核心・上海列車事故~第1章・死んだことにされた生徒~
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核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note
【はじめに】
今回、全6章にわたって高知県の高知学芸高校の生徒・教員が巻き込まれた上海列車事故(1988年3月24日発生)について考察を試みる。事故の混乱の過程で生じたとある出来事の謎を検証することで、未だに多くが明かされていない当時の上海の現場の様子を推察していきたい。
【風化】
「上海列車事故」という出来事を、どれほどの人が知っているだろうか。
1988年3月、中国を訪れていた私立・高知学芸高等学校(高知県高知市)の修学旅行生たちが蘇州から杭州へ鉄道で移動中、乗車していた列車が上海近郊にて別の列車と正面衝突して男女27名の生徒たちと男性教員1名が犠牲となった出来事である。生徒たちは高校1年生で16歳(男子生徒2名は15歳)だった。
当事者とその周囲の人を除けば果たしてどれだけの人が1988年(昭和63年)3月24日に発生したこの悲劇について覚えている、あるいは知識があることだろうか。発生から既に30年以上が過ぎ去ったが、それだけの時間が経つずっと前、まだ21世紀にならないうちに早々にメディアに扱われる機会がなくなり今ではすっかり風化してしまっている。
大きな出来事の風化の原因は多くの場合は世間の冷たい無関心によるものだが、この上海列車事故においてはそれだけとは言えない。あまりにも明らかになっていないことが多いのだ。真の事故原因もブレーキホースの付け忘れとも信号の見落としともルーズな運行ダイヤとも言われているが未だに確定していない。それどころか、犠牲になった高知学芸高校の男女27名の生徒と教諭1名が具体的にどのように死んでいったのかということを遺族すら十分に知らされていないのだ。事故から30年経ってようやく、亡くなった息子が当初は生きて救助されていたことを知った母親もいた。
高校1年生の男女27名の生徒の死という数字だけでは、縁もゆかりもない第三者からすれば共感や怒りや哀悼の気持ちを抱くにも実感が薄いと言わざるを得ず、関心を抱きたくても難しい。この風化の原因については私自身のtwitterにて幾度か雑感を述べているのでご覧いただけたならば幸いだ。
上海列車事故の備忘録(@shanghai0324)さん / Twitter
【死んだことにされた女子生徒】
さて、この上海列車事故において当時の現地の対応の混乱を象徴するようなエピソードとして「死亡確認した生徒を誤報した」という出来事があった。
事故発生が伝えられた1988年3月24日の夕刻から高知学芸高校には生徒の保護者たちが集まり、固唾をのんでテレビが伝える現地の情報にくぎ付けになっていたところ夜半になって男女1名ずつ、計2名の生徒が死亡したという速報が報じられた。ところが数時間が経ってのち、死亡したと報じられたこの女子生徒が重傷を負いつつも実は生存していたことが判明したのだった。メディアが間違って報じたためではなく、現地での生徒の遺体の身元特定に誤りがあったためだった。
事故のあと学校を相手取って民事訴訟を起こした一部遺族の中には、現地の教諭たちの怠慢・欺瞞・無能の象徴的出来事として徹底的に非難する者もいる。現在に至るまで一体何故、このような絶対にあってはならないミスが生じたのか明かされていない。
しかしこの度、私は長年にわたる独自の資料収集のうえで、この出来事の経緯の解明を試みた。その結果浮かび上がったのは、あまりにも生々しい事故の実像であり、この「遺体取り違え事件」にこそ、この上海列車事故における悲惨さの核心があるということだった。
今回は本章に続く全6回の記事において経緯の整理および分析を行っていくこととする。