毒親の母とボク、性教育

画像1 母は、男性に対して、潔癖だった。だから、息子であるボクには、特に変わった性教育をした。それが、始まったのは、第二次性徴が、始まった中学生の頃だった。寝ていたら、朝方異変に気づいた。初めての精通だった。母に、その事を告げると、汚いと言われ、やがて、パンツを洗濯することを、求められました。夢精を繰り返すボクに、悲しそうな母。男性として、射精することが、いけないことなんだ、母が、悲しむことなんだ。いつしかそう思う様に、なっていました。高校生の頃の手帳を見ると、大体、2週間に1回赤丸が、付いている。夢精した日だ
画像2 母は、勉強以外の事を、許さなかった。読書以外は。だから、1番多感だった思春期を禁欲して、過ごさざるを得なかった。母は、部屋にも入って来た。トイレが、長いだけで怒られた。怒られてないように、吉祥寺駅の公衆トイレで、辛い時は、自慰をした。何だか、悲しかった。なんで、うちの家だけ、自慰が、出来ないんだろう?我慢していた性欲が、暴走し始めたのは、大学生になってからだった。中学生の様な女の子へのイタズラを、し始めた。空き教室で寝ている子の後ろから、お尻を撫でる、胸を揉む、トイレを覗く。大学のトイレには、貼り紙が
画像3 出る様になった。ここは、女子トイレです。不審者が出ますと。司法試験の勉強しながら、犯罪者になった自分が、情けなかった。帰りの電車では、チカンをした。母は、こんな自分を知らない。母のせいで、こんな自分になった。母に本当のボクを見て反省して欲しかった。でも、いくら、悪さを続けても、母にこの悪行が、伝わる事は無かった。ボクは、いつまでも、母の前では、中学生のボクだった。代償だけが、ボクには、残った。母への怨みが、女性への怨みになり、女性恐怖症、女性不信になった。自業自得だけど、こんな自分を好きになる人が、いる
画像4 訳ないって、長い間、自分を責めて来た。今も、十字架を背負って、女性と関わっている。あの頃と、変わらないボクが、ここにいる。

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