運を考える運気の日 ※閲覧注意
今回は運とはなにか?というお話です。
若干小難しいことを語っているので閲覧にご注意下さい。
※私の中でちゃんと答えが出ていませんのでふわふわとした内容になります。
※もし専門の方が見たら何言ってんだこの青二才めが!と思われる考察の内容なのでご注意ください。
※算命学の専門用語が沢山出てくるのに詳しい説明してないです。
※占術の参考にしないでください。
算命学を勉強をしていると
運、運勢、運気という単語が沢山出てきます。
運って結局なんなのでしょうね。
今までの私の認識では運気がいいと言われると
テンション上がる出来事が起こり
運気が悪いと言われると思わぬ不運に見舞われるイメージがあります。
しかし算命学の思想を勉強し、
そういうことではないのだなと思いました。
上住節子さん著作の『算命占法』より、
算命学の原点は老荘思想と書かれています。
老荘思想はすごくざっくり説明すると
宇宙や自然、生命体の大きな創作活動の流れ=道(タオ)に沿って
根本的な姿で自然に生きましょうという教義です。
人間の根本的な姿とは、算命学から導き出せる各々の宿命です。
自然な姿で生きるというのは、
命式に持っている星が陽転している状態なのかな、と思っています。
そして運と運気は、
人間社会としての道(タオ)にどのくらい沿っているのか
天中殺は道(タオ)のサイクルだと考察しています。
※勉強中なので不確かです。
例えば貫索星であれば個人の守備本能です。
貫索星が陽転して自己の確立や自分の力を使って仲間を守るなどの
人間社会で活かせる状態になれば
道(タオ)に沿い、意識の底で『根本的な姿である』と満足が生まれ
運がいいと思えるのではないでしょうか。
貫索星が隠転して我儘や話を聞き入れない頑固さを発揮し
人間社会で活かせない状態になれば
たとえ満たされていると思ってもそれは道(タオ)に沿わず、
意識の底で歪みが生じて、現実世界で弊害が起き
運が悪いと思うのではないでしょうか。
先述しましたが道(タオ)は
宇宙から自然、生命体の大きな創作活動です。
道(タオ)には各々サイクルがありよく例として表されるのは
木と季節の流れです。
木は春に芽を出し、夏に成長し、秋に収穫を迎え、冬に沈黙する。
この自然な流れが木の根本的な姿です。
人間だとこの道(タオ)の自然な流れが天中殺にあたり、
運の強弱=運勢だと考察します。
私の考えだと宿命に天中殺を持つ方は
『自然な流れ』がないことが自然であり、
内側に秘めたパワーを他人の流れで押されることで
発揮されるのではないかなと思いました。
そのため陰徳を積んだり、他人に流される生き方が向いているのかなと思います。
とはいえここまで書いたのですが
運はああだ、こうだと決めつけるのも
何だかズレているなと思いました。
運って結局なんなのでしょうね。