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36年の嘘~上海列車事故~第5章「矛盾に満ちた中国の公式見解①・・・中国側の資料」

当考察シリーズの一覧はこちらです。

おことわり
 当シリーズを書くにあたり参考資料として、2017年から2018年にかけて毎日新聞web版にて連載されたシリーズ記事上海列車事故 29年後の真実(西岡省二氏)から多数引用しており、その旨を各章末に明記しております。
 ただし、本章においては当シリーズのなかでも同シリーズからの引用が大きな部分を占めることを、あらかじめおことわりしておきます。


錯綜する事故原因

「(高知学芸高校の一行が乗っていた)311号列車の運転士による待避線の停止信号見落とし」
これが中国政府による上海列車事故の発生原因の結論である。

 3月24日の事故発生直後は情報が錯綜し、新華社通信などの中国メディアは「311号列車側の信号無視の疑いが濃厚」と報じる一方で、中国の鉄道当局の動向からは、当局が別の可能性を疑っていたことが窺える。

 事故から2日後の3月26日、中国を訪れた日本政府関係者に中国外務次官と鉄道次官は「311号列車の運転手はブレーキが作動しなかったと言っている。赤信号を受けて停止しようとしたが止まることができずに約300メートル進んで対向列車と衝突した」と説明しているのだ。
 同じ頃、当時の上海鉄路局副局長も記者会見で、「客車部分のブレーキ系統が不良だった。つまり、機関車には正常にブレーキがかかったが、その後ろに連結された客車部分には伝わらず、客車部分が機関車を後ろから押すような形になった」と述べている。
 それらを受けて、このブレーキ不良説は高知新聞など日本メディアでも取り上げられている。

 ところが、4月になって中国当局はブレーキ不良説を打ち消し、311号列車の運転士の信号見落としが原因と断定した。
 そして上海鉄路局は4月3日、運転手の周小牛(当時45歳)を鉄道規則違反(信号無視)容疑で逮捕した。運転助手の劉国隆(当時33歳)も同じ容疑で取り調べられ、その19日後に逮捕された。

中国政府の報告書

 中国政府による上海列車事故の調査報告書(1988年4月2日付)の概要は以下のとおりである。

・上海列車事故の調査グループは、3月28日から4月2日の5日間に、現地調査やブレーキなどの車両の部品の性能検査などを実施して事故原因を特定した。
・機関車のメインブレーキ、補助ブレーキともに正常に作動していた。メインブレーキの通風状態は良好で、後部車両のコントロールに支障はなかった。
・機関車と続く4両の客車の車両踏面(車輪のレールと接する場所)には、いずれも著しい擦傷による帯状痕跡がある。そして車輪と制輪子(ブレーキパッド)はいずれも強烈な摩擦による過熱瘢痕があった。科学検証の結果、前から3両目(全壊した車両)と、4両目の制輪子の痕跡は列車が衝突する前に、運転手がブレーキをかけたため作られたものと断定する。
・311号列車は事故現場となった匡巷駅に時速40キロで進入したが、衝突後の時速メーターは時速11キロで止まっていた。
・以上から311号列車のブレーキ系統に異常は見いだせなかった。
・上海鉄路公安局と鉄路公安分局の捜査によると、(テロ行為などの)人的破壊の形跡はなく、事故現場となった匡巷駅の信号系統に異常はなかった。
・311号列車の運転手が運行規定に違反して、匡巷駅の待避線の出発信号が赤なのに、それを見落として突進し、ポイントを壊して本線区間に進入し、ブレーキをかけたが間に合わず、208号列車と正面衝突した。

御用新聞に書かれた詳細な記録

事故現場付近(2018年)。上海列車事故の面影はない。

 同じ頃、共産党上海市委員会の機関紙「解放日報」は報告書を補完するかのように、『3・24列車衝突 全貌が明らかに』という見出しで長編記事を書いている。ここには上記の調査報告書に記されていない、運転手・周小牛と運転助手・劉国隆の事故当時の行動が詳細に記されている。
 本シリーズ第3章と内容が重なる部分もあり、少々冗長となるが後章における考察の参考資料ということもあり、引用することとする。

午前8時50分
周と劉は機関車ND-0190を運転し、120号列車を杭州から牽引し始める。

午後0時45分
ND-0190は予定通り真如駅に到着し、120号列車を切り離して上海機関区に引き渡す。

午後1時51分
ND-0190は311号列車を杭州までけん引することになり、(真如駅で)準備を始めた。周と劉は操作の慣例に従って、列車のブレーキシステムを検査した。空気ブレーキテスト後、気圧は空気ブレーキの正常圧力である基準値6キロに達し、311号列車の運行担当者(車掌)・方祥徳も確認した。
だが、駅の列車点検員が車両を検査した際、制御系統の肘コック(車両相互間を連結する空気ホースを取り付けるため下方に曲げた締め切りコック)に空気漏れが見つかった。ゴム座金を交換して、再び空気ブレーキを点検した結果、基準値に達した。

午後2時7分
ND-0190の牽引により311号列車は真如駅を出発。

午後2時18分
311号列車は匡巷駅に到達。
規定によれば、列車が信号機に近づいたら、スピードを落とし、規定の位置に停車すべきだった。信号機から停車位置までの距離は600~700メートル。しかし311号列車は減速せず、その様子を見た匡巷駅操車係が無線で列車に減速を呼びかけたが、運転手から応答はなかった。操車係は引き続き呼び掛けたが、列車は既に規定の停車位置を越えて前に進み続けた。駅係員も列車を止めようとしたが、手遅れだった。
311号列車は赤信号を無視し、ポイントを壊して区間に入り、前進した。赤信号に突っ込んで、運転士の周はようやくブレーキを掛けようとした。だが、巨大な慣性によって、列車はすぐに止まらなかった。
周は問題の深刻さに気づき、運転助手の劉に「列車から飛び降りて208号列車を停止させろ」と命じた。だが劉は列車から飛び降りようとした時、慌ててしまい、つまずいて倒れた。劉が起き上がった時には、208号は目の前に迫っていた。周は衝突事故は避けられないと考えて機関車のディーゼルエンジンの後ろに隠れた(※)。
最後部の車両にいた方祥徳も異常に気づき、直ちに運転手に連絡を取ろうとしたが、運転手からの反応はなかった。方は何かが起きていると思い、緊急ブレーキをかけようとしたがレバーに触れる前に衝突した。

事故現場付近の路線図および311号列車と208号列車の経路

衝突後
周は責任の重大さに気づき、責任は免れないと覚悟した。事故現場で劉に「しまった。今度こそ、牢屋に入らなければならない」と話した。周と劉は、列車に故障が見つかれば、自分たちの責任が軽くなると考えた。
彼らは機関車の後部に行き、肘コックに何か問題がないか点検した。だが、肘コックは既に破壊されていたため、そんな言い訳すら見つけられなかった。周は劉に「ブレーキが利かなかったため事故が起きた」で押し通すよう求めた。劉は関係者に「赤信号、黄信号ともついていた。無線も大丈夫だった」と答えた。(以上)

※・・・中国政府の調査報告書では劉運転士は衝突直前に運転席から飛び降りたとされている。報道などを含む他のあらゆる媒体では運転士が飛び降りて軽傷ないし無傷で済んだとされており、そちらの情報が正確だと思われる。

限りなく即決に近い裁判

裁判を受ける311号列車の乗員2人。左が運転士・周小牛、右が運転助手・劉国隆。

 逮捕された運転士・周小牛と運転助手・劉国隆は1988年8月8日、「交通事故惹起罪」(事故を引き起こした罪)で上海鉄路運輸中級法院に起訴された。
 そして2人に対する公判が開かれたのが9月22日。午後1時に始まった裁判は人定質問、起訴状朗読、論告求刑から判決言い渡しまで約7時間、一息もつかずに終わったのだという。判決は周が懲役6年半、劉が懲役3年だった。 

 裁判を傍聴した当時の朝日新聞上海支局長は次のような感想を抱いたという。
「人定質問から判決まで一挙にやったのは初めて見た。(いくら中国でも)特殊なケースだと思う」
「ものすごく急いでいるという印象は受けた」

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