☆どうして私はスマホを持たないのか、ちゃんと考えてみた
スマホを持たない、
とは言っても
他の道具で
メールもLINEも調べ物もして、
フツーに生活している。
周りと
少し違うのは、
一歩外へ出たら、
誰も私と連絡がつかないことくらいだ。
どんな場面で、
スマホがないとどうなるか、
それは想像にお任せしよう。
生まれた頃すでに、電話はあった。
一家に一台、玄関にある、
友人や好きな男子と電話するのも、
一旦
家人を通さなければならなかった、
懐かしい、愛すべき不便。
その後、自動車電話なんての、
ドラマで見かけたな。
20がらまりの頃、ポケベルが登場、
私は、ポケベルまでは
ついて行けていた。
今となっては
そのことに驚かれるのだが。
ちょっと経ったら、携帯電話が現れる。
私はここから
置き去りにされたらしい。
自分の番号を
これまで持ったことがない。
どうしてこんなことになってしまったのか、
原因の一つ
みたいな出来事がある。
友人と
店で談話している時のこと、
友人の携帯電話が鳴った。
普及したての頃で、
そういう場での扱いに
慣れていなかったのかもしれない、
友人は遠慮して
無視していたのだが、
私は
出ていいよ、出なよ、と
連呼した。
出来事というのは
たったそれだけ。
そんなことが原因で、
私は、思えば約30年間、
携帯する電話機能のついたものを
持たずにいる。
その時、
私の中で何が起こったのだろう。
持っていないことを
言わなければならない時がある。
驚愕されたり、
珍獣扱いされたり、
あー、電波に縛られたくないのね、なんて
わけ知り顔されたり、
めんどうなので
今壊れてる、と言うことにしている。
どうしてと聞かれても
困る。
自分では
"対応できない"からではないか、とは
何となくわかっていて、
出先での連絡に
対応できない、
スマホの画面を見てしまうと、
出先で起こることに
対応できない、
外に出たら
外のことにしか
対応できないのだ。
あとは、
それを受け付けない体質、
とでも言おうか。
そんな説明、
わかってもらえるはずもないし、
する必要があるとも思えない。
悶々と考える自分の体、
紙と鉛筆、
哲学書、
毎日、これに対応するだけで
結構いっぱいだ。
ちゃんと考えたのかどうか
不明だが、
そこを知りたいと
自分はさほど思っていないことが
わかった。
いつか持つのか、
持つとしたらいつなのか、
どういう事情で持つのか、それは
もうちょっと
生きてみないとわからない。