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正月の悲劇を防ぐために:お餅による窒息事故の背景・予防策・応急手当と高齢者の嚥下機能評価
1. はじめに
1-1. 日本の正月と餅
日本の正月行事では、古来より欠かせない食材として餅があります。元旦から三が日にかけて、雑煮やおしるこ、あるいはおせち料理の一品として提供されるほか、鏡餅を床の間や神棚に飾る「鏡開き」など、多様な文化や習慣が存在します。焼き餅、煮餅、あんこ餅など、地域ごと・家庭ごとに異なるアレンジがあり、「正月といえば餅を食べる」というイメージを持つ方も少なくありません。
一方で、こうした風習に彩られたお正月の風物詩が、思いがけない事故の原因となることがあります。特に毎年ニュースなどで耳にするのが、「餅を喉に詰まらせた」という窒息事故です。悲しいことに、救急搬送や死亡例に至るケースも後を絶たず、高齢化が進んだ日本では特に大きな問題として取り上げられています[1,2]。
1-2. 餅による窒息事故の実態
餅を喉に詰まらせる事故は、厚生労働省や地方自治体の報告などから、毎年年末年始に集中して発生することがわかっています。特に1月1日~3日(いわゆる三が日)は餅の消費量が増えるため、その期間に多くの事故が発生しやすいと指摘されています[1,2]。また、高齢者(75歳以上)が事故を起こしやすく、加齢により嚥下機能が低下している方に多いという傾向も明らかとなっています[1,3]。
餅の粘り気や弾力は、日本人にとって“おいしさ”の要素であると同時に、噛み切りにくく、喉に詰まりやすいという危険な側面ももっています。しかも高齢者や乳幼児だけでなく、若く健康な人でも油断すると誤嚥を起こすリスクがあります。お正月を楽しく健康的に過ごすためには、まず餅がもつリスクを正しく理解し、安全に食べる工夫をすることが大切です。
本コラムでは、「なぜ餅が喉に詰まりやすいのか」「高齢者を中心とした嚥下機能の低下はどのように評価すべきか」「事故を防ぐための具体策と万が一のときの応急手当」を、最新の研究や統計データを踏まえつつわかりやすく解説します。餅に限らず、食事中の誤嚥や窒息は常に起こり得る事故であり、一歩間違えば生命にかかわる大問題です。ぜひこの機会に基礎知識をおさらいし、家族や地域で安全対策を共有していただければ幸いです。
2. 餅による窒息事故が起きる主な要因
2-1. 餅の特徴:強い粘り気と噛み切りにくさ
餅は、もち米を蒸してつき上げることで作られ、きわめて高い粘度と伸びの良さを持っています。この独特の食感は魅力的ですが、一度口に入ると簡単には噛み切れず、大きな塊のまま喉の奥へ送り込まれる場合があります。特に高齢者や子どもは咀嚼力・嚥下力ともに十分でないことが多く、塊を小さく砕いて喉を通すことが苦手です。
さらに、高齢者では唾液量の減少や歯の本数の減少、入れ歯の使用などが影響し、粘度の高い食べ物を処理しきれないことがあります。結果として、餅が気道を塞ぐ形で喉に詰まってしまうリスクが大きくなるのです[3,4]。
2-2. 高齢者におけるリスクの顕著化
日本は世界的にも類を見ない速度で高齢化が進んでおり、75歳以上の人口が増加するに伴って、餅による窒息事故のリスクも高まっています[1-2]。研究によると、餅を含む食物窒息の発生は75~84歳の層で特に高く、その多くは年明けすぐの時期に集中していると報告されています[1]。
また、嚥下機能や食事中の注意力は個人差がありますが、高齢になると筋力や感覚の低下によって「しっかり噛む」「こまめに飲み込む」といった基本動作が難しくなることが多いです。嚥下障害のある方は特に誤嚥しやすくなるため、普段の食事から「何度かむせる」「飲み込みに時間がかかる」といったサインが見られる場合には、餅だけでなく他の食材についても十分な注意が必要です[5,6,8]。
2-3. 子どもでも起こり得る事故
餅の窒息事故といえば高齢者というイメージがありますが、小さな子どもも油断は禁物です。子どもはまだ噛む力や唾液の分泌が未熟であり、また食べるときに遊んだり走り回ったりすることもあるため、注意不足から餅を喉に詰まらせやすいです。特に2~3歳くらいの幼児は口いっぱいに頬張ってしまうことも多く、誤嚥のリスクが高まります。必ず大人がそばについて、小さく切った餅を与え、しっかり咀嚼していることを見守ることが大切です。
2-4. 海外や他地域での類似報告
実は、餅だけでなく「かたい食材」「粘り気の強い食品」による窒息は、世界各国で問題視されています。例えばアメリカの一部地域では、肉類(特にステーキなどの固形肉)が最も多い窒息原因と報告されています[7]。また、入院患者や介護施設の入所者など、継続的にケアを必要とする環境でも食物窒息は無視できない頻度で起きており[10]、どのように個々の嚥下機能や口腔内状況を評価し、対策を講じるかが大きな課題となっています。
3. 餅による事故を防ぐためのポイント
3-1. 誤嚥しにくい食べ方の工夫
小さく切って食べる
餅はなるべく一口サイズにカットしましょう。特に嚥下力が低下している方や子どもには、小さく切った状態で提供することで、大きな塊をそのまま呑み込むリスクを減らせます。しっかり噛む
噛む回数を増やすと唾液が分泌され、餅が飲み込みやすい形状に変化します。早食いや会話に気を取られることなく、「よく噛んで少しずつ飲み込む」習慣を心がけましょう。水分を併用する
餅を口に含んだまま無理やり飲み込もうとすると、粘り気が強いため窒息リスクが高まります。咀嚼の途中や飲み込みの直前に少量の水やお茶を含むと、喉を通りやすくなります。急がず食べる
正月は賑やかな場面が多いため、つい焦って食べてしまう方もいるかもしれません。しかし餅のように粘度が高い食材は、急いで食べるほど誤嚥のリスクが上がります。落ち着いて、ゆっくりとしたペースで食べることが大切です。
3-2. 見守りと周囲の環境づくり
高齢者や子どもへの配慮
嚥下力が低下している高齢者や、まだ噛み方をよく知らない幼児は、餅を食べるときに特にリスクが高いです。必ず大人が近くで見守り、こまめに声かけをしながら食べさせましょう。正しい姿勢で食べる
ソファや座椅子で身体を斜めにしたまま食べると、気道に入りやすくなります。テーブルに座って背筋をまっすぐ伸ばし、正面を向いて食べるだけでも、窒息リスクを低減できます。テレビや会話への注意
食事中にテレビを見たり、盛り上がった会話に夢中になったりすると、口の中の状況に意識が向かなくなりがちです。餅を口に入れた状態で何かに気を取られることがないよう、周囲の家族や友人とともに声を掛け合うと良いでしょう。
3-3. 調理法やアレンジの工夫
柔らかくする
餅を焼くと表面が固くなり噛み切りにくい場合があります。一方、雑煮やおしるこ、汁物の餅は柔らかくなり、嚥下しやすい形状になります。ただし、やわらかくなった分だけ粘度が高まりやすいこともあるため、やはり食べるときの注意は必要です。薄くスライスする
市販の餅でも、あらかじめ薄く切って販売されているものがあります。通常の餅よりも口に入る量が少なく、噛み切りやすくなるので、高齢者や子どもには特にオススメです。代替食品の活用
どうしても餅そのものが飲み込みにくい場合は、餅風のソフト食品やゼリー状の嚥下補助食品を利用する方法もあります[9]。また、餅をペースト状にしてから調理するなど、高齢者施設などで取り入れられている工夫も有効です。これにより、餅独特の風味を楽しみつつ、安全性を高められます。
4. 高齢者の嚥下機能評価とリスク管理
4-1. なぜ嚥下機能を評価する必要があるのか
高齢者は加齢によって口腔周辺の筋力・感覚が低下し、唾液量も減っていきます[3,4,8]。さらに、脳血管障害やパーキンソン病といった神経系疾患を持つ方、あるいは長期の入院生活を送っている方は、嚥下障害を起こしやすい傾向があります[7,10]。こうした状況で餅をはじめとする粘度の高い食品を食べると、窒息につながるリスクが高まるのです。
本人や家族が「最近、むせることが増えた」「飲み込むのに時間がかかる」などの異変に気づいたら、早めに嚥下機能の評価を行い、必要に応じて食事の形態を見直すことが望まれます。嚥下障害を放置すると、誤嚥性肺炎のリスクも高まり、健康寿命を短くしてしまう可能性があります[4,5,8]。
4-2. 在宅で行える簡易的な嚥下機能評価
観察
食事をしているときに「しょっちゅう咳き込む」「食後に喉がゴロゴロする」「声がかすれる」といったサインがないか確認しましょう[5]。食後に口の中に食べ物の残りかすがある場合も、咀嚼や嚥下が十分に行われていない可能性があります。水飲みテスト
少量の水を飲んでもらい、むせる・咳き込むなどの症状が出るかどうかをチェックします。安全のため、最初は極少量から始め、様子を見ながら量を増やします[5,9]。専門家への相談
自宅での観察や簡単なテストで心配な兆候があれば、早めに専門医や言語聴覚士(ST)に相談することを推奨します。詳細な嚥下内視鏡検査や嚥下造影検査など、専門的な検査で原因を突き止めることができます。必要に応じて、嚥下リハビリテーションや口腔ケアの強化を行い、安全に食事を楽しめるよう支援してもらうことが重要です[4,8-9]。
4-3. リスク評価の重要性
研究によると、口腔内環境や嚥下機能が低いと、死亡リスクが上がるという報告もなされています[4,5]。また、嚥下機能が低下している高齢者は食べ物だけでなく、水分でも誤嚥を起こすことがあります[8]。在宅で暮らす高齢者の場合、家族や訪問介護スタッフなどが定期的に状態をチェックし、早期に異変に気づいて必要な対策を取ることが重要です。
加えて、高齢者本人の「食べたい」という意欲や食文化の尊重も大切な要素です[3]。あまりに厳格な食事制限をすると、QOL(生活の質)が下がる懸念があります。したがって、嚥下機能を総合的に評価し、可能な範囲で餅などの伝統的な食事を楽しむための工夫を取り入れることが理想といえます。
5. 万が一のときの応急手当
5-1. 誤嚥(ごえん)したときの最初の対応
咳き込めるなら咳を続けさせる
餅が気道を完全にふさいでいない場合、咳き込みを促すことで自然に餅の塊を吐き出せる可能性があります。周囲の人は慌てず、無理に背中を叩いたり、水を飲ませたりしないように注意しつつ、本人の咳き込みをサポートしましょう。
声が出せない・呼吸ができない場合
本格的に気道が塞がれ、息ができない・声が出ない状態になっている場合はすぐに応急処置が必要です。呼吸が途絶えると数分で脳への酸素供給が絶たれ、生命の危機に陥ります。
5-2. ハイムリック法(腹部突き上げ法)と背部叩打法
ハイムリック法
詰まらせた人の後ろに回り、両腕を腰のあたりで回す。
片手で握りこぶしを作り、へそと胸骨の間(みぞおちの少し上)に当てる。
もう片方の手でこぶしを支え、上方向(斜め後ろ上方)に素早く突き上げる。
肺の中の空気を使い、喉に詰まった餅を押し出すイメージで行う。
高齢者や妊婦、小さな子どもには力加減が必要。
背部叩打法
本人が前かがみになれる場合、肩甲骨の間を強めに叩いて餅を押し出す。
叩く際は手の付け根で勢いよく数回叩き、喉に詰まった異物を動かす。
顔を下に向けさせると、吐き出しやすくなる。
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5-3. 救急車を呼ぶタイミングと救命講習の重要性
応急手当をしても改善しない場合
何度か腹部突き上げ法や背部叩打法を試しても呼吸が回復しない場合は、すぐに救急車を要請してください[2]。窒息時間が長引くほど、脳へのダメージが深刻化します。
救命講習とAEDだけでなく「異物除去」の訓練も
心肺蘇生法(CPR)やAEDの使い方を学ぶ救命講習は普及が進んでいますが、窒息時の異物除去法も同時に習得することが重要です[2,9]。特に高齢者や子どもを日常的に介助する立場の人は、万が一の事態を想定して手技を身につけておくことで、大切な命を救える可能性が高まります。
6. まとめと今後の展望
6-1. 正月の餅を安心して楽しむために
餅は日本文化と深く結びついた食材であり、正月に欠かせない存在です。一方で、毎年ニュースになるほど重大な窒息事故の原因ともなり得るため、「楽しい団らんの中で、餅を安全に食べるにはどうすればいいか」をしっかり考える必要があります。
小さく切る・よく噛む・水分とともに飲み込む
姿勢を正し、急がず食べる
周囲がしっかり見守り、声をかけ合う
柔らかい調理法や薄切り、嚥下補助食品の利用
こうした工夫を取り入れるだけでも、餅を詰まらせるリスクは大きく下がるでしょう。
6-2. 高齢者の嚥下機能と継続的なケア
特に高齢者(75歳以上)は加齢や基礎疾患などにより、嚥下機能が低下している可能性が高いです[1,2,3]。在宅や施設で生活する高齢者の食事については、以下の点を重視することが望まれます。
定期的な嚥下機能のチェック
水飲みテストや専門家による評価を行い、リスクを早期発見する。適切な食形態の選択
ペースト食や刻み食など、その人の嚥下力に合った形態を選ぶ。口腔ケアの徹底
歯や入れ歯の清掃はもちろん、口腔粘膜の乾燥にも注意し、唾液分泌を促す。リハビリの実施
嚥下訓練や口腔周囲筋のトレーニングを行い、機能維持・改善を図る。
誤嚥性肺炎や窒息事故を防ぐためには、高齢者本人や家族、医療・介護従事者が連携し、総合的な取り組みを進めることが不可欠です。
6-3. 地域・社会としての取り組み
正月の餅による窒息事故は、単なる「個人の不注意」として片づけるのではなく、地域や社会が一丸となって防いでいく必要があります。各自治体や高齢者向け施設では、正月前に餅の安全な食べ方を啓発するセミナーや講習会を開催しているところもあります。また、地域包括支援センターなどでも、嚥下体操や口腔ケアの大切さを広める取り組みが行われています。家族や近所の人が注意喚起できる体制を整えることで、悲しい事故を未然に防ぐ可能性は大いに高まるでしょう。
7. 結びにかえて
お正月に餅を食べることは日本人の大切な伝統行事の一つです。その喜ばしい文化を途絶えさせるのではなく、安全に楽しむための知識と技術を身につけることが重要です。高齢者をはじめ、誰もがいつ事故の当事者や目撃者になるかわかりません。だからこそ、次のポイントを思い出していただきたいのです。
餅が喉に詰まりやすい理由を理解する
粘度の高さや噛み切りにくさがリスクとなる。食べ方や調理を工夫し、見守りを徹底する
小さく切る・しっかり噛む・急がず食べる・周囲の声かけ。高齢者の嚥下機能を評価し、必要に応じて専門家に相談する
水飲みテストや観察を行い、嚥下障害のサインを見逃さない。万が一のときには迅速に応急手当を行う
ハイムリック法や背部叩打法の正しい手技を身につけ、長引く場合は救急要請。
「備えあれば憂いなし」という言葉があるように、知識と準備が大切な命を救う鍵となります。ぜひこのコラムの内容を家族や友人、地域の方々と共有し、正月だけでなく日頃から誤嚥や窒息の危険を減らす取り組みを行ってみてください。新しい年を、笑顔と健康で迎えられるよう、一人ひとりが意識を高め、助け合う社会を築いていきましょう。
引用文献
[1] Taniguchi, Y., et al. “Epidemiology of Food Choking Deaths in Japan: Time Trends and Regional Variations.” Journal of Epidemiology, 2020.
[2] Kiyohara, K., et al. “Epidemiology of Out-of-Hospital Cardiac Arrest Due to Suffocation Focusing on Suffocation Due to Japanese Rice Cake: A Population-Based Observational Study From the Utstein Osaka Project.” Journal of Epidemiology, 2017.
[3] Cichero, J. “Age-Related Changes to Eating and Swallowing Impact Frailty: Aspiration, Choking Risk, Modified Food Texture and Autonomy of Choice.” Geriatrics, 2018.
[4] Hägglund, P., et al. “Older People with Swallowing Dysfunction and Poor Oral Health Are at Greater Risk of Early Death.” Community Dentistry and Oral Epidemiology, 2019.
[5] Iinuma, T., et al. “Perceived Swallowing Problems and Mortality Risk in Very Elderly People ≥85 Years Old: Results of the Tokyo Oldest Old Survey on Total Health Study.” Gerodontology, 2017.
[6] Chaleekrua, S., et al. “Swallowing Problems among Community-Dwelling Elderly in Northeastern Thailand.” Journal of Primary Care & Community Health, 2021.
[7] Dolkas, L., et al. “Deaths Associated with Choking in San Diego County.” Journal of Forensic Sciences, 2007.
[8] Iwai, K., et al. “Predictive Factors Associated with Future Decline in Swallowing Function among Japanese Older People Aged ≥ 75 Years.” International Journal of Environmental Research and Public Health, 2024.
[9] Fukada, J., et al. “Development of Dysphagia Risk Assessment Scale for Elderly Living at Home.” 2013.
[10] Kukielka, E. “Accidental Choking among Hospitalized Patients in Pennsylvania: A 15-Year Retrospective Review.” 2020.
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