上海列車事故の備忘録

上海列車事故(1988年3月24日)についての考察をしていきます。 お問合せ・感想・情…

上海列車事故の備忘録

上海列車事故(1988年3月24日)についての考察をしていきます。 お問合せ・感想・情報提供などは以下へお願いします。 shanghai19880324@gmail.com

マガジン

  • 36年の嘘~中国が葬った上海列車事故の真相~

    1988年3月、中国・上海に砕け散った27の青春ーーー高校1年生だった27名の彼ら彼女らはなぜ死ななければならなかったのか。 中国政府が遺族らに行った嘘の報告の実態と、上海列車事故の真の姿の解明をしていきます。

  • 核心・上海列車事故

    1988年3月24日、高知から中国に修学旅行に訪れていた高校生たちが多数犠牲になった「上海列車事故」が発生しました。著しい風化を辿るこの悲劇ですが、事件の真相・実相の多くが明かされていません。この事故をめぐるとある混乱の背景を考察し、上海列車事故の悲劇の核心に迫ります。

最近の記事

36年の嘘~上海列車事故~第7章「ブレーキ不良説の壁」

当考察シリーズの一覧はこちらです。 ブレーキ貫通の有無―――上海列車事故の原因は運転手の信号見落としである。これが、中国が日本側に伝えた公式見解である。だが、本当にこれをうのみにしてよいのだろうか。これが、私がこの事故にこだわり続ける理由の一つだ。この事故原因の究明過程が不透明であり、決着のつけ方があまりにも中国的だったからだ。  これは長年にわたり上海列車事故を取材して報じ続けてきたジャーナリスト・西岡省二氏の言葉である。現在、KOREA WAVEの編集長をつとめる西岡

    • 36年の嘘~上海列車事故~第6章「矛盾に満ちた中国の公式見解②・・・論理破綻」

      当考察シリーズの一覧はこちらです。 子供の使い 当時の上海鉄路局長を代表とする中国政府の弔問団が来日したのは、1988年5月になってからのことだった。同月15日に高知学芸高校にて行われた報告会にて遺族や負傷者家族、学校関係者を前にして上海列車事故の調査報告書が渡された。報告書の作成から1カ月半が経過していた。  少なくない遺族や学校関係者が、運転士の信号見落としを事故原因とする報告に疑問を抱いていた。彼らの疑問点は大きく3点に分けられる。 【疑問①】 311号列車の機関

      • 36年の嘘~上海列車事故~第5章「矛盾に満ちた中国の公式見解①・・・中国側の資料」

        当考察シリーズの一覧はこちらです。 おことわり  当シリーズを書くにあたり参考資料として、2017年から2018年にかけて毎日新聞web版にて連載されたシリーズ記事「上海列車事故 29年後の真実」(西岡省二氏)から多数引用しており、その旨を各章末に明記しております。  ただし、本章においては当シリーズのなかでも同シリーズからの引用が大きな部分を占めることを、あらかじめおことわりしておきます。 錯綜する事故原因「(高知学芸高校の一行が乗っていた)311号列車の運転士による待

        • 36年の嘘~上海列車事故~第4章「208号列車の2両目の謎を解く」

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 事故の本質を覆い隠した車両 「一目瞭然」という四字熟語が示すように、目で見て得た情報の威力は大きい。  上海列車事故において、外見的に最もインパクトがあるのは機関車に乗り上げている208号列車の2両目であり、第1章にて言及したようにこの車両の写真ばかりが上海列車事故を報じるにあたって取り上げられやすい理由でもある。  そして上海列車事故において311号列車の3両目が前方車両に押し潰されて大破したという異常性がなかなか伝わらない、知れ渡

        36年の嘘~上海列車事故~第7章「ブレーキ不良説の壁」

        マガジン

        • 36年の嘘~中国が葬った上海列車事故の真相~
          7本
        • 核心・上海列車事故
          7本

        記事

          36年の嘘~上海列車事故~第3章「3月24日、上海列車事故までの軌跡」

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 修学旅行の日程 1988年(昭和63年)3月に実施された高知学芸高校の修学旅行は、学校創立以来初めてとなる海外を目的地としたものだった。旅程は中国の蘇州と杭州を中心とした8日間。396名に上る同校の1年生を3班に分けての修学旅行となり、うち1班は国内の東北地方を目的地とし、中国へは2班が相前後して向かった。上海列車事故に巻き込まれたのは中国を目的地とする2班目(生徒179名)だった。この班の旅程は以下のとおりである。 3月21日(月)

          36年の嘘~上海列車事故~第3章「3月24日、上海列車事故までの軌跡」

          36年の嘘~上海列車事故~第2章「変な事故」

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 正面衝突と物理法則 列車同士の正面衝突。その言葉から想像される光景と、上海列車事故の実態。そこには大きな隔たりがある。  通常、列車の正面衝突では先頭車両、それも前に進むにつれて被害が大きくなる。これは単なる常識ではなく、物理法則に基づいた現象だ。しかし、上海列車事故では、この「当たり前」が覆された。なぜ、中間車両に被害が集中したのか。この疑問は、鉄道の専門家でなくとも、誰もが抱くはずだ。  本章冒頭の画像は1991年5月14日に発生

          36年の嘘~上海列車事故~第2章「変な事故」

          36年の嘘~上海列車事故~第1章「ここに生徒たちはいない」

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 脳裏に浮かぶ光景 1988年3月24日の現地時間午後2時19分(日本時間午後3時19分)、中国の上海近郊において南京から杭州へ向かっていた列車「311号列車」と長沙から上海へ向かっていた列車「208号列車」が正面衝突し、合計29名が死亡した。  犠牲者29名の内訳は208次列車が1名に対して311次列車が28名。その28名は当時、中国へ修学旅行中だった私立高知学芸高校の男性教諭1名と高校1年生の男女27名。それが上海列車事故である。  

          36年の嘘~上海列車事故~第1章「ここに生徒たちはいない」

          核心・上海列車事故~第6章・太陽の少女~

           本章をもって今回の考察シリーズは最終回です。ここまでお読みいただきましてありがとうございました。  当考察シリーズの一覧はこちらです。 核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note 【語られない上海列車事故】 生還した生徒、教師たち、在校生、多くの遺族、その他の関係者・・・上海列車事故の当事者や関係者といえる多くの人たちは事故のあと、まるで貝になったように沈黙した。  ネット上の高知県のローカル掲示板では当時の高知学芸中高の在校生だった思しき人が「あの事故について

          核心・上海列車事故~第6章・太陽の少女~

          核心・上海列車事故~第5章・南翔病院~

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note  上海列車事故において一体なぜ死亡した生徒の身元特定を誤り、こともあろうに生きている生徒を死んだと発表するという絶対にあってはならないミスが起きたのか。  事故が発生した1988年3月24日夜に「野々村恭子(仮名)という女子生徒の死亡が確認された」という情報がメディアでも流れながら、数時間後に、実は彼女は生存しており誤報だと判明したというこの騒動。  ここまで4つの章を重ねて整理した時系

          核心・上海列車事故~第5章・南翔病院~

          核心・上海列車事故~第4章・奔走-上海での教師たち-~

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note 【糾弾された教諭たち】 この章では上海列車事故の発生時、生徒を引率していた高知学芸高校の教諭たちが現場においてどのように動いたのかということを追っていくこととする。  この上海への修学旅行へは男性8名と女性1名の計9名の教員が高知から生徒を引率し、うち男性教員1名が犠牲になった。辛くも上海から生還した教諭たちはその後、針の筵に座らされることとなる。「大勢の生徒を死なせておきながら生きて帰

          核心・上海列車事故~第4章・奔走-上海での教師たち-~

          核心・上海列車事故~第3章・荼毘に付された3生徒~

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note ※引用資料中の生徒の氏名は仮名とします。 ※考察の必要上、遺体の状態に言及している記述があります。 ※病院名は資料によって「病院」と「医院」が混在していますが同義です。中国での正確な名称は「医院」だと思われます。 【北寺塔】 上海列車事故の発生直後は全国紙も地方紙も新聞各紙は連日いくつもの記事を載せて続報を伝えていたが、とりわけ地元の高知新聞においては密度が高い報道が行われていたことは

          核心・上海列車事故~第3章・荼毘に付された3生徒~

          核心・上海列車事故~第2章・日本視点の時系列~

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 核心・上海列車事故上海列車事故の備忘録|note ※引用資料中の生徒の氏名は仮名とします。 ※今回の検証のテーマである遺体の身元誤認に係る部分は太字にしています。  ここでは後の章での検証の根拠として当時の報道資料に記載されていた時系列を挙げてみる。主な引用資料は事故当時の読売新聞の記事であるが、慶應義塾大学の教員による上海列車事故の事後処理の検証論文にも貴重な情報となる時系列が載っており一部引用する。  また、本章の末尾に時系列を一覧

          核心・上海列車事故~第2章・日本視点の時系列~

          核心・上海列車事故~第1章・死んだことにされた生徒~

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note 【はじめに】 今回、全6章にわたって高知県の高知学芸高校の生徒・教員が巻き込まれた上海列車事故(1988年3月24日発生)について考察を試みる。事故の混乱の過程で生じたとある出来事の謎を検証することで、未だに多くが明かされていない当時の上海の現場の様子を推察していきたい。 【風化】 「上海列車事故」という出来事を、どれほどの人が知っているだろうか。 1988年3月、中国を訪れていた私立

          核心・上海列車事故~第1章・死んだことにされた生徒~

          【説明】上海列車事故がどのように発生したか

          当考察シリーズの一覧はこちらです。 核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note  高知学芸高校(高知県高知市)の生徒と教員が巻き込まれた「上海列車事故」(1988年3月24日)についての考察をお読みいただくうえで、そもそもこの事故がどのような形での衝突事故だったのかということがあまり知られていない。Wikipediaの記事(上海列車事故 - Wikipedia)を参照されるのもよいが、事故の生徒遺族が学校側を訴えた民事訴訟の判決文が非常に詳細に当時の模様を伝えている

          【説明】上海列車事故がどのように発生したか