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書評:ギュスターヴ・ル・ボン『群集心理』
社会学的見地からの合成の誤謬論
今回ご紹介するのは、ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』という著作。
群衆の心理というのは、果たしてそこに属する個人の感じ方、考え方、行動の仕方の集積と言えるのであろうか。これが本著のテーマである。
そして実は著者のボンは、この点について非常に悲観的な見解を持っている。
具体的には、「群衆を構成する集団のうちには、各分子の総和や平均のようなものは少しも存在せず、種々の新たな性質の発生とその配合がある」と看破してみせる。
それはまた、「知能の作用においても無意識現象が有力な役割を演じる」ということだと主張する。
そして、「集団的精神のなかに入り込めば、人々の知能、従って彼らの個性は消え失せる。異質的なものが同質的なもののなかに埋没してしまう。そして無意識的性質が支配的になる」と考える。
群衆は言わば、知恵ではなく凡庸さを積みかさねるのだ、というのがボンの見た群衆の姿であった。
それゆえ、
◯意識的個性の消滅
◯無意識的個性の優勢
◯暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換
◯暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向
これらが、群衆の中における個人の主要な特性であるとする。群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自身の意志を以って自身を導く力のなくなった一個のの自動人形となる、と言うのだ。
即ち、群衆は知能の点では単独の人間よりも常に劣る、という主張と言い換えることができるかもしれない。
以上が本著の論旨だが、これはあまりに悲観的な言い種ではないかと思われた。
例えば、群衆とまで言わないでも、皆で協力すれば知恵も湧くし、1人ではできないことをも達成していくことができる、という考え方も世の中にはある。
いわゆる「三人集えば文殊の智慧」というものだ。
実はここで私が挙げたような集合賛美論は、温いヒューマニズムならいざ知らず、社会科学的には自明のことではない。
例えば、私が以前に投稿した、『「みんなの意見」は案外正しい』という著作がある。そこでは、集団知・集合知は、一定の条件を満たす時に初めて高確率で「良い」意見を生み出すと統計的に主張しうる、と主張されていた。
その「一定の条件」を再掲すると、
◯多様性…各人が独自の私的情報を多少なりとも持っていること
◯独立性…他者の考えに左右されないこと
◯分散性…身近な情報に特化し、それを利用できること
◯集約性…個々人の判断を集計して一つの判断に集約するメカニズムが存在すること
一目見てわかるように、これは非常に難易度の高い条件であるり
ボンの主張と前著での主張では、その結論に180度の開きがある。これは、人間集団が上記条件を満たせなかった時には、ボンの言う「群衆」になってしまう、というように読むこともできるということなのかもしれない。
即ち、集団が知恵を発揮するのは簡単なんことではない、と科学は主張する。そのハードルは実は非常に高いんだということ。
我々はどこか片隅にでもこのことを念頭に置いておく必要があるのかもしれない。
読了難易度:★★☆☆☆
群集知悲観度:★★★★☆
光明見出し度:★☆☆☆☆
他の研究とのコラボ興味深さ度:★★★☆☆
トータルオススメ度:★★★☆☆
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