する建物がつくる景色、南北・東西を碁盤の目のようにつなぐマンハッタンの都市構造によるまち全体の”抜け感”は、僕にとってすごく新鮮でした。

銀行口座開設

まずは給与振り込みのための銀行口座開設をしました。
予約から実際の窓口での相談もすべて英語。英語チャレンジの最初の難関でした。
予約した日時に指定の店舗に行くと、「ここで待ってね」てな感じで入口近くのソファーで待たされるわけですが。この時も不安でいっぱいです笑。
「大丈夫かな・・・」
「変な口座開設されないかな・・・」
「アジア人だからってテキトーに対応されたらどうしよう・・・」
こんな不安が頭をめぐっていました。
が、
そんな心配は取り越し苦労に終わりました。
担当の女性は優しく、すんなりと口座を開設することができたのです。
必要情報を記入し、仮のバンクカードを受け取って、
「Have a nice day, sir」と笑顔で言われて
ぎこちない笑顔で「I relly appriciate it, you too」と返したあの瞬間。
ミッションをコンプリートした達成感・高揚感で銀行の出口を開けて、
7th Avに出たあの瞬間・・・

アメリカ来た~!!!!!!

とテンションが爆上がりしました。
そして、マジでなんでもできるな・・・という全知全能感を味わえました。

その後、IDNYCカードの申請や、ニューヨークでのワクチン接種を完了させるなどさまざまなミッションをこなしながら仕事もしつつ、あっという間に一か月が過ぎたのでした。


2021年6月

なんとなく生活にも慣れてきた6月。
前半は仕事にはまだ余裕があった時期なのでいろいろと観光もしました。
セントラルパークやブライアントパークなどマンハッタン内の公園をめぐったり、クイーンズに住んでいたので、クイーンズ近くのブルックリンのグリーンポイントというエリアで散歩をしたり、僕にとってはTHE・マンハッタンであるタイムズ・スクエア夜の華やかな電飾の下を音楽を聴きながら歩いたりと、まさに「はじまりのうた(Begin Again)」の主人公になった気分でした。この主人公ごっこをできたあたりから、

どうせ異国だし観光地だし
みんな自分のことに夢中なので
僕も他人を気にせず
好きにやっていいや

と思えるようになってきました。

また、大谷選手が所属するロサンゼルス・エンゼルスがニューヨークのヤンキースと対戦する試合があったので、ブロンクスにあるヤンキー・スタジアムに試合観戦に行きました。

その日は大谷選手が大暴れしてくれた日で、ホームラン2本打ってくれました。すごいや、オータニサン!

6月中旬から後半にかけては、これから書く7月の大きなイベントの準備もあり仕事がかなり忙しくなってきました。
この頃から、日系の会社で働く、住む場所も日本人しかいない、でも住んでいるのはニューヨーク。英語をもっと伸ばしたい、でも日本語も大好き(ぼくはお笑いが大好きで落語も漫才も観劇しに寄席に行ったりするくらい)・・・と、自分の目指していた(投資した)ゴールと現状のギャップに悩み始めていた時期でした。
でも、この悩み・葛藤は7月~8月に繋がってくるのです!

2021年7月

さあ、7月です。ちなみにニューヨークの夏は暑いですけど、日本の夏ほどジメジメしていないので「暑い!」ですけど、汗ダラダラで過ごしにくい・・・ということもないです。

7月は仕事でとある大きなイベントがブルックリンでありまして、7月頭から8月中頃までほぼ毎週末ブルックリンの商業施設に通っていました。
そのイベントの目的はニューヨークで活躍する日本人ミュージシャンを応援することだったので、たくさんの日本人ミュージシャンにお会いすることができました。さまざまなバックグラウンドをもって長年アメリカ・ニューヨークで活動されているミュージシャンの方々のお話はどれも刺激的で、このタイミングでこのようなご縁があってとても幸運でした。

お会いしたミュージシャンのなかで特に印象に残っているのは、とある日本人ミュージシャンのバンドメンバーでピアノを演奏されているブラック系アメリカ人の方でした。
恥ずかしながら、生まれて初めてジャズを生で鑑賞しまして、特にその方はリーダーのギタリストの方のリズムに合わせようとリーダーを演奏しながら見つめているのですが、ずーーーーっと笑顔なんです。

ずっと、笑顔。

その楽しそうに演奏される姿を見て、

”楽しい”に勝てるものなんてないんだな

と強く思いました。

そのとき、このイベントの準備と運営でかなり忙しかったのですが、忙しいと見失いがち(目の前の業務をこなすことに意識が集中してしまう)な、「楽しい」って感覚を見失わないようにしなきゃ・・・と思ったのです。


2021年8月

なとぅ(夏)、です。
2021年8月は自分にとって大きな転機でした。
クイーンズからブルックリンへ、引っ越したのです。

理由は、
もっと英語環境に身を置きたかったから、そして人生のなかで日本人以外の人類と共同生活をしたという経験を得たかったからです。

そんなこんなで引っ越した部屋(リビング)はこんな感じ。

大家のBarryとTomの3人で暮らしていましたが、Barryが10月?くらいに急遽田舎で仕事を見つけたとかでどっかに行ってしまい笑。
いまはJacobとTomとShinyaの3人で住んでいます。

ここまで住んでみての感想ですが、僕はブルックリンが大好きです。
ぼくはプロスペクトハイツというエリアに住んでいるのですが、マンハッタンまでは電車で約20分ほど。閑静な住宅街ながら、近くに大きな公園(プロスペクトパーク)や美術館(ブルックリンミュージアム)もあり、とても生活がしやすく、何より街全体がお洒落なのです。

特に好きなのは、このグランドアーミープラザという名の広場に聳え立つ凱旋門のようなオブジェ。

このグランドアーミープラザが、プロスペクトパークの入り口で出迎えてくれるので、ランニングでプロスペクトパークを一周し、最後の辛い坂道を終えたあとに「ああ帰ってきた」と思えるのです(ニューヨークに住んで、「帰ってきた」と思える場所がある尊さたるや・・・!ハレルヤ・・・!」)。


2021年9月

まだまだ残暑続く9月。
9月はイベント盛りだくさんでした。

まず、ニューヨーク市内を抜けて、ロングアイランド島にある「シオセット」という街でバーベキューパーティーに参加しました。
「おやおや、都会の喧騒を離れ、一路自然溢れる田舎へと向かいましたよぅ」と、滝口順平さんのナレーションが聞こえてくる電車(ロングアイランド鉄道)に乗り、シオセットに到着するとそこはまさに「レディ・バード」よろしくな風景が広がっており、ニューヨーク州の広さを感じました。

バーベキューでは熟練のお兄さんたちに頼りっぱなしで、僕は食べる担当と家族連れの方々の子供たちの相手を(小学生低学年くらいのお子たちだったので僕の圧倒的な体力を駆使し、追いかけっこなどのお戯れをした)させていただきました。

バーベキューの中盤にかけて、誰かが持ってきたフリスビーに夢中になってしまいました。
最初はお子たちも混ぜてフリスビーを楽しんでいたのですが、参加する大人たち(20代半ばから30代半ばたち)が段々と本気モードに突入し、ぶっちゃけ、その場にいる実際の子どもよりさらに子どもになった”おとな子ども”がフリスビーをエンジョイしまくったのです。年齢も職業も違う大人たちが少年のようにフリスビーを楽しんで、原点にして頂点の感覚を改めて体感しました。

身体使って汗かいて遊ぶって、最高ぅ!

小学生のころ、毎週末ナオキくんとタイキくんとトムくんに「公園で遊ぼう」と電話をかけていた自分が蘇ってきました。
あのときはありがとう、みんな(優しく電話を代わってくれた彼らの親御さんたちもありがとう)。

全米オープン

そしてもう一つの大きなイベントは全米オープンに行きました。
テニスはそこまで興味がなかったのですが、ニューヨークでやるからと当時仲の良かった日本人のお兄ちゃん的な人が誘ってくれたのでした。

テニスの知識がないながらも、ラリーが続いた時の手に汗握る緊張感だったり、サーブを打つ前の静寂はテレビで観るより遥かに鮮明でしたし、すごく良いものを観たなと思いました。
また、コロナの完全復活前ながらも会場には多くの人々が来場しており、その様子を日本の友だちに送るとすごく驚かれたのを覚えています。

そして、9月に誕生日を迎えて29歳になったのでした。
20代最後の年にアメリカに来れたこと、健康で元気にニューヨークで生活できている状況に感謝をしながら、

本当に来れて良かった!

と、心から思いました。
現状を叶えた僕の決断と努力、そしてその現状を支えてくれているすべての要因に感謝しています。

2021年10月

さすがに半袖は寒いね・・・ってな感じで10月に突入です。
実はこれまで書いてきたさまざまな経験の裏で、怒涛のように忙しい日々を送っていたのでした(日記を読み返すと、夜中2時までオフィスにいた日があった・・・戦慄迷宮ぢゃん・・・)。

なのでいろんな仕事が重なり、10月はあまり外出できませんでした。
が、そんな中でもニューヨークのお隣・ニュージャージー州に住むお兄さん的な日本人の方のお部屋に一泊お泊りする機会がありました。
ちょうどマンハッタン島と川(ハドソン川)を挟んで向かいにある場所(ホーボーケン)に住んでいる彼を訪ね(尋ねるといってもバスで30分ほど)、アメリカンダイナーに行き、ハンバーガーを食べました)。

毎月ガンガン遊んでいたら、遊べたときの高揚感は薄まるってことで・・・11月の感謝祭(サンクスギビング)編へバトン繋ぎます。

2021年11月

さてぇ。11月はアメリカの大型連休である感謝祭ウィーク(サンクスギビング)があるので、アメリカ国内旅行へ行きました。
でも旅行以外にもニューヨークをたくさん堪能したのでした。
順に紹介しましょう。

11月1日:NBL(プロバスケ)観るぞ、コノヤロー!

マディソンスクエアガーデンで、ニューヨーク・ニックスの試合を観戦しました。
これまたバスケットボールの試合観戦自体が初めてだったのですが、観客のボルテージもあって大興奮。
正直ルールはよくわからなかったですが、それでもスラムダンクを読破した程度の知識で十分楽しめますし、なによりスリーポイントシュートが入ったときの興奮(あえてエキサイトと言わせていただきますよぅ by ジェラードン)は凄まじく、周りにの日本人以外の観客と合わせてスリーポイントが入った瞬間、席から立ちあがり「うおー!」と叫んでしまったのでした。

新しい僕らしさを感じた瞬間

でした。

11月7日:ニューヨークシティマラソンを応援するぞ、シャーコノヤロー!

ルームメイトのTomからメッセージが。
「ニューヨークシティマラソンを沿道から応援するけど、よかったら一緒に参加する?」
正直、迷いました。
ルームメイトとはいえど、他人は他人。
別にそれまで二人きりで出かけたことはないし、キッチンやリビングで顔を合わせても世間話程度。
今までの僕だったら断っていたと思います。適当な理由をつけて。
でも、行った方がどうせ楽しいというオチを29年かけてようやく学びはじめた時期でもあったので、
「おもしろそう!行くぜ」と返して、混ぜてもらうことにしました。
(僕も、誰でも誘ってみんなで楽しむ精神を大事にしたい)

これまた初めてのマラソン応援でしたが、めっちゃ楽しかった!
日本の駅伝の中継なんかを観るとみんな比較的穏やかに「がんばれー!」って感じでしたが、ニューヨークシティマラソンの応援(沿道)は、めっちゃ自由でした。
まず観客は、応援したい人やランナーたちへの応援看板などを作って持参していました。
「Hi-five Energy Station」とか「Look! My Cats」とか。
ランナーへの応援でガンガンみんなハイタッチするし、ビール飲ませようとする不届き者もいるし笑、友だち来たらみんなハグして応援するし、とにかく自由でした。

衝撃でした。

例によってルームメイトのTomも、「This Way」と書かれたプラカードを持って、本人曰くGoofy(おちゃらけた)な格好をして応援するんだと意気込み、派手なパンツと派手な帽子をつけて、応援していました。
アメリカ人はまず基本的にめちゃくちゃ声がでかいので、僕も大声で応援してみました(最初は慣れなくて恥ずかしい)。
大きな声で、「Go! Runners!」とか「You can do it!」とか叫んで応援するんですよ。Tomからボードも借りたりして(Tomの彼女ちょー綺麗だった)。
したらねー、そうなんすよ。

めっちゃ気持ちいいんですよ

大声で応援するってめっちゃ気持ちいいし、こうやって応援されたら絶対フルマラソン走れるだろうなと思いました。
なので、その日にマラソンを走りたくなっちゃったんですよ。アメリカにいる間に。ニューヨークにいる間に。
Tomと一旦バイバイして、古着屋に向かう途中で「ブルックリンマラソン」が22年4月に開催されることを知って、その日にエントリーしました。
まさか自分がアメリカに来てフルマラソンに挑戦する時がくるとは。
人生ってのはどうも。これだからおもれーんだから。
果たしてぼくは無事に42.195kmを走破できたのか?
五か月後をお楽しみに・・・。

11月12日:ブロードウェイを観るゾ

クレヨンしんちゃんよろしくなオープニング。
そうなんです、なんだかんだニューヨークで生活しだしてからブロードウェイ観てねえなってなって。
「CHICAGO」観ました。
いやー、めちゃくちゃ良かった・・・・。
やっぱり演者さんのエネルギーをビシビシ浴びると刺激になりますし、当たり前ですけどやっぱりブロードウェイってナマモノなんだなって思いました。
個人的には、開演前のアナウンスで「Welcome back, everyone」との声に観客がマスクを付けながら「Hoooooo!」と大拍手・大歓声で、ブロードウェイの復活を祝っていたのが感動的なシーンでした。

11月21日:大感謝祭でラスベガスとグランドキャニオンとか自然系まるっと制覇したろけぇ!

ささ、お待たせしました。
11月のメインイベント。
サンクスギビングに行った、ラスベガス&グランドキャニオンなどの自然をめぐる旅行ぅ!

ラスベガス

映画「ハングオーバー」「オーシャンズ13」の舞台でもおなじみ、ラスベガスに行ってきました。
各ホテルにはとにかくカジノ・ギャンブルが溢れるギャンブラーが狂喜乱舞する街・ラスベガス。
とにかく僕は連れのお兄さんとカジノに行くのが楽しみで仕方なかったのです。
ベラージオ・シーザーズパレス・パリスラスベガス・バリーズなど著名なホテルのカジノをちょっとずつ楽しみました。
結果・・・

大勝ちしました(※初日の夜は)。

ぼくはオーシャンズ13みたいにバカラやルーレットは楽しまず、基本スロットを楽しんでいました。
日本でパチンコやスロットを楽しんだことがないので詳しいことは言えないのですが、MAXのベット金額が低い台(掛け金の金額が最小に近い台)でフルベットしてスロットをすると当たりやすい感覚がありました。
※台によって、$100は最低必要・$200必要、みたいな感じで掛け金が台によって変わる。

でも、その大勝ちで味を占めた翌日。
ギャンブルって怖いですね。

一気に当たらなくなりました。

ギャンブルについてはプロの方が攻略法など解説しているのである程度の勝ち筋があると思います。
でも、僕なりの結論は・・・

「勝とうとしたら、儲けようとしたら勝てない」

です。
初日の夜、なんであんなに大勝ちできたかってたぶん「初めてのラスベガス初めてのカジノで、とにかく楽しかった」からだと思います。
だからやっぱ、

「楽しいには勝てない」

なんだと思います。

モニュメントバレー・グランドキャニオン・アンテロープキャニオン・セドナなど

自然系は正直、百聞は一見に如かずなのでご覧ください笑。

圧巻ですよねえ・・・。

2021年12月


さて、年末です。
いよいよ2021年も終わり。
正直、この時期あたりからいよいよ仕事が非人道的な量になりつつあったので(蟹工船を彷彿とさせる。プロレタリア革命起こしたろか言うてますけども)、お出かけすることが難しくなっていました。
だがしかしBut(なつかしい)、
年末年始のニューイヤーズイヴにパーティーをしたのでその件についてお話ししたいと思います。

12/31:Let's Party!

年末年始は日本に帰らずにとりあえずニューヨークで過ごすことは確定していた中で、でも日本人の友だちや数少ない現地の友だちは実家に帰ったりしちゃうからどうしようかなあ・・・と悩んでいたところで、
そこで出会った、Billという名の青年から「31日にニュージャージーで年越しホームパーティーがあるけど来ない?」と嬉しすぎるお誘いが。
二つ返事で、「Yeah, I wanna go(い・・・行ぐぅ!)」と回答し、年末ぼっちを回避しました。

大晦日は、中国人と台湾人と日本人の男女8名くらいでワイワイガヤガヤドンチャンするTHE(ジ)・ホームパーティーに参加しました。
ホスト(主催)のカップルがつくる豪華な料理とともに、各自が持ち寄ったワインなどのお酒を飲み食いしながら、宴もたけなわとなりつつみんなで簡単なボードゲームをしたり、トランプゲームをしたり、いわゆる”飲みゲー”のようなゲームをしました。
個人的に感動したのは、「Never have I ever」というクイズ形式のお戯れができたこと。
海外ドラマや映画で登場キャラクターたちが楽しんでいた遊びを、実際に英語を使ってできる現実が僕の人生で起きるとは・・・。

小さいことですが、そういった成功体験の積み重ねを実感できたときに
「ああ、やっぱ来てよかったな(帰りたいと思う瞬間も多々ある)」
と思うのです。

それ以外にも、英語版の山手線ゲーム(世界共通なのかよ)をやったりしつつ、夜中の0時前になったらタイムズスクエアのカウントダウンの様子をテレビ中継で観ながら、「スゥリー・トゥー・ウヮン! ヒャッピーニュフイヤァァー!!!!」と叫びながら、みんなで新年を迎えることができました。
夜中1時過ぎに、PATHトレインに乗ってマンハッタンに戻り、そこから乗り換えで自宅(ブルックリンが自宅・・・!)に戻ったのでした。

2022年1月

いやあ、明けちゃいましたね・・・。
新年早々に、日本人の駐在の方が主催するホームパーティーにお呼ばれされながら、少ないホリデーはあっという間に終わりました。

★豆知識のコーナー
アメリカは年末年始にほとんど休みません・・・。
元旦明けからすぐ仕事スタートが一般的のようです。
・参照:

はい。
先ほど「明けちゃいましたね」とやや悲観的に新年を飾ってしまったのは理由があるのです。

仕事が鬼のように忙しかったから。

ぼくは一社目が大手広告代理店勤務、二社目がテック系外資系ベンチャー、三社目が現職(代理店勤務)なので、ある程度の激務は経験をしています。
それでも。
組織の人数に対して案件量が多すぎて、僕も含めてメンバー全員が瀕死状態にありました。
そのような状況下でも、引き受けた案件は最後までまでやり切らなくてはならない・・・と、もはや個々人の責任感でどうにか業務を毎日こなしていました。

そのような毎日でも、アパートのドアを開けると今まで見慣れない景色が広がり、日本以外のさまざまな国籍の人々が通りを行き交う様子を見るたびに、「異国にいてファイトしてるんだ」と自分に言い聞かせられたのは、やっぱり渡米してよかったなと思いましたし、でも同時に「こんな状況のために渡米しにきたわけじゃないよな」とも思っていて、理想と現実とのギャップに苦しんでいました。

もっと英語がうまくなりたい

これに尽きるのです。
たくさん聞いて、たくさん話して、たくさん伝えて、たくさん伝わらなくて、ボディランゲージも加えて、身振り手振り・・・で、ようやく伝わって・・・。
この「伝わった」感覚は何度経験しても刺激的ですし、やっぱ純粋に楽しいし嬉しいです。
なまじっかな日本語の語彙力、ワードセンスで独特な言葉遊びに興じることに頭がいっぱいで本質が伝わらない日本語の会話をするのがアホらしくなります。
それぐらい外国語の習得って難しいし、時間もかかりますが、コミュニケーションの原点に立ち返られる環境に身を置けたことは僕にとって大きな財産だと思います。ああやっぱり脱線した笑。

ハードワークな中でも何度か外食はしたのですが、僕はご飯の写真をあまり撮らないので、共有できるビジュアルはございません。悪しからず。

2022年2月

引き続き鬼のような忙しさです。
鬼多忙(きたぼう)状態でした。
なんでかってゆーと、3月末に終わる案件のイベントやプロモーションの実施時期が2月ばかりだったのです。
文字にするとカッコイイことを書きます。

週末にロサンゼルスに入って週明けにハリウッドでのイベント対応を終わらせ、そのままとんぼ返りで(レッドアイ=深夜便)ニューヨークのマンハッタンのオフィスに戻って、その翌日にミッドタウンイーストで行われるイベント対応。それを終えたら翌週のブライアントパーク近くの会場で行う別イベントの準備と対応をしながら、イーストハーレムでの取材対応立ち合いをしました(一例)。

いや、もうええわぁ。

さすがに僕の中の和牛・川西賢志郎も出てきますよ。
マジで「もうええわ」状態でした。

村人A「え、でも暇より良くな~い?」

僕「じゃかましいわ!(伝説の剣で首を切りながら)」

それくらい余裕なかったっす。村人の悪気ない一言にもボスキャラ倒す剣で思いっきりぶっ叩くくらい余裕なかったです。
でも、マジで忙しさの底を見せてくれたおかげで、20代最後に自分の中で大事にしたいことに気づけたし、ニューヨークに住む・働くを通して気づけたことが、これから僕が生きていくうえでの指標となりました。それは、次のページ(しくじり先生よろしく)。

他人に期待しない
言うは易し行うは難し / 不言実行
(Action speak louder than words)
自分の機嫌は自分でとる
誰にでも平等である
チャンスを逃さない
今日が一番若い
YOLO(You only live once=たった一度の人生)
「まあいいや」と思う

もっとありそうな気がするのですが、この辺で。
とにかく生き易くなりました。
とにかく以前は勝手に自分でめちゃくちゃ生き難いようにしていたので、それがこのタイミングで、少なくとも自分で自分の首を絞めちゃうときの”縄”は持ち運ばないようにできているので笑、大きな進歩です。
一歩踏み出そう、二歩三歩、チンポ(ジョイマンより)
ああ、お笑いって素敵だな・・・

2022年3月

前半まではだいぶ鬼多忙(きたぼう)状態だったのですが、その案件も徐々に終わりが見え・・・。

自分、よくやった!感動した!(小泉純一郎)

3月下旬に、嬉しい仕事がありました。
一社目の同期で特に仲のよかった男の子と、僕と同じくアメリカでファイトしている(僕より先に渡米しているので彼女は先輩であり師匠)女の子と一緒に、サンフランシスコで何年かぶりに会って(女子は仕事でちょこちょこ会っていた)、仕事ができたのです!
いやー、感動した。
さらに嬉しいことに、自分が一年目で配属された当時の先輩(めちゃくちゃ尊敬している&渡米の際に相談にのってくれた)も含め尊敬する一社目の先輩アベンジャーズの方々とお仕事を久しぶりにできたのです。
この久しぶりの再会が、僕にとっての働く意味や”やりがい”を再確認できたので本当にみんなに会えてよかったなと思いました。やっぱ自分は、ここなんだなって辿り着けたんです。

誰かのために仕事をしたい

その「誰か」は、尊敬する人や圧倒的に優秀な人などその時々のビビッとくる人によって定義は変わっていくのですが、結局僕にとって仕事のやりがい=人間関係なんだなと。
収入のためとか地位のため(キャリアを築く)とか、自分のためって視点だけだと、僕の場合、やりがいを感じないんだなって思いました。

「この人を笑わせたい」
「この先にいる消費者を驚かせたい」
「この人の想いに応えたい」

海外に来て、こういった自分のなかの根幹をようやく・なんとか見つけることができたのは、やっぱり孤独な時間が増えたからだと思います。

西加奈子はとある対談で、「寂しさと孤独は違う」という哲学者のことばを引用しています。

孤独=自分との対話をすること

東京にいたときは、ほぼ毎週末誰かしらと会っていたし、孤独を誰かと過ごすことで消化していました。
それが渡米してからはそれらの関係が物理的に絶たれたことで、一気に「ひとり」になって、孤独の時間が増えました。
最初はそれに慣れなくて苦痛で、日本にいる友人たちとLINEビデオ通話していました。
でも、時差的にも何度もできないし、生活に慣れるのに必死で徐々に「孤独=寂しい時間」と認識しなくなりました。それはたぶん、東京にいた時より意識して日記をつけていたからだと思います。

日記をつける習慣は良い

その日に自分が何を感じたかの記録があると、何か重要な決断をするときにすごく役に立ちますし、読み返すと、だいたい書いてること(特に愚痴とか)同じなんすよ笑(ひろゆきの言い方)。
なので、イマココの感情とか気持ちとかを整理できるのと、過去の自分がどう思っていたかを振り返ることができる(かっこよくいうと・・・)

過去の自分と話せる

ので、かなりオススメです。

まあそんなわけで、今月も多分に脱線しましたが、人生初のサンフランシスコはすごくよかったです(坂道の多いこと急なこと・・・)

2022年4月

さあ!いよいよ4月になりました!
草木も芽吹いてきて、極寒なニューヨークも徐々に春めいてきて、コートの出番はほとんどなくなってきました!

はい、そうです!案件が落ち着きました!

支えてくれたみんな!ありがとう!!!

いやー、やっぱり4月にもなるとね。

「もうすぐ一年経つじゃん」

って意識に支配されて、「今までにできたこと」より「今までにできていないこと」についつい目がいってしまうのです。
が、こうやって、ここまでで約一万二千字くらいになるくらい

いろんなこと経験して、いろんなこと学んで、成長してるわ!

よし。ありがとうございますね、ほんと。みなさんのおかげです。

さあー、皆さん4月です。覚えていますか?この渡米一年を華やかに飾るビックイベントが控えています。

Tomと一旦バイバイして、古着屋に向かう途中で「ブルックリンマラソン」が22年4月に開催されることを知って、その日にエントリーしました。
まさか自分がアメリカに来てフルマラソンに挑戦しようと思うときがくるとは。

2021年11月より

初めてのフルマラソン

42.195kmを走る。
書くだけでも疲れます。
「フルマラソンに挑戦する」とだれかに言うと、何人かからは
「ドMなの?」と聞かれることがありました。
正直、ドMではありません。し、ドSでもありません。
なんだろ、マラソン走るってニュースで観たことあるし、ぼくの尊敬する従弟もやっているのを聞いたことあるし、でもなんか自分がやるとは思ってなかったのですが。

やっぱアメリカ来てるし何かいろんなことやりたい

って純粋な気持ちに、ニューヨークシティマラソンの光景が刺激材となってマラソンエントリーをできたんだと思います。
ぼくはPRよろしく「人生初」が好きなのです笑。

これは走ってみて気づいたのですが、

マジ辛いです、はい。

なんかね、想像のうん千倍辛かったです。
初心者あるあるらしいのですが、前半「あれいけるんじゃね?」と思って20kmくらいは余裕で走っていたのですが、23kmくらいから一気にきつくなりました。足も上がらなくなり、限界を迎えていよいよ歩きはじめてしまったのです。いちど歩き出したが最後。もう「歩く」が楽すぎて、「走る」を放棄したくなるのです。

そーーーなったらもうおしまいよ。
「歩く」→「止まりたい」→「座りたい」→「寝たい」→「芝生で横になりたい」で、あっという間に

「やめたい」

という気持ちに支配されていました。
そのコースの憎いところは、一回ゴール地点の公園(プロスペクトパーク)を一周させて、公園の外に出させて、南下させて、そこから折り返しで公園に戻って来させるというルート。
なので、一回経由する時点で「どうせここに戻ってくるならここでやめたほうが楽だな」という気持ちになるのです。
さらに、そのゴール地点の公園は自宅に近いので、棄権してそのままサクッと帰ることができるのです。

時はきた。さあ辞めるがよい。

僕の中のアキラメール・ベキ3世が、どんどんどんどん諦める方に心を揺さぶってきます。
正直、26km時点で「やっぱマラソン想像以上にきつかったです。足の爪も剥がれそうだったし(嘘)、これが最後でもないのでまた挑戦すれば良いかなって。良い予行練習になったと思って、はい。」と、ゴールで出迎えてくれる予定であった職場の方々への言い訳を考えていました。

沿道の観客がほとんどいない寂しいエリアにも差し掛かってきて、いよいよ辞めようかなと歩いていたその時。スタッフジャージを着ているお兄さんが僕の目をまっすぐ見て、

「Don't Give Up」

と言ってくれたのです。Never Give upはよく聞くけど、「Don't Give Up」って真正面に人から言われたのは人生初。シンプルな言葉にストレートな応援の気持ちが込められた一言が、諦めかけていた僕の心に火をつけてくれました。

「確かに諦めるのってめっちゃ簡単だもんな」

疲れすぎて、気づいたらそう口に出していました。
幸いなことに、前半飛ばした貯金もあって、制限時間(6時間以内)にはゴールできそうだし諦めたら勿体ないなと思いなおして、そこから徐々に「走る」を再開しました。
沿道のお姉さんのクッキーに助けられながら、走る・歩くを繰り返して・・・。

42.195km・フルマラソンを完走しました

っしゃ!完走した!
これ以降、このnoteは42.195kmを完走した・偉業を成し遂げた人間が書いたnoteとして読んでください笑。

マジで諦めなくてよかったです。

この、「諦めなくてよかったです」と言えるのは、諦めずにゴールしたから言えるのであって、いや本当にもう。

マジで諦めなくてよかったです。

マラソンをやってよかったこと

  • ゴールする瞬間の達成感がエグすぎる

  • 42.195km中・ゴール直後の水がうますぎる

  • 応援のありがたみに気づける

  • 身体の限界を知れる

  • 達観できる(あれ以上きついこと中々ないよな)

マラソンに挑戦してみたくなった方は、初めてのマラソンはアメリカで走ることをオススメします

あっという間の一年でしたネ

いやー。ここまで文字にして14,000字程度。
あっという間でしたね笑。

やっぱ書いてよかったです。
それこそ途中、飽きて「やっぱ辞めようかな」って思ったんですけど。
マラソンより遥かに楽なので笑。
マラソン中のお兄さんの言葉が脳内反芻して、ここまでたどり着くことができました。
一年間の軌跡・それからその時々で感じた気づきや想いの共有にお付き合いをいただいた皆様、貴重なお時間をいただきまして誠にありがとうございます。まだまだ未熟な私ですが、同じように悩んでいる方々へ向けて、簡単ではありますがエールをお送りして、このnoteの締め括りといたします。

海外に行くべきか悩んでいる方へ

どうせ行くことになるので、すぐ行きましょう

挑戦したいけど勇気が出ない方へ

どうせやることになるので、すぐやりましょう

やる・やらないで悩んでいる方へ

一旦、やってみましょう

Action speak louder than words ってことで。

最後に問題です

一年間で映画を何本紹介したでしょう?

最後までお付き合いいただいて、ほんっとうにありがとうございました!

おわり


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