見出し画像

『ハケンアニメ』辻村深月著 を読みながら、今は離れているお仕事について考えたこと

西尾維新の対談集「本題」で、辻村深月さんに興味を持って、有名どころを手始めに読んでいるところです。

『ハケンアニメ』は、2014年初版、ハードカバー版はCLAMPさんが表紙を書き下ろしている。
大手と中小のそれぞれのアニメ制作会社で働く女性二人を主人公として、それぞれの思いを乗せたアニメが、1クールの覇権をめぐって切磋琢磨する熱血お仕事小説。
2022年に吉岡里穂主演で映画化もされている作品。

とにかく、クリエイターとその周りの人たちの命を削っている感じが、つらい。

自衛隊入隊前に結婚して、初めから、家族が耐えられなくなったら辞めるしかないなって思っていた。
結局、入隊3年目に子供が生まれて、4年目には、ほとんど泊りの仕事に出られなくなって、3年くらい部隊の細々した仕事を拾うような働き方をさせてもらった。その間も、いろんな上司に、この訓練出れないかとか、この支援出られないかとか、本当に気を使ってもらいながら調整してもらって、仕事を振ってもらう状態で、気楽だったのも嘘ではないけど、息苦しかったのも嘘ではない。

仕事に全力を出さなくていいってことの楽さはあったと思う。
それでも、仕事と家庭を足したら、たぶんちゃんと100%で力を出してたんじゃないかな。

それでも、仕事と家庭のマルチタスクをしようとすると、単純に二種類の労働量の総和以上の働きが必要になると思う。

職場と家庭の摩擦で、エネルギーがロスするような感覚がある。

さらに言うと、家庭の中でも、家事、育児、妻のケアという大きく3つのタスクがあって、これらの間でも摩擦が発生する。

お仕事熱血系のコンテンツに出てくる摩擦って、お仕事の中の摩擦がメインで、スパイス的に、家族とか恋愛での摩擦とかが出てくるか、大概、家庭を顧みなかった男性が、妻や子供に、大反撃を食らって、反省して、ちゃんちゃんみたいな感じだ。

そこで描かれる、仕事と家庭の摩擦は、とても大きくて、取り返しのつかない摩擦として描かれることが多い気がする。

でも、その分、その大きな摩擦が生じるまで、家庭を顧みないことで、エネルギーを損なうことなく仕事に打ち込んだ人の仕事でやってきたことって、熱血コンテンツになると思うんだよな。

仕事も家庭も同じように大きなものとして、自分事として働いて、みんながそういう状態って、ドラマにならない。
そういう職場だったら、ミスをいちいち怒鳴ってる暇もないし、いつ家庭の事情で休むかもわからない奴に、プロセスを独占させるような仕組みも許容できない。
揺らぎのある部品として働ける職場でないと、そういう風には両立できないんじゃないかな。

そして、ドラマのない仕事からは、新しい価値のあるものは産まれないのかもしれない。
だから、僕は、新しい価値を生むような仕事はこれからもしないのかもしれない。

そんな風に、内省に沈んでいくのも、小説の楽しみなんだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集