漱石と「坊っちゃん」の憤り

「坊っちゃん」作中、四章と十一章に「清和源氏で多田満仲(ただのまんじゅう)の後継」であると、主人公「坊っちゃん」が出自に言及する件(くだり)がある。「ただのまんじゅう」とは随分巫山戯た名だが歴とした実在の人物で、清和源氏源経基の子で多田源氏の祖、源満仲(みつなか)のことだ。

「……泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田満仲(ただのまんじゅう)の後裔だ。……」(「坊っちゃん」四章より)

「……婆さんが四国新聞を持ってきて(中略)二頁を開けてみると驚ろいた。昨日の喧嘩がちゃんと出ている。(中略)中学の教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾(しそう)してこの騒動を喚起せる(中略)そうして一字ごとにみんな黒点を加えて、お灸を据えたつもりでいる。(中略)世の中に何が一番法螺を吹くと云って、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。(中略)それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某と言う名前の人があるか。考えてみろ。これでもれっきとした姓もあり名もあるんだ。系図が見たけりゃ、多田満仲以来の先祖を一人残らず拝ましてやらあ。……」(「坊っちゃん」十一章より)

そして、この源満仲に関する興味深い非常に有名な話がある。

「……東三条殿は、「もしさることやし給ふ。」と危ふさに、さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武者たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。……」(大鏡「花山院の出家」より)

平安時代に書かれた古典「大鏡」である。
その中でも特に知られたエピソード「花山院の出家」。
ここに登場する「なにがしかがしといふいみじき源氏の武者」こそ、件の「源満仲」その人なのである。

そして注目して欲しいのはこの「なにがしかがし」と言う言葉だ。
「なにがしかがし」とは「何某彼某」、「何がし某」、或いは「某某」と書くことができる。
つまり「大鏡」に於いて満仲は「なんとかかんとかっていう源氏のエグい侍」と書かれているのだ。

実はこの満仲と漱石には深い縁がある。満仲の弟である「源満快(みつよし)」は漱石の「夏目家」のご先祖なのだ。

「某とは何だ。天下に某と言う名前の人があるか。考えてみろ。」

上掲の十一章で「坊っちゃん」は、四国新聞の記事に見る、自身の扱いに憤り「某とは何だ」と声を荒げた。
これは寧ろ漱石本人の声なのではなかったか。詰まり「大鏡」に於ける先祖の扱いに対する漱石の声なのではないのか?
そう考えるのは少々穿ち過ぎだろうか。

更に、皆様にご覧いただきたい物がある。漱石の「博士号辞退の手紙」だ。
漱石は国からの博士号授与に対し、それを辞退するという事件を起こしている。これは漱石の反権威主義の表れとして、よく引き合いに出される出来事だ。

『……學位授與と申すと二三日前の新聞で承知した通り博士會で小生を博士に推薦されたに就て、右博士の稱號を小生に授與になる事かと存じます。然る處小生は今日迄たゞの夏目なにがしとして世を渡つて參りましたし、是から先も矢張りたゞの夏目なにがしで暮したい希望を持つて居ります。從つて私は博士の學位を頂きたくないのであります。此際御迷惑を掛けたり御面倒を願つたりするのは不本意でありますが右の次第故學位授與の儀は御辭退致したいと思ひます。宜敷御取計を願ひます。……』(岩波書店版『漱石全集 第15巻』續書簡集より抜粋)

生まれてから今まで、そしてこれから先も「小生はたゞの夏目なにがし」なのだから「博士の學位を頂きたくない」し「學位授與の儀は御辭退致したい」と漱石は言うのだ。

「たゞの夏目なにがし」である。

穿った見方をすれば「多田の夏目なにがし」とも取れる。
「多田」とは「多田満仲」つまり「源満仲」であり、「なにがしかがしといふいみじき源氏の武者」である。
私は、漱石のこの辞退騒動が、それこそ「ただ」の反権威主義からの言動と片付けて仕舞える程、簡単な話ではないように思う。
「坊ちゃん」の憤りを思えば思う程、根の深い問題のように感じるのだ。

余談だが、方南通りを環状七号線に向かって行くと、中野通りを過ぎ上り坂となる。そしてそれが下り坂となり下り切った辺りに交差点がある。
その前方右手には東京メトロの中野工場が見え、そして左手は上り坂となっている。その坂を上って行くと軈て右手に神社が現れる。
「多田神社」である。
多田源氏の祖「源満仲」を祀った神社だ。
つまり、漱石とその作品「坊っちゃん」と関係浅からぬ神社ということになる。

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