書評:中上健次『枯木灘』
地縁的・血縁的で束縛的な人間関係に生きる生々しい生
今回ご紹介するのは、日本文学より中上健次『枯木灘』。
中上は戦後生まれ(1946年8月2日生)で初の芥川賞作家。
私の文学系読書においてはもっぱら海外古典文学が中心で、日本の作家である程度まとめて読んだことがあるのは、夏目漱石とこの中上健次になるだろうか。
大学時代、読書量が数千冊という読書家の先輩に複数人も恵まれ、日本文学のオススメを伺ったところ、中上健次を勧められたことがあった。その勧めに従い、中上はある程度の作品を読んできた。
さて本作であるが、地縁的であり、そしてそれ以上に血縁的な人間関係に身を置く主人公秋幸を中心とした愛憎劇とでも言えるであろうか。
その舞台設定、筋書きだけでも読み応えがある。登場人物達を囚われ者とするかのような、血縁や土地の深い因習に、生々しいリアリティを感じる。
しかし私が何よりも驚嘆したのは、その人間描写であった。
人間の理知的な側面の描写を極力排し、感情や本能的な肉欲が極限までクローズアップされて描き出される人間像。
ここには、生きる意味などを問うものはいない。ただあるがままに生きる。「血の通った物体」としての人間描写とでも言えるだろうか。
それが故か、中上の文章は頭以上に胸にえぐり込んでくるかのような、ドリルのように鈍く不器用に読者の感情に押し入ってくる。
血を憎み、複雑な人間関係を疎み、ただ土方の労働の中で自然と一体化することにのみ一時の慰安を覚える主人公秋幸。
しかしそれだけでは沈静化できない激情が秋幸には通っている。時折性的な営みを捌け口としながらも、秋幸の激情は確実に鬱積していく。そして遂には、悲劇的な爆発を見せることになる。
中上の作品には人間の「生身」に肉薄する、人間の本能に肉薄する迫力を感じることができる。時にそれは動物的であるも、やはりそれは感情的なものであり、人間にとって感情は土地や人間関係からの強烈な影響下で育つものだ。
中上の作品の多くは中上自身の出身である和歌山県の南方(いわゆる南紀)が舞台なのだが、実は私の父も中上と同じく和歌山県新宮市の出身だ(父は終戦間近の早生まれ)。
そのため、私にとっても父の帰省で夏休みなどに訪れる地域であり、比較的幼い頃の記憶ではあるが、中上が描いた風景描写が映像として目に浮かぶことがある。こうした事情もあってか、中上の作品には時折、個人的な懐かしさや出自感を覚える面もある。
和歌山には祖母が亡くなった時を最後に、約30年近く訪問できていないのだが、中上の作品群を堪能し、いつか自分の意志と足で、中上と父が見た風景を再確認してみたいと思っている。
読了難易度:★★☆☆☆
土地と血縁の束縛表現度:★★★★☆
人間の感情の鬱積と爆発の表現度:★★★☆☆
トータルオススメ度:★★★☆☆
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