あんたがたどこさ考 ①

その1 定説、通説
「あんたがたどこさ」という手毬唄を、皆様はご存じの事と思う。
この歌は熊本の手毬歌というのが定説だ。
また、埼玉の川越が舞台とする説もあるようだ。
そこでここではこの川越説について少し触れたい。

簡単に話して終えば、戊辰戦争時の川越が舞台だとする説である。
つまり、戊辰戦争に際し川越に進駐した薩摩の志士と川越の子供たちとの交流――遣り取りを歌ったもの、だというのだ。
何はともあれ、その説を要約すると下記の通りである。

曰く
川越の子供(以下川):あんたがたどこさ
倒幕派の兵隊(以下兵):肥後さ
川:肥後どこさ
兵:熊本さ
川:熊本どこさ
兵:船場(せんば)さ

前半はこのように川越の子供と兵隊のやり取りである。
この先、後半は川越の子供の独白になる、というのである。

仙波山には狸がおってさ
それを猟師が鉄砲で撃ってさ
煮てさ
焼いてさ
食ってさ
それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ

川越の仙波山にはこの狸を祀るお社があり、狸とは徳川家康のことであり、幕府を指している。
「撃つ」は「討つ」で、討幕に通ずる、というのである。

上記のように中々よくできた話で、ネット等でもよく語られ散見しているので詳細はここでは省く。興味を持った方は検索してみると良いだろう。
しかし私から言わせれば、この説は目眩ましにも等しい、ダミーに若かない。真のメッセージは他にある。
その事に私は気付いて終ったのだ。

この章は謂わばプロローグである。次章では、その私の発見した衝撃の真相に迫ってみたい。

乞うご期待。


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