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36年の嘘~上海列車事故~第6章「矛盾に満ちた中国の公式見解②・・・論理破綻」

当考察シリーズの一覧はこちらです。


子供の使い

 当時の上海鉄路局長を代表とする中国政府の弔問団が来日したのは、1988年5月になってからのことだった。同月15日に高知学芸高校にて行われた報告会にて遺族や負傷者家族、学校関係者を前にして上海列車事故の調査報告書が渡された。報告書の作成から1カ月半が経過していた。

 少なくない遺族や学校関係者が、運転士の信号見落としを事故原因とする報告に疑問を抱いていた。彼らの疑問点は大きく3点に分けられる。

【疑問①】
311号列車の機関車には運転手と運転助手の2人もいながら双方とも赤信号に気づかなかったということか。しかも出発した直後の出来事だ(詳細は疑問②の解説参照)。そのようなことがありえるのか。

【疑問②】
運行ダイヤがおかしかったのではないか。
(解説)
311号列車は真如駅から11分ほどかけて7kmほど先の匡巷駅に達して待避線に入るも停止せずに本線に進入した直後(ポイントから20mほど先)の地点で208号列車と正面衝突している。つまり311号列車が待避線で停止した直後に208号列車が本線を通過することになっていたということだ。
ところが、遺族がダイヤを調べたところ、311号列車は匡巷駅の待避線で8分間停止することになっている。
停止直後に対向列車が通過するのに更に8分近く待つというのか。そもそも、このような余裕のない危険なダイヤの組み方がありえるのか。
実際は311号列車ないし208号列車のいずれかに運行上の問題があったのではないか。

【疑問③】
311号列車のブレーキは本当に正常だったのか。
列車には「貫通ブレーキ」があり、これを作動させれば、すべての車両にブレーキが同時に、均等にかかるはずだ。ブレーキが効いていたなら2号車(前から3両目)だけにダメージが集中する状況は考えられない。1号車(前から4両目。2両目から4両目までが増結された高知学芸高校一行の専用車)と後ろの車両との間にブレーキの貫通がないといったことがあったのではないか。

上海列車事故の現場付近の路線図および311号列車の編成略図(拡大推奨)

 しかし、中国政府の慰問団は遺族らから示された疑問に向き合うことはなかった。中国共産党が決めた方針を一言一句、間違わずに伝えることが彼らの最大にして唯一の任務なのである。
 我が子を突然奪われた親たちを前にしながら、背後に法律よりも仏よりも上にある中国共産党がいる慰問団一行は子供の使いでしかなかった。

正鵠を得る

 上記3つの疑問点のうち、「疑問①」で指摘されている運転士たちの行動については、この後の第8章以降で検証をしていく。

 「疑問②」については第3章末尾で述べたようにジャーナリスト・西岡省二氏が2016年に中国の図書館にて裏取りの資料を発見したことで、結果的に遺族の指摘が正鵠を得ていたということが判明している。上海列車事故から28年以上が経過していた。
 予定より2分早く前の停車駅を出発していた208号列車が正しいダイヤで運行されていたならば、一部遺族の指摘どおり当時の事故現場付近の見通しの良さから、遠くの位置から本線に進入している311号列車に気付いて衝突を回避できていた可能性を否定できない。

自己矛盾を抱えた公式見解

 「疑問③」にあるブレーキ不良の疑念こそは本シリーズの核心であり、続く第7章以降の主題として詳しく検証するが、さしあたって本章では、中国政府の公式見解内で完結する矛盾点を指摘したい。

 「なぜ311号列車の2号車(3両目)に被害が集中したのか?」(上記図参照)いう疑問に、中国側は急ブレーキのタイムラグのせいではないか等と答えたとされる。

 ブレーキをかけても車両ごとにタイムラグ(伝播時間)が生じるのは一般論としては正しい。現代の列車の大半は、全電気指令式ブレーキなど各車両に完全に同時に等しくブレーキがかかる設備が整えられているが、1988年当時はまだ、中国のみならず日本の在来線も、先頭車両から最後尾まで貫通したブレーキ管の空気の減圧によって各車両のブレーキがかかる構造だったと思われる。
 このシステムだとブレーキ管の減圧を行なう先頭車両に近い編成前部ほどブレーキのかかりが早く、編成後部ほど遅くなる。編成の長さ次第では最後尾までブレーキが伝播するのに数秒を要することもある。
 中国側の主張は、311号列車は衝突寸前に急ブレーキをかけたが、ちょうど3両目辺りまでしかブレーキの伝播が間に合わなかったという趣旨なのだろう。

 しかし、ここで前章の中国政府による事故報告書から一部を再度引用する。

――― 機関車と続く4両の客車の車両踏面(車輪のレールと接する場所)には、いずれも著しい擦傷による帯状痕跡がある。そして車輪と制輪子(ブレーキパッド)はいずれも強烈な摩擦による過熱瘢痕があった。科学検証の結果、前から3両目(全壊した車両)と、4両目の制輪子の痕跡は列車が衝突する前に、運転手がブレーキをかけたため作られたものと断定する。

――― 311号列車は事故現場となった匡巷駅に時速40キロで進入したが、衝突後の時速メーターは時速11キロで止まっていた

 この中国側の報告が全て正しいとするならば、以下のことが言えるのではないか。

① 311号列車においてブレーキの作用自体はあった。

② 311号列車において先頭の機関車と続く4両の客車、すなわち前から5両目まで、少なくとも前から4両目までは急ブレーキの伝播が間に合っていた。

 中国側が言うようにブレーキ伝播のタイムラグの作用により中間車両が潰れたということは、急ブレーキが間に合わなかった車両が前の車両を押すことにより中間車両が潰れるということではないか。
 その理論を上記②に重ねるならば、前から5両目か6両目、もしくは前から4両目か5両目が潰れていなければならない。
 例えば運転席で操作されたブレーキの伝播が5両目まで達したところで衝突したとすれば、ブレーキの作用がない6両目から17両目までの12両の車両が1両目から5両目までの車両を押す形となり、5両目と6両目の片方もしくは双方が大きなダメージを被ることになる。

 しかし、実際に潰れたのは3両目だった。

事故現場全体図(作成:西岡省二氏)

 中国の報告書と実際に生じた現象が合致していない。
 
中国が調査報告書の正当性を主張すればするほど、2号車(前から3両目)のみが大破した事象の矛盾を深めることになるのだ。

列車を停めるのは大変

 中国側の報告書が正しいとして、時速40kmで走行している311号列車を、衝突時の速度とされる時速11kmまで減速するのには、どれくらいの時間と距離が必要なのだろう。以下にごく簡素なシュミレーションを試みた。

◆ ◆ ◆ シュミレーション ◆ ◆ ◆

・空走時間:ブレーキを作動させてから実際に効き始めるまでの時間。一般的に1〜3秒程度。
・伝播時間:ブレーキの作用が列車全体に伝わる時間。長い列車ほど時間がかかる。この場合、約2〜3秒と推定。
・制動時間:実際にブレーキが効いて減速する時間。
・制動距離:ブレーキをかけてから列車が目標速度まで減速するまでの距離。

※・・・本来であれば各車両の重量や車長を考慮した計算を行うべきだが、非常に煩雑な計算となるため見送った

簡易的な計算方法を用いると

初速: v1 = 40 km/h ≈ 11.1 m/s
終速: v2 = 11 km/h ≈ 3.1 m/s
減速度: 仮に0.5 m/s^2と仮定(実際の値は列車の性能や線路状況により異なる)

制動時間 t = (v1 - v2) / a = (11.1 - 3.1) / 0.5 ≈ 16秒
制動距離 s = (v1^2 - v2^2) / (2a) = (11.1^2 - 3.1^2) / (2 * 0.5) ≈ 113メートル
空走距離と伝播距離を考慮すると:

空走距離: 11.1 m/s * 2秒 ≈ 22メートル
伝播距離: 11.1 m/s * 2.5秒 ≈ 28メートル

よって、総制動距離 ≈ 113 + 22 + 28 = 163メートル
総制動時間 ≈ 16 + 2 + 2.5 = 20.5秒
                               以 上

 上記のシュミレーションから、311号列車においてブレーキが最後尾まで伝播してなおかつ16秒を要さなければ時速40kmから11kmまで減速できないことが分かる。

 「衝突直前の急ブレーキでブレーキの伝播が間に合わなかった3両目が大破した」という、僅か数秒間の時間軸で事を収めようとした中国側の説明は全否定されるべき代物だと言える。

 そもそも中国政府の調査報告は5日間の調査で「原因特定した」としているものである。僅か5日間である。5日間でどうやって徹底調査ができるというのだろう。

参考資料

・上海列車事故 29年後の真実(毎日新聞web版連載・西岡省二氏)
・シルクのブラウス(著:中田喜美子)

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