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機能性胃腸障害の――「見えない病」に光を当てる

健康診断や精密検査で「特に異常はありません」と告げられる場面は、普通なら安堵の瞬間でしょう。しかし、もしあなたが胃の重さや腸の不快感に長い間悩まされていたとしたらどうでしょうか?「異常なし」と言われながら、なぜこんなにも不快な症状が続くのか――その問いに直面する方は、決して少なくありません。
本稿では機能性胃腸障害という「見えない病」について医学文献を引用しながら解説します。

 明確な病変が見つかる疾患なら、「ここに潰瘍がある」「ポリープがあります」と説明できます。けれど、機能性胃腸障害と呼ばれる状態では、目に見える問題はほとんど見つからないのです。胃や腸に器質的な損傷がなくても、腹痛や膨満感、胃もたれや不規則な便通が、いつまでもあなたを悩ませます。周囲から「気のせいじゃないの?」なんて言われたり、医師から「何も異常ないから大丈夫」と言われても、あなたはまだ、確かな不調を感じている。このズレは、理解されない孤独や戸惑いを生んでしまいますよね。

機能性胃腸障害(Functional Gastrointestinal Disorders: FGIDs)と呼ばれる状態では、内視鏡検査やCT、血液検査などの一般的な検査で明確な器質的異常がほとんど見つかりません[2][4]。たとえば「過敏性腸症候群(Irritable Bowel Syndrome: IBS)」や「機能性ディスペプシア(Functional Dyspepsia: FD)」などがこれに該当します[1][3][7]。これらの疾患は、内臓痛覚過敏(visceral hypersensitivity)や腸管運動機能異常(motility disorder)、そして腸内細菌叢バランスの乱れなど、目に見えにくい生理学的変化が背景に潜んでいると考えられています[4][8]。FGIDsは決して珍しいものではなく、ある研究によれば、ある時点で人口の約40%が何らかのFGIDに悩まされていると推計されています[4]。

 「なぜ異常がないのに苦しいのか?」――その謎を解く鍵として注目されるのが「脳-腸相関(gut-brain axis)」です。脳と腸は相互にコミュニケーションを取り合い、ストレスや緊張などの心理的要因は腸の運動や痛みの知覚に大きな影響を及ぼします[4][6][8]。心理的要因(不安や抑うつなど)もFGIDsに関与しており[4][6]、これらは必ずしも「気のせい」や「ストレスのせい」と一蹴されるべきものではなく、腸内環境や神経伝達物質レベルで実際に生理学的変化を引き起こしている可能性があります[7][8]。腸内細菌叢(マイクロバイオーム)の微妙な乱れも、痛みや不快感を誘発し、または持続させる一因となり得ます[8]。

 こうしたFGIDsの診断には、明確な器質的異常を前提としない「ローマ基準(Rome Criteria)」などの症状ベースの基準が用いられています[3][4]。このアプローチは、不要な検査を避ける一方で、患者が「本当に病気なのか」という戸惑いを感じやすい側面もあります[3][4]。異常が見えないからといって、症状が空虚なわけではありません。医学的画像や血液検査で捉えられなくても、あなたが感じている痛みや不快感は確かに存在しているのです[1][2][6]。

 では、この見えない不調にどう対処すればよいのでしょうか。現在の医療・研究では、生理学的・心理学的・社会的要因を包括的にとらえる「バイオサイコソーシャルモデル(biopsychosocial model)」が有効とされています[6][7]。具体的には、食生活・生活習慣の改善、ストレスマネジメント、軽い運動などの取り組みが有用です[3][7]。また、腸内環境を整えたり、腸の感受性や運動性を調節する薬剤の使用が症状緩和に役立つ場合もあります[7]。さらに、認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy)などの心理的アプローチも、患者の生活の質改善につながることが報告されています[3][7]。

 近年、脳科学や腸内細菌叢に関する研究が進むことで、これまで謎とされてきた領域に光が当たり始めています[8][10]。将来的には、より正確な診断法や、個々の患者に合わせたオーダーメイドの治療戦略が期待されています。あなたが抱える「見えない痛み」は、決して虚構ではありません。理解しようとする姿勢、共感し合う心、そして科学的知見の積み重ねによって、見えなかった不調が少しずつ形を持ち始めています。あなたの存在は、「見えない病」のメカニズム解明と新たな治療法確立への探究を後押ししているのです。

 「なぜ苦しいのか」を問い続けることで、次世代の人々が同じ苦しみに迷い込まないような新たな道が切り開かれるかもしれません。FGIDsに苦しむ人々に光を当てる研究は、まさに今、世界中で進化し続けているのです。


引用文献
[1] Talley, N. et al. Functional gastroduodenal disorders. Gut. 1999.
[2] Hyams, J. Functional gastrointestinal disorders. Current opinion in pediatrics. 1999.
[3] Drossman, D. Diagnosing and Treating Patients with Refractory Functional Gastrointestinal Disorders. Annals of Internal Medicine. 1995.
[4] Black, C.J. et al. Functional gastrointestinal disorders: advances in understanding and management. The Lancet. 2020.
[5] Romano, C. et al. Functional Dyspepsia: An Enigma in a Conundrum. Journal of Pediatric Gastroenterology and Nutrition. 2016.
[6] BMJ (British Medical Journal). Abdominal pain and functional gastrointestinal disorders. 2002.
[7] Bharucha, A.E. et al. Common Functional Gastroenterological Disorders Associated With Abdominal Pain. Mayo Clinic proceedings. 2016.
[8] Burns, G. et al. Physiological mechanisms of unexplained (functional) gastrointestinal disorders. The Journal of Physiology. 2021.
[9] Di Lorenzo, C. et al. Chronic Abdominal Pain In Children: a Technical Report of the American Academy of Pediatrics and the North American Society for Pediatric Gastroenterology, Hepatology and Nutrition. Journal of Pediatric Gastroenterology and Nutrition. 2005.
[10] Liu, R.X. et al. Traditional Chinese medicine for functional gastrointestinal disorders and inflammatory bowel disease: narrative review of the evidence and potential mechanisms involving the brain-gut axis. Frontiers in Pharmacology. 2024.

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