何者にもなれないと気づいたころ
小さい頃からずっと、漠然といつか「何者か」になれるのだと思っていた。分野や肩書きはわからないが、とにかく世間的に名の知れた「何者か」に。
本屋に自分の名前が並んでいるかもしれないし、雑誌のインタビューを受けたりするかもしれない。もしかすると舞台でスポットライトを浴びているかもしれない。
気づけば大学を卒業し、新卒で入った会社も一年目が終わるころ。私はやっと何者にもなれないことに気づいた。
気づくのに、23年もかかってしまった。
というか何者かになることが自分の幸せではない、ということが段々実感を伴ってきた、というほうが近い。
働いていくうちに、自分の将来や幸せについてリアルに考えることが増えてきた。自分が求めていることが大きな成功ではないし、自分がそんな器でもないことへの実感が日々じわじわと現れてきた。
ふと、小学生の時の自分を思い出した。
小学生の時の自分は本が好きで、休み時間は常に学校の図書室に入り浸っていた。図書室の本はほとんど全て読んだような気がしていたし、本気を出せば本当に全部読んでしまえると思っていた。
世の中にある本だって死ぬまでに全部読みきれてしまうような気がしていた。ふんわりした全能感があった。
小学校高学年になり、休みの日は地域の市立図書館に入り浸るようになった。毎回貸し出し冊数上限の10冊まで借りて、読んで返し読んで返しの繰り返し。
それでも到底読みきれないほどの本があった。図書館には、表に出ているだけでなく裏の書庫にも膨大な本が隠れている。
この世にある本を全部読み切ることはできないのだな…という実感がじわじわと心に広がっていく。
このふんわりとした全能感の、
じわじわ到来した終わりを、
23歳にしてまた味わった。
私の好きな小説の中で、登場人物の性格が
「明るい絶望と前向きな諦め」というフレーズで
描写されていた。
明るい絶望って何?とずっと引っかかっていた。
今ならそれが少しわかる。
何かが終わり区切りがついたからこそ、前向きに進める時がある。世間に見つからなくても、私には私の幸せがありそれを追い求めたいのだ。