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36年の嘘~上海列車事故~第8章「玉石混交の中国側資料~運転士の行動から見えるもの~」

当考察シリーズの一覧はこちらです。


玉石混交、虚実ないまぜ

 本シリーズの第5章において私は上海列車事故における中国政府の事故報告書と当時の共産党機関紙「解放日報」の記事、そして高知学芸高校で行われた説明会における中国側慰問団による説明を示し、そのうえで続く第6章にて中国政府の公式見解を否定した。

 その他、一部の遺族や学校関係者が慰問団に対して何度も、「当時の運行ダイヤは正しかったのか」と問い詰めたのに対して中国側がその都度、正常なダイヤだったと言い切ったにもかかわらず、結局は公式資料から嘘が露見するという醜悪な顛末を紹介した。

 しかし、中国側からの情報の全てが噓八百なのだろうか?
 感情的には、そのように切り捨てたくなるが、感情で物事を語っていては真相は迷宮入りしてしまう。いや、迷宮の入口にすら入れない状態になるのではないか。
 例えば311号列車の乗員の氏名まで嘘なのか?そうではあるまい。この事故が発生したのは上海近郊の匡巷駅付近だった。それも正しい。

 正確な情報と創作(捏造)された物語がないまぜになっているのが、上海列車事故における・・・もとい、限りなく全ての中国絡みの事件や事故における中国側から提供される情報の実態なのではないか。

 本章では、第5章にて紹介した情報を中心に、中国側の情報の信ぴょう性を個別に検証し、上海列車事故の真相究明に寄与する情報を洗い出していきたい。

時速11キロ

 第5章にて概要を示した中国政府の上海列車事故に対する事故報告書だが、ここで改めてそのさわりを以下に記す。

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1988年3月28日から4月2日の5日間にかけて上海列車事故の調査グループが、現地調査やブレーキなどの車両の部品の性能検査などを実施して事故原因を特定した。

①機関車のブレーキは正常に作動しており、後部車両のコントロールに支障はなかった。

②機関車と続く4両の客車の車輪には激しい摩擦痕があった。また、それらの車輪のブレーキパッドにはいずれも顕著な過熱瘢痕があったが、このうち前から3両目(全壊した車両)と4両目のブレーキパッド制輪子の痕跡は衝突直前の急ブレーキによるものと断定できた。

③311号列車は事故現場となった匡巷駅に時速40 kmで進入したが、衝突後の時速メーターは時速11 kmで止まっていた。

④上記①~③から311号列車のブレーキ系統は正常だったと断定する。

⑤現場や事故車両にテロ行為など外部から人為的に破壊された形跡はなく、事故現場となった匡巷駅の信号系統にも異常はなかった。

⑥311号列車の運転手が運行規定に違反して、匡巷駅の待避線の出発信号が赤なのに、それを見落として突進し、ポイントを壊して本線区間に進入し、ブレーキをかけたが間に合わず、208号列車と正面衝突したというのが事故原因である。
―――――――

 第6章において私は、「なぜ2号車(3両目)が大破したのか」という問いに対して説明会で中国側が示した回答(ブレーキのタイムラグ)と上記の②で書かれている内容が、実際の事故の状況と全く合致しないことを指摘して、中国政府の公式見解の自己矛盾を指摘した。中国側の現地踏査の報告全てが疑念を抱くに値すると言っても過言ではない。

 だがしかし、衝突時の311号列車の速度が時速11 kmだったという情報についてはどうだろうか。

【潰れなかった機関車】

上海列車事故で正面衝突した双方の列車の先頭機関車

 現場の映像から確実に言えることが一つある。正面衝突した311号列車は低速で208号列車に衝突したということだ。

 上は衝突した双方の列車の先頭機関車を捉えた映像だが、前方部が多少潰れている様子とはいえ大破とは程遠い原型を保った状態だ。参考までに下に311号列車側の機関車を前方から撮影した写真も添付しておく。

事故後の311号列車の機関車前方部

 鋼鉄製の極めて頑健なディーゼル機関車の最前部が潰れている。しかし、例えば同じ列車同士の正面衝突事故でも、例えば第2章にて言及した信楽高原鐡道列車衝突事故ではとは全く状況が異なるのが分かる。

 そしてもう一つ見逃せないポイントは、双方の機関車からは犠牲者が一人も出ていないということだ。正面衝突した先頭車両にいながら死者が出なかったという事実は、311号列車と208号列車の衝突エネルギーが重度ではなかったことを明確に物語る。

 そして次章にて詳しく書くが、208号列車が衝突時に時速40km程度だったと推測されることも鑑みれば、なおさら衝突時の311号列車の低速だった可能性が高まる。

【運転士は飛び降りたか】

 なお、衝突当時の311号列車の周運転士の動向について、第5章で示した共産党機関紙「解放日報」には機関車の物陰に隠れたとしている一方で、中国政府の公式発表では衝突直前に飛び降りたとしている。中国側慰問団の遺族に対する質疑応答でも同様だった。解放日報を除く他のあらゆる媒体が周運転士が飛び降りたとしている。
 先述の運行ダイヤに関しては中国は嘘をつくだけの動機があった一方で、この点について嘘をつく意味がない。従って以降の考察においては周運転士は事故直前に機関車から飛び降りたという前提で論じるものとする。

 完全に私の想像だが、解放日報に書かれた衝突時の運転士の行動は208号列車の運転士のことなのではないだろうか。流石に運転席から離れないで難を逃れることは考えにくいからである。

 ところで、人間が動いている車などから飛び降りたとして、時速何キロまでならば大丈夫なのだろう。これについて明確な数字は得られなかった。 
 yahoo知恵袋にて、
“昔のクイズ番組で「車から安全に飛び降りる方法」という名目で検証したことがあり、その際に地面は砂利でヘルメットなし(ただし胴体の防具あり)という条件下でスタントマンが飛び降りた速度が時速30kmだった。一般人なら時速20kmほどだろうか。”
という考察が見つかったくらいだった。

 一方で、前章にて言及した関東鉄道取手駅での事故(1992年6月)においても、衝突直前に運転士は取手駅のホームへ飛び降りている。この際の列車は時速40km。過去の新聞記事を調べても詳しいことは分からなかったが、この関東鉄道の運転士は入院しつつも事故当日から聴取に応じていることから軽傷だったものと思われる。

 一方で上海列車事故の場合、周運転士が飛び降りたのは駅のホームではなく整地されていない地面。しかも車高の高い車両からの飛び降りだった。周運転士はかすり傷程度だったと思われる。

以上から、事故報告書にある「衝突時の311号列車の速度は時速11km」という内容は正しいものと思われる。
 なお、208号列車においては時速50 kmほどで匡巷駅を通過する予定だったとされているが、311号列車が本線に向かってくるのを見て急ブレーキをかけたという。衝突時の速度についての情報は見当たらなかった。

【時速40キロ】

 一方で311号列車の匡巷駅の待避線への進入速度である時速40 kmの信憑性はどうだろう。一部遺族はこの点を激しく疑っている。折り返し運転で再出発した真如駅から事故現場となった匡巷駅までの距離は7キロ。7キロも離れた駅を時速40kmなどという低速で走行するというのかということだ。 

 当時仕事で中国を訪れていた人の証言によれば一般道を時速80kmという不安になるような速度で走行している車に乗っていると、その横を更に高速で運行する列車に追い抜かれたので驚いたのだという。

 ダイヤ通りだと、311号列車は真如駅から匡巷駅まで11分で進むことになっている。

・7キロ÷11分=636m
・分速636m×60=時速約38.2km

 このような計算から、中国政府が言う進入速度時速40kmというのは距離と所要時間を割って求めた後付けの数字にも見えてくる。
 他方で、第3章でも言及したように、311号列車は蘇州から杭州まで6時間以上をかけて向かう。いったん上海方面にう回する線形とはいえ、運行距離は200キロから250キロといったところか。真如駅のように長時間停車する駅や本来の予定では行き違いのために匡巷駅で停止する予定だったことを加味しても、時速40kmで走行していた区間があっても不思議ではない。

 よって、件の時速40kmに関しては結論を出せない。しかし、仮により高速で真如駅から匡巷駅まで向かっていたとするならば、時速11kmにまで速度を落とすのはますます大変である。第6章末尾の計算にあるように、時速40キロからの減速でも大変なのに。

空気漏れはあったか

 中国側の情報の真偽をどのように判別するべきか。再三述べるように上海列車事故についての中国政府による公式見解は「311号列車側の不注意による待避線の停止信号見落としが原因」「ブレーキなどの異常は皆無だった」というものである。しかし、それでは説明がつかない事象が多々あることを私はこれまで示してきた。

 では、信号機見落としという結論が虚偽なのであれば逆に、その結論を補強しない記録は概ね事実なのではないだろうか。そのような前提で「解放日報」の記事を読めば何が見えるだろうか。
※解放日報の記事の詳細は第5章を参照されたい。

 解放日報の記事は、周運転士と劉運転助手の勤務状況から始まる。
 この日の朝、2人が機関車ND-0190を運転して杭州から真如へ定期便を運行したということ、その後ND-0190を方向転換させて今度は杭州行の311号列車を牽引するべく連結したという出来事は事実であろう。

 記事は真如駅でのブレーキの様子について随分詳細に書いている。以下、当該部分を再度引用する。

午後1時51分
ND-0190は311号列車を杭州までけん引することになり、(真如駅で)準備を始めた。周と劉は操作の慣例に従って、列車のブレーキシステムを検査した。空気ブレーキテスト後、気圧は空気ブレーキの正常圧力である基準値6キロに達し、311号列車の運行担当者(車掌)・方祥徳も確認した。
だが、駅の列車点検員が車両を検査した際、制御系統の肘コック(車両相互間を連結する空気ホースを取り付けるため下方に曲げた締め切りコック)に空気漏れが見つかった。ゴム座金を交換して、再び空気ブレーキを点検した結果、基準値に達した。

 一見、この部分は「ブレーキに異常はなかった」という中国政府の主張を補強しているかのように思える。しかし、本当にアリバイ作りのための記述だとすれば、「空気漏れが見つかって修理した」という内容を書くだろうか。本当に事実を捏造するのであれば、「真如駅で点検したブレーキは何の問題もなかった」という趣旨の内容を書くのではないだろうか。

 真如駅で機関車ND-0190が311号列車に連結したのちに、ブレーキコックに空気漏れが見つかって修理したというのは事実なのではないか。この点については次章で深堀りしていくことになる。

運転士の行動から見えるもの

 311号列車の運転士が衝突直前に機関車から飛び降りたという事実について、高知学芸高校で行われた説明会で「事実なのか?」という遺族の質問に対して中国側はその通りである旨を念押ししている。
 しかし私は、その運転士が飛び降りたという行動から、彼が信号無視をしたという公式見解を強く否定する

 さて、この記事を読まれている貴方は列車を運転できるだろうか?
 もしかするとシリーズの趣旨からして本物の運転士の方に読んで頂けているかもしれない。しかしそのような本業の人以外は無理である。訓練していないから当然だ。

 では貴方は動いている列車から飛び降りることができるだろうか?
 それは誰もできないのではないか。スタントマンでもない限り、動く列車から飛び降りる訓練など誰もやらない。
 少なくとも咄嗟の判断で飛び降りるなどできないと思う。動いたままの列車から飛び降りるには覚悟を決める時間が必要だ。

 第7章で言及した関東鉄道の列車がブレーキが効かなくなって取手駅の駅ビルに激突した事故でも、先述のように運転士は飛び降りているが、このケースでは取手駅のはるか手前で運転士はブレーキが効かないことを把握していた。そして運転士は乗客に対してブレーキが効かないこと、よって後方の車両に逃げるようにアナウンスまでしている。そして概ね乗客が逃れたことを視認して駅のホームに飛び降りたという。それだけの時間と覚悟の余裕があったうえでの飛び降りだった。

 同様に第7章で言及した秩父鉄道での事故においても運転士は飛び降りているが、このケースでも、列車が制御不能状態になったことを脱線・転覆のかなり前に把握していたはずだ。

上海列車事故の事故現場付近の位置関係

 匡巷駅の待避線の停止信号は、本線に再合流する付近に設置されていた。そして311号列車が208号列車と正面衝突したのは本線に合流してから僅か20メートルほど進んだだけの場所だった。
 本当にこの信号を見落としたとすれば、見落としてから衝突までの時間はごく僅かしかない。しかも、漫然と運行していたところ目の前に突然対向列車の存在に気付くということだ。そこから咄嗟の判断で車外に飛び降りることなどできるだろうか。

 311号列車の周運転士が衝突直前に飛び降りたということは、311号列車において衝突のかなり前から止まりたくても停まれない事態が発生しており、対向列車との正面衝突がかなり高い可能性で予見されていたのではないのだろうか。

 次章では、これまでの情報と分析をもとに辿り着いた上海列車事故の真の事故原因を解き明かしていきたい。


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