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コンセプトの違いを批判する違和感

みなさんおはようございます。本日はコンセプトの違いを批判する違和感と題して話を進めたいと思います。結論から言うと、批判すること自体が無意味だと私は思っています。

具体例を出すと食事についてですが、実名を出して申し訳ないですが、サイゼリヤや吉野家がやたらと批判されることがあります。何がかと言えば、安さを売りにすることに対する批判です。個人的にはこれほど無意味な批判はないと思います。題名にもある通り、これらはお手頃価格で食べ物を提供するためのお店です。では品質が悪いかと問われたら全くそうは思いません。むしろあの値段であれだけの味が楽しめるということでかなり満足度は高いです。

では一方で、高級店はどうかと言えば個人的にはそういったお店はそれほど使いません。かといって自分にとって不必要か、と問われたらそんなことは全然ありません。高級店は高級店で利用したいと思うことがあります。どちらのお店でも対象や顧客の目的が違うだけで、必要な物であることに変わりはありません。

その時の目的によって使い分ければいいだけで、客層だってその時々で違いますし、どちらが正しいなんてことはありません。それに高級なお店だってたまに使うから良いのであって、毎日高級料理を食べたいかと問われたら、決してそんなことは思いません。例えば高い焼肉を食べた後で翌日も高いものが食べたいと思うでしょうか?そんな時はお茶漬けが食べたくなるものです。言いたいのはその時々で食べたいものだって変わるからいろんな選択肢があって良いと思います。

その意味では自分の選びたいものを選べばいいというのが私の考えです。安かろう悪かろうという批判を聞いていつも思うのは、じゃあ他の選べば?で終わりです。別に選択肢は一つではありません。文句言うのなら使わなければいいだけです。

題名の話に戻すと、それぞれが違ったコンセプトで商売しているわけだから、批判するのはお門違いだと言えるでしょう。その意味では、ものすごく違和感を感じたのが、岡田斗司夫氏が中田敦彦氏を批判していたことです。彼らもYouTubeでいろいろ発信されていますが、岡田氏から見たら中田氏の解説は浅いといった感じの批判がありました。人間の思想とかを深く追求する人と、易しく解説するのではそれこそコンセプトが違うだろう、と言いたかったです。まあ歴史について考えることであっても確かに岡田氏の内容は深かったし、中田氏の解説は簡単すぎると言われても確かにそうだ、と思います。しかし、それが悪いのか、と問われたらそうは思えませんでした。これらも目的が違うのだから別にいいのでは、で終わりです。

なんだか、こういった批判とか無意味に思えて仕方ないです。目的の違いとか考慮せず批判するというのは、まるでオリンピック選手が一般人の試合に出てつまらない、と言っているのと同じに感じます。彼らこそスポーツの目的が違うのに、ってことです。

とにかく、多様性が大事な時代にあって、こうしたコンセプトの違いを批判することは無意味である、ということが本日私の言いたかったことです。サイゼリヤでデートするのが嫌だったら、他のところでデートしてくれる人を探せ、って話になりますし。

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ブルーベリー博士(家庭菜園投資家)
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