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雑感『1Q84 BOOK2』

月はいつその数を増やしたのか

前稿の末尾で、ふかえりの後見人たる戎野先生は、ふかえりと天吾のチームによる「反リトル・ピープル的モーメント」の立ち上げに自覚的だったと述べた。同時に、先生はどっぷり「1Q84年」におり、天吾は「1Q84年」に移行しつつも「1984年」との差異を見分けることができていないとも付け加えた。

ここで、天吾自身がどの時点で「1Q84年」に移行したかを明らかにしておこう。

いったいいつから、月はその数を増やしていたのだろう? それは天吾には判断できないことだった。何年も前から既に月は二つになっていて、それに天吾がずっと気づかなかっただけかもしれない。彼が同じように見逃してきたことはほかにもたくさんある。新聞もろくに読まないし、テレビも見ない。みんなが知っていて彼が知らないということは、数え切れないくらいある。

(『1Q84 BOOK2』p427)

青豆の潜伏するマンションの前にある児童公園で夜空を見上げたとき、天吾は月が二つになっていることに初めて気づく。
上記引用で注目したいのは、天吾は新聞やテレビといったメディアを盲信していない、あるいは単に注視していないことだ。対照的に、青豆はアウトローとして生きるためのサバイバル術として新聞を細かく読み込み、世界のささいな変化をも見逃さない(結果的に、新聞紙上に自分の知らない二つの事件を見いだし、「1Q84年」への移行を確信する)。
また、天吾の部屋にテレビがないのは、NHK集金人であった父との確執に由来するのは間違いないだろう。

一方で天吾は自身を「情弱」と認めつつも、世界の差異には絶対に気づくという自信も持っている。

天吾は七年間この高円寺の街で暮らしてきた。とくに気に入って住み着いたわけではない。(中略)通勤に便利だし、越すのが面倒だからそのまま住み続けているだけだ。しかし風景だけはしっかり見慣れている。どこかに違いがあればすぐに気がつく。

(『1Q84 BOOK2』p426)

この場面の後、天吾はふかえりが潜伏している自宅へ戻り、彼女に月が二つになっていたことを明かす。ふかえりは月の数の変化についてはとくに驚きも見せず、自らがパシヴァ(perceiver。知覚する者)で、天吾がレシヴァ(receiver。受け入れる者)であると告げる。

「わたしたちはふたりでホンをかいたのだから」、ふかえりは前と同じ言葉を繰り返した。
天吾は無意識に指先をこめかみにあてた。「そのときから僕は、知らないままレシヴァの役を果たしていたということ?」
「そのまえから」とふかえりは言った。

(『1Q84 BOOK2』p454)

天吾は顔を少し歪めた。「つまり君は僕がレシヴァであることを知っていて、あるいはレシヴァの資質を持つことを知っていて、だからこそ僕に『空気さなぎ』の書き直しをまかせた。君が知覚したことを、僕を通して本のかたちにした。そういうことなのか?」
返事はなかった。

(『1Q84 BOOK2』p455)

天吾は自分がまるで一昨日の夕刊になってしまったような気がした。情報は日々更新されている。彼だけがそれらについて何ひとつ知らされていない。
「原因と結果がどうしようもなく入り乱れているみたいだ」と天吾は気を取り直して言った。「どちらが先でどちらが後のなのか順番がわからない。しかしいずれにせよ、僕らはとにかくこの新しい世界に入り込んでいる」

(『1Q84 BOOK2』p455-456)

ふかえりが天吾のレシヴァとしての資質を見抜いたうえで『空気さなぎ』の書き直しを任せたとしたら、戎野先生なり娘のアザミなりが新人賞に原稿を応募し、小松がそれに食いつき、子飼いの天吾にリライトを依頼するまでの展開を、彼女は見抜いていたことになる。
しかし、そんなことはありえない。物事のつじつまとしては、天吾が「結果的に」書き直しを行ったことになっている。なぜなら、小松の勢いに押されたとはいえ、書き直しには天吾自身の自由意志が介在していたからだ。

しかし、上記引用の一連のくだりは、天吾の自由意志を否定する。その一方で、小松がふかえりの写真を持っていた理由と、ふかえりが天吾の対面の前に彼の数学の講義を聞いていたことの説明がつくようにもなる。つまり物事は「天吾ありき」で進んでいたのだ。

このように、「原因と結果がどうしようもなく入り乱れている」と、個々人の自由意志は否定され、時間軸はノンリニアになる。因果関係があいまいになる。これこそが「1Q84年」への移行の証左である。
よって、この「1Q84年」では「誰が『空気さなぎ』を新人賞に応募したのか」という問いが成立しない。
天吾が「1984年」から「1Q84年」へ移行したタイミングも、物語冒頭から「さきがけ」リーダーの娘・ふかえりが存在している時点で、すでに見極めが難しくなる。だから、「何年も前から既に月は二つになってい」たのかもしれないし、天吾が児童公園で夜空を見上げる直前に新しい月が浮かんだのかもしれない。どちらもありうるし、どちらでもあるのだ。

心から一歩も外に出ないものごとは存在しない

「1Q84年」においては個々人の自由意志が否定される一方で、「人と人のコミュニケーションもより直截的になり」、「その技巧性は内的なものではなくなってくる。神話世界に近接」する。
つまり「1984年」であれば、個人が抱える願望や欲望には抑制というものが働く。言い換えれば、自身の願望や欲望を表出させる場合、他者およびその集合である社会(世界)に対して、どういった手段で、どの程度のレベルで行うかという調整を常に行っている、ということだ(表出のレベル調整は無自覚に行っているため、不全をきたしたときに明らかになりやすい。「言いすぎたかな?」「露骨だったかもしれない」など)。

これに対し「1Q84年」では、願望や欲望がよりむき出しの状態に近づく。純粋で強い願望や欲望が他者を、あるいは世界を侵食していくと言ったほうがよいかもしれない。

「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない」とリーダーは静かな声で繰り返した。

(『1Q84 BOOK2』p250)

まさに神話世界への近接である。

そういうなかで、人が生き延びていくには、やはりより原初的な胆力を身につけなくてはならない。既成の価値基準が通用しない局面があります。

(「考える人」2010年夏号 「村上春樹ロングインタビュー」p51)

村上の言う「原初的な胆力」は、他者の願望や欲望に飲み込まれないために必要な力ということだろう。そして、この力には大きく分けて二つの種類がある。誰よりも強く純粋な願望を持ち続けること。もうひとつは他者の欲望の奔流に身を任せ、かつ一体化することなく自己を見いだすこと(あるいはあぶり出しのように、結果的に自己らしきものが浮き出ること)だ。

前者を行使する者は、作中に多く登場する。

青豆 …天吾との再会への願望。そのためには世界の変容も受容する
天吾の父 …NHKへの盲信。肉体を離れてでも集金行為を行う
老婦人 …ミソジニストへの憎悪。殺人も辞さない
タマル …「プロ」として老婦人を守る。いざとなれば、青豆すら切り捨てられる「さきがけ」リーダー …苦痛からの解放。自己の消滅への願望
ふかえり …「反リトル・ピープル的モーメント」の立ち上げ
組織・団体 …NHK、さきがけ、あけぼの、証人会。それぞれの使命の実現

後者の代表は天吾であり、『BOOK3』での牛河も彼に準じるかもしれない。
本稿では前者の代表として天吾の父とNHK、後者の例として天吾について見ていきたい。

天吾の父は60代でありながら認知症を患い、施設に入っている。つまり、物語の設定上、天吾との正常なコミュケーションの成立があらかじめ阻害されている。
この事態は見方を変えれば、天吾の父は、天吾からも、ほかの誰からも、世界そのものからも自己を阻害されない状態にあるとも言える。つまり、天吾の父は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『街とその不確かな壁』の壁に囲まれた「街」のようなところに住んでいるとも想像できるし、『海辺のカフカ』の佐伯さんのように現実世界へのコミットメントを避け、「生き霊」として過去と戯れているのかもしれない。

では「生き霊」として彼が何をしているのかというと、自分が「もっともうまくできる」NHKの受信料徴収をしていることが『BOOK3』で明らかになる。しかし、ここでは『BOOK2』までの手持ちの情報の整理を試みよう。

天吾の父親は(中略)東北の農家の三男に生まれ、同郷の仲間たちとともに満蒙開拓団に入り満州に渡った。(中略)有事の際は銃をとれる開拓農民として基礎訓練を受け、満州の農業事情についてのまにあわせの知識を与えられ、万歳三唱に送られて故郷をあとにし、大連から汽車で満蒙国境近くに連れていかれた。そこで耕地と農具と小銃を与えられ、仲間たちとともに農業を営んだ。

(『1Q84 BOOK1』p169)

しかし、当地は「石ころだらけのやせた土地で」、食べるものがなく、「野犬まで食べた」という。

それでも最初の数年は政府からの援助もあり、なんとかそこで生き延びることはできた。
一九四五年八月、ようやく生活が落ちつきを見せ始めた頃、ソビエト軍が中立条約を破棄し、満州国に全面的に侵攻した。欧州戦争を終結させたソビエト軍は、大量の兵力をシベリア鉄道で極東に移動し、国境線を越えるための配備を着々と整えていた。父親はちょっとした縁で親しくなったある役人からそのような切迫した情勢をこっそり知らされ、ソビエト軍の侵攻を予期していた。

(『1Q84 BOOK1』p169-170)

天吾の父親が親交をもった「役人」は満州国の郵政にかかわっていたそうだが、戦後は古巣の逓信省に身を置いていたという記述もある。NHK(日本放送協会)は1926年8月、全国放送網を企図する逓信省の働きかけにより成立した社団法人なので、おそらくこの役人は草創期のNHKに関わっていたのだろう。

さて、この役人の忠告に従い「身ひとつで」日本へ逃げ帰った天吾の父は、東京で闇商売にかかわったり、大工に見習いに入ったりしたが「一人で食いつないでいくのがやっとだった」という。
ここで注目しておきたいのは、戦争末期から戦後すぐまで、天吾の父はほぼ天涯孤独の身であったということだ。そして、1947年の秋、偶然再会した役人がNHKの集金人の仕事をあっせんしてくれる。

人々はようやく敗戦のショックから立ち直り、困窮生活の中で娯楽を求めていた。ラジオが与えてくれる音楽や笑いやスポーツがもっとも身近で安価な娯楽となり、ラジオは戦前とは比べものにならないほど広く普及していった。NHKは聴取料を集めて回る現場の人間を大量に必要としていた。

(『1Q84 BOOK1』p171)

天後の父親が集金人の地位についた1947年ごろは後述する放送法の成立前だが、もともとラジオ放送は受信料を財源とする政府特許の社団法人として発足しており、集金制度も定着していたのかもしれない。実際、1940年5月末にはラジオの受信契約数は500万を突破。戦後、1952年8月には受信契約数は1000万を突破したという。

さて、戦後、占領下の日本でラジオが庶民の娯楽になった背景には、GHQの指導があった。

GHQは、全国放送網を有するNHKの放送の影響力を重視し、占領目的達成の情報伝達手段として積極的に活用したのである。この占領時代の番組指導によって「街頭録音」「放送討論会」「クイズ番組」などが新たに導入され、さらに演出や編成の面にアメリカの商業放送の方式が深く浸透することになった。

(日本大百科全書(ニッポニカ)「NHK」)

しかし、さかのぼって戦時中にあっては、放送は戦時体制に組み込まれ、NHKは国家の管理下に置かれていた。戦中の偏向報道についてここでは詳述しないが、戦時日本においてラジオはプロパガンダの利器としての側面を強く持っていた。そして、1945年8月15日の玉音放送で現人神(あらひとがみ)だった天皇が、電波を通して初めて肉声で国民へ敗戦を告げる。

時は下り、敗戦から5年後の1950年、放送法に基づいた特殊法人「日本放送協会」が誕生。公共放送として経営にある程度の制約はあるものの、番組の制作や編成の自由は保障されており、民間放送との競争的な立場に置かれることで新たな発展を開始する。1962年にはテレビの受信契約数は1000万を突破。1968年からはラジオ受信料を廃止し、テレビ受信料一本に統一された。

天吾の父の年齢が1984年時点で60代なので、おそらく30〜40代にNHKの戦後黄金期の一翼を担っていたという自認が彼にはあったのだろう。天吾の父にとってNHKはまさに「王国」であったのだ。

協会(引用者注:日本放送協会)は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送(国内放送である基幹放送をいう。以下同じ。)を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。

(放送法(昭和二十五年法律第百三十二号)第十五条)

上記は放送法に定められたNHKの「目的」である。
公共の福祉のため、「あまねく日本全国において受信できるように」良質な番組を放送することを第一義としつつ、「その受信の進歩発達に必要な業務を行」うのがその使命だ。
また受信料については、同法第六十四条に「協会の放送を受信することのできる受信設備(中略)を設置した者は(中略)協会と受信契約を締結しなければならない」としており、この受信契約に基づきNHKは受信料を視聴者から徴収する。集金人はこれを「受信の進歩発達に必要な業務」として請け負う者なのであろう。

ところで日本語の「あまねく」は「遍く」と書く。「広くすべてにおよんでいる」の意だが、類した言葉に「遍在(へんざい)」がある。「遍在」とは「広くゆきわたって存在すること」である。
この、「遍在」とはなにか。たとえば「神は遍在する」といったとき、神が日本にいる瞬間にブラジルには神がいないのかというとそんなことはなく、同時存在している。つまり、神は同じ時間に別の場所に存在することができる。サンタクロースが世界中の子どもたちに一晩でプレゼントを配ることのできるのも、これに近い概念だろう。

「現実はいつだってひとつしかありません」、書物の大事な一節にアンダーラインを引くように、運転手はゆっくりと繰り返した。
「もちろん」と青豆は言った。そのとおりだ。ひとつの物体は、ひとつの時間に、ひとつの場所にしかいられない。アインシュタインが証明した。現実とはどこまでも冷徹であり、どこまでも孤独なものだ。

(『1Q84 BOOK1』p23)

青豆の認識によると「1984年」ではもちろん、この場面の直後に彼女が移行する「1Q84年」でも「遍在」はありえない。しかし本当にそうなのだろうか。

ここで村上作品から「遍在」を想起させる場面をひとつ引用しよう。

「神様に会ったことがあるの」
「もちろんです。毎晩電話をかけています」
「しかし」と言ってから僕は少し迷った。頭がまた混乱しはじめていた。「しかし、みんなが神様に電話をかけたとしたら、回線が混みあっていつも話し中になるんじゃないかな? たとえば昼すぎの電話番号調べみたいにさ」
「その心配はありません。神様はいわば同時的な存在なんです。だから一度に百万人の人間が電話をかけたとしても、神様は百万人の人間と同時にお話しになります」

(『羊をめぐる冒険(上)』講談社文庫 p199)

右翼の「先生」の運転手であった男はクリスチャンであるが、ラディカルすぎて教会とそりが合わないという。そして何年か前に「先生」に「神様の電話番号」を教えてもらったのだと主張する。しかし、「先生」の死後、その電話は通じなくなる。

「先生が亡くなって以来、通じなくなっちゃたんです。いったいどうしたんでしょうねえ?」
「きっと忙しんだよ」と僕は言った。

(『羊をめぐる冒険(下)』講談社文庫 p218)

運転手にとって「先生」は「これまで会った中では神様についで立派な方」であった。先生の死後、電話が通じなくなったことから、読者は「先生」が運転手の電話に答えてあげていたのかな。でも死んでしまったら電話に出られないよね。運転手はその事実に思い至らない、ちょっと頭が鈍い人物なんだな、と考えるかもしれない。
しかし、神様の電話番号が実際にあったとしたらどうだろう。つまり、「先生」の死後、世界の遍在性が失われたのだとしたら?

『羊をめぐる冒険』と『1Q84』は遍在性が成立する世界と成立しない世界との行き来を、逆の方向から描いているのかもしれない。そして、両作品とも運転手が世界の成り立ちについて語るのも偶然ではないのかもしれない。
その視点でもう一度『1Q84』に立ち戻ると、やはり「1Q84年」は遍在性が成立する世界だ。つまり「同時的な存在」が可能となる世界である。
先に述べた「原初的な胆力」を持つ勢力に立ち返るならば、まず「さきがけ」や「証人会」などの宗教団体は「1Q84年」では実質的な力を帯びるだろう。そして、天吾の父が固執するNHKもその遍在性の理念をより極端に顕在化させる。

そう仮定したうえで、もう一度反転して考えてみよう。「1Q84年」ならぬ「2024年」では、きっと遍在性は成立しない。つまり、村上はこの荒涼たる現実世界(月がひとつしかない世界)では神やNHKの「遍在性」を認めていない。現実世界で「遍在性」求める者はひとしなみに「ラディカル」にならざるをえない。そのラディカリズムの犠牲者が天吾であり、青豆なのだ。

誰もが何かの空白を埋めている

ここでもう一度、天吾の父が中国大陸から引き揚げてきた経緯に立ち戻ろう。
天吾の父は「ちょっとした縁で親しくなったある役人」から1945年8月のソビエト軍侵攻についての確度の高い情報を入手、彼の忠告に従い「身ひとつで」満州から日本へ逃亡をはかった。
ここからわかるのは、「役人」が自身の手にしていた情報を、誰にでも広くあまねく伝えてはいなかったことだ。そんなことをしたら、とんでもない混乱を招くのは目に見えていたからだ。つまり天吾の父が属していた満蒙開拓団や、満蒙の日本人は見殺しにされたといっても過言ではない。
一方でこの役人が、同郷の天吾の父に「好感を抱いて」情報を漏らさなければ、天吾の父(となるべき男)は中国大陸で殺されるなり、野たれ死ぬなりし、この『1Q84』という物語自体が立ち上がらなかったかもしれない。その意味で、当然のことながら歴史は血縁や地縁、もっと言ってしまえば因縁を抜きにしては語れない。

ところで、天吾は父親との生物的なつながり(血縁)をずっと見いだせないできた。

しかし天吾が父親に対して違和感を感じたのは、顔立ちよりはむしろ精神的な資質や傾向についてだった。父親には知的好奇心と呼べそうなものがまるで見受けられなかったのだ。

(『1Q84 BOOK1』p313)

このような違和感を抱えながら、毎日曜日、父親の集金業務、つまり王国に富をもたらす神聖な行為に天吾はつきあわされる。それは天吾の意思と尊厳を奪う行為だ。はっきりと「虐待」と言ってもよい。そして小学校五年生のとき、天吾は父親に向けて「お父さんと一緒にNHK受信料の集金にまわるのは、もうやめたい」と告げる。

父親はもちろんひどく腹を立てた。(中略)天吾は反論しなかった。(中略)何を言っても話が通じないだろうことは最初からわかっていた。それならそれでいい、と父親は言った。親の言うことをきけないやつに、これ以上食事を与えることはできない。とっとと家を出て行け。
天吾は言われたとおり、荷物をまとめて家を出て行った。

(『1Q84 BOOK1』p319)

もちろん小学生の天吾が自活できるわけもなく、当時の担任の熱心な説得により、天吾の父は「矛をおさめ」、引き続き天吾を扶養することと、彼に日曜日を好きに過ごして構わないという権利を認める。ここに天吾と父親の実質的な「義絶」が成る。

担任の女性教師が天吾を熱心に擁護したのは、彼が「いろんな才能」を持っていたからだ。少なくとも、天吾はそう解釈している(『BOOK3』で牛河により、その解釈が補強される)。そして性的なアピールの芽生えもそこには介在していたと、彼女との再会の場面から推測できる。

天吾はその小さな女教師をあらためて見下ろした。(中略)そして今、彼女が目の前に立って、まるで若い娘のようにもじもじしていることに天吾は気がついた。自分がもう十歳の無力な少年ではなく、十七歳の大柄な青年になっていることにもあらためて気づいた。胸が厚くなり、髭もはえて、もてあますほど立派な性欲もある。そして彼は年上の女性と一緒にいると、不思議に落ち着くことができた。

(『1Q84 BOOK1』p323-324)

しかし、天吾は大恩ある教師の名前をどうしても思い出すことができない。なぜなのか。青豆との再会について天吾が考えていた場面から、そのヒントが見つかる。

再会してがっかりするのはむしろ青豆の方ではないだろうか。小学生のときの天吾は誰もが認める数学の神童であり、成績はほとんどの科目がトップで、身体も大きく、運動能力にも優れていた。教師たちにも一目置かれ、将来を嘱望されていた。彼女の目にはあるいはヒーローのように映ったかもしれない。

(『1Q84 BOOK2』p93-94)

この自己認識は、そっくり件の教師の認識に重なる。しかし彼自身はそういった美質になじめない、あるいは成長の過程で失ったと考えていることが次文で述べられる。

ところが今では契約制で仕事をする予備校の講師で、そんなものは定職とも呼べない。仕事としてはたしかに気楽だし、一人暮らしをするには不自由はないが、社会の柱みたいなものからはほど遠いところにいる。予備校で教える傍ら小説を書いているが、まだ活字になるところまではいかない。

(『1Q84 BOOK2』p94)

なぜ、天吾は長じてこのような生き方を選んだのか。

自分の本当の父親はどこかべつのところにいるはずだ、というのが少年時代の天吾の導き出した結論だった。天吾は何らかの成り行きによって、この父親と称する、しかし実はまったく血の繋がっていない男の手によって育てられてきたのだ。

(『1Q84 BOOK1』p314)

天吾の学校での成績が図抜けて優秀であることを、父親は喜んだ。そのことで得意にもなった。近所の人々に自慢したりもした。しかしそれと同時に、心のどこかで息子の聡明さや能力の高さを面白くなく思っている節も見受けられた。(中略)この男は僕にうらやみを感じているのかもしれない、と天吾はあるときから思うようになった。(中略)いや、ただうらやむというだけではない。この男は息子の中にある何かを憎んでもいる。

(『1Q84 BOOK1』p315-316)

天吾の少年時代のエピソードは、彼の聡明さと能力の高さで彩られている。しかし、天吾自身はその美質を主体的に高めることがどうしてもできない。数学とのミスマッチもその一例だろう。数学に没頭しても、そこから現実に帰ってきたときに「状況は何ひとつ改善されてはいない」。

だとすれば、数学がいったい何の役に立つのだろう。それはただの一時的な逃避の手段に過ぎないのではないか。(中略)そういう疑問が膨らんでいくに連れて、天吾は自分と数学の世界とのあいだに、意識して距離を置くようになった。

(『1Q84 BOOK1』p317)

天吾の「いろんな才能」は、少年時代に一時的なピークに達し、やがて減衰していったのか。あるいは、磨き上げていけばより高みを目指せたのか、それはわからない。しかし後者を選べば、彼と父親との溝、言い換えれば実の親子ではないという仮説はより強固になっていったのではないだろうか。

天吾のガールフレンド「安田恭子」が「失われてしまった」のち、天吾は千葉の千倉にある認知症患者の療養所へ向かう。ここは彼にとっての「猫の町」である。ある種のリスクをとりながら、彼は真実に近づこうと、認知症の父親との会話を試みる。

「私には息子はおらない」と父親はあっさりと言った。
「あなたには息子はいない」と天吾は機械的に反復した。
父親は肯いた。
「じゃあ、僕はいったい何なのですか?」と天吾は尋ねた。
「あなたは何ものでもない」と父親は言った。そして簡潔に二度首を振った。

(『1Q84 BOOK2』p174)

父親はいま、真実を語っているのだと、天吾は確信する。

その記憶は破壊され、意識は混濁の中にあるかもしれない。しかし彼が口にしているのはたぶん真実だ。天吾にはそれが直感的に理解できた。
「どういうことなのですか、それは?」と天吾は質問した。
「あなたは何ものでもない」と父親は感情のこもっていない声で同じ言葉を繰り返した。「何ものでもなかったし、何ものでもないし、これから先も何ものにもなれないだろう」
それでじゅうぶんだ、と天吾は思った。

(『1Q84 BOOK2』p174-175)

「義絶」をした天吾は、父親にとって「何ものでもなかった」。今もそれは変わらないし、NHKを「王国」にいただく父親の価値観では、天吾は「これから先も何ものにもなれない」。記憶が破壊され、意識が混濁の中にあるということをふまえても、ここには圧倒的なディスコミュニケーションが横たわっている。

ここで注意したいのは、天吾の父にとっては、たとえ天吾が少年時代の輝かしき才能や能力を伸長していたとしても「何ものでもない」ということだ。ここには逆説的な救いがある。天吾は父親の価値観とは別の価値観のなかで生きて行けるという示唆である。それはある意味、天吾に向けたはなむけの言葉でもある。

『海辺のカフカ』でも、カフカ少年に父親が繰り返し吹き込んだ予言が、逆説的に彼の美質を引き出した。それを大島さんはアイロニーと称した。
天吾の父の言葉にも間違いなくアイロニーが含まれる。つまり、村上作品では「義絶」を通すことでしか父子はお互いにくびきを逃れることができない。

天吾と父親の会話は続く。
「猫の町」を朗読したのち、その町は人間によってつくられたものの何らかの事情で人々はいなくなり、その後に猫が住み着いたという仮説が浮かび上がる。

父親は肯いた。「空白が生まれれば、何かがやってきて埋めなくてはならない。みんなそうしておるわけだから」
「みんなそうしている?」
「そのとおり」と父親は断言した。

(『1Q84 BOOK2』p181)

「わかりました。とにかくあなたは何かの空白を埋めている」と天吾は言った。「じゃあ、あなたが残した空白をかわりに埋めるのは誰なんでしょう」
「あんただ」と父親は簡潔に言った。そして人差し指を上げて天吾をまっすぐ、力強く指さした。
「そんなこときまっているじゃないか。誰かのつくった空白をこの私が埋めてきた。そのかわりに私がつくった空白をあんたが埋めていく。回り持ちのようなものだ」

(『1Q84 BOOK2』p181)

「回り持ち」とは「順番に受け持つこと」の意のほかに、「めぐりめぐって自分のものになること」の意味がある。「金は天下の回り持ち」は後者の用例だ。

さて、先に父親は天吾を「何ものでもない」と断言した。しかし自分の残した空白は天吾が埋めなければならないという。それが「回り持ち」であると。

「あんたを産んだ女はもうどこにもいない」
「どこにもいない。町のように失われる。つまりそれは、死んでしまったということなのですか?」
父親はそれに答えなかった。
天吾はため息をついた。「それでは、僕の父親は誰なんですか?」
「ただの空白だ。あんたの母親は空白と交わってあんたを産んだ。私がその空白を埋めた」
それだけを言ってしまうと、父親は目を閉じ、口を閉ざした。

(『1Q84 BOOK2』p183-184)

この一連の対話の場面で父親が繰り返すとおり、「説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんという」ことである。たしかに父親のせりふはあまりに示唆的で具体性を欠いている。しかし、彼が語る「空白」は「父親が誰か?」といった具体性を遥かに超えて機能している。

おそらく「空白」は何かしらの因果なのだろう。ただ、科学や哲学、あるいは法律上の因果関係というよりも、「因果応報」の概念により近い。悪い事象や善い事象の原因があれば、それに対応する「楽」や「苦」の結果が伴うということだが、天吾の父がユニークなのは、因果は個人の中で完結せず、縁で結ばれた誰かへと永遠のリレーが行われるとすることだ。

「あんたを産んだ女はもうどこにもいない」

(『1Q84 BOOK2』p183)

これに対し天吾は、母がすでに失われているのかと確認しつつ、一歩進んで「死んでしまったのか」と聞いている。この聞き方ではだめなのだ。「天吾の母」は失われた。そしてそこに空白が生じた。安田恭子も失われた。彼女が残した空白は、天吾ではない「誰か」が埋めなければならない。これが「回り持ち」だ。
天吾の父は自分が残す「空白」を何で埋めるのかは指示していない。ただ、目の前に回ってきた「空白」を所与のものとして対峙しなければならない、と。それが原則である。

一方で世の中には、「空白」を何で埋めるのかまで決めつけられることもあるだろう。たとえば青豆が決別した「証人会」については、下記のような宗教観の押しつけが描かれている。

(証人会は)キリスト教の分派で、終末論を説き、布教活動を熱心におこない、聖書に書いてあることを字義通りに実行する。たとえば輸血は一切認めない。

(『1Q84 BOOK1』p270)

こういったカルトの頑なさは、青豆が強く嫌悪するものとして描かれる。

青豆はその事件を記憶しており、サダト大統領のことをあらためて気の毒に思った。(中略)宗教がらみの原理主義者たちに対しては、一貫して強い嫌悪感を抱いていたからだ。そういった連中の偏狭な世界観や、思い上がった優越感や、他人に対する無神経な押しつけのことを考えただけで、怒りがこみ上げてくる。彼女にはその怒りをうまくコントロールすることができなかった。

(『1Q84 BOOK1』p189-190)

対して、ではNHKの集金業務は、ひいてはNHK自体はどうだろう。
NHKは「公共の福祉のため」の公共放送だ。しかし、受信料は上述のように「受信契約に基づいて」NHKが徴収するものと定められた、一種の負担金である。電気やガスや水道のように従量制ではなく、番組を見る、見ないにかかわらず一律に定額が徴収される。この受信料が、「特定の勢力や団体の意向に左右されない公正な報道や、視聴率競争とは一線を画す良質な番組作りを支えている」(現代用語の基礎知識2024)という理念がその前提にある。

しかし作中で描かれるNHKの偏向報道(NHKの番組に自民党が文句をつけ、内容を変更させる事件)は、NHKの公共性や報道の公正さを揺るがす。この事件は天吾の父にとって、神聖な王国の崩壊を導く可能性があった。だから、世界そのものを改変した。NHK集金人の刺傷事件への注目をそらせるために、「さきげけ」による銃撃戦を起こした。いや、銃撃戦のある世界線を選び取った。天吾の父親のNHKへの盲信は歴史改変、世界改変も可能にする。そして彼の空白を埋めるべき運命にある天吾もじつは同等の力を有している。
いや、ここでも原因と結果は混乱する。天吾がレシヴァとして紡いだ物語の世界=「1Q84年」で、父親の願望が成就するのだ。

天吾と父の「猫の町」での邂逅は、一見、どうしようもないディスコミュニケーションのようにもとれる。しかし父親はNHKの集金業務や、NHKという王国を守ることを天吾に押しつけているわけではない。天吾の紡いだ「1Q84年」で父親の願望は満たされた。そのかわりに、父から子へのある種の「ゆるし」があると考えることはできないだろうか。

天吾はというと、彼にはいびつな父親と、失われた母親の幻影しかありません。じゃあ、天吾の芯になっているものは何なのか、これは(BOOK)1にも2にも3に書かれていません。あのですね、『1Q84』は、簡単に言ってしまえば因縁話なんです。圓朝の『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』に似ているところがあります。僕のすごく好きな物語です。

(「考える人」2010年夏号 「村上春樹ロングインタビュー」p42)

『真景累ヶ淵』は明治期の落語家・三遊亭圓朝による長大な怪談噺 (ばなし)である。村上の言うように、ある種の因縁話で、ことの起こりである殺傷事件ののち、仇にあたる家に縁あるものが次々に非業の死を遂げていく。しかし、登場人物たちは自身の裏にある文脈を認識していない。作者と読者のみが「因縁」を知っているという構図が成立している。
つまり、物語中の登場人物たちは、なぜ殺し、なぜ死んでいくかがわかっていない。物語を動かしている論理やしくみを理解することができない。そして、読者は作者の神のような視点を共有し、「上から目線で」登場人物たちの行動やそれがもたらす結果を見てほくそ笑む。

『1Q84』においても、登場人物が「因縁」に非自覚的なことは同様だ。理由も理屈もない「空白」としてそれは受容される。そして、我々読者も「因縁」の実態を知らされず、ただ輪廻の渦のようなものを見せつけられる。なぜなら、天吾の父が語る真実は具体性を有しないからだ。
だから、天吾は因果や因縁にとらわれつつも、それを可視化することができない。父親が残した空白を「何か」で埋め、さらに次の世代へ別の空白を残すしかない。もはや「因縁」の最初のきっかけなどは意味を持たない。

我々は天吾と父親との具体と抽象のギリギリのラインで進む話を受容することで、「因果」が捨象された、「因縁」のうごめきを聞く。それは翻って、われわれ読者自身が「因縁」の中をただよう存在でしかないことを示唆する。そして受け渡された「空白」を何で埋めるのか、その選択の自由を我々は享受するのだ。

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