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☆私と哲学〜そういえば初哲学はデカルトだった
やもめも二年近くになると、こうして物を書く集中力が戻ってくる。我が顔を出し、習慣が徐々に戻り、新しい世界の流れに乗る。ここに来るまで、私には哲学が結構役に立った。
哲学を学んだことはない。出会いは十年程前だろうか、夜8時頃から放送のラジオ、高校講座の倫理だ。車の運転中にたまたまつけたらやっていた。
1回目だったのか、ソクラテスのところで、無知の知、何これおもしろい、となり、毎週放送を聞いた。ふらっと、いちばんやさしい哲学の本、と、池田晶子を2冊買った。さーっと読んでへぇくらいで、はい、本棚へ。
やもめショックから半年くらいして、そういえば哲学って、死ぬとか魂とか自分とか言ってたっけ、それって何なのだろう、と、本棚から手持ちの本を引っ張り出したのだ。
池田晶子は私にとって入門書だが、どうも勢いがありすぎてひるんでしまう。何か他にあるのかな、と図書館へ行ってみたら、入口に並んだ廃棄本の中にデカルト/パスカルがあった。その場で開くと、方法序説がすぐに始まる。"良識"についてぐいぐい語り始め、そのぐいぐいに引き込まれる。ちょ、ちょっと待って、この人はこのまま突っ走って行くのか?私はこれを読んで大丈夫だろうか?半ば怪しみながら、本を貰ってとりあえず家に帰ろう、そして首を傾げながら続きを読んだ。
それから哲学書を愛読するようになるのだが、あの時デカルトの何をそんなに気に入ったのだろう。読むことで私は苦悩から引きずり出された。その力をうまく説明できないのだが、あまりの浮世離れにあっけに取られたのは覚えている。とにかく新鮮で清々しかった。
今でも哲学書を読むと、心に風穴が開くような気分になる。本当に知りたい、私にとって大切なことがまだたくさんある、読んでそのことを確かめると、ふるさとにたどり着いたような、安心した気分にもなる。そして、私の持っている残りの時間が明るいもののように思えてくるのだ。