「ただ、しなやかでありたい。---resilience---」心に浮かんできた言葉(020)
こんにちは「てると大吉」です。
垣根に小さな花が一輪咲いていました。調べてみるとテイカカズラといい、藤原定家と式子内親王の伝説にゆかりの花でした。大吉との散歩もちょっとした学びにつながります。
さて、こどものころ、よく小さな傷をつくって帰ってました。帰宅して祖母に傷の手当をしてもらいます。「いつ治る?」「明日は治る?」という僕に、祖母はいつも「心配しなくてもちゃんと治るよ。」といってくれていたことを思い出します。
レジリエンス(resilience)という用語を、会議や研修で見聞きするようになったのはいつ頃からでしょうか。医療・教育、そしてビジネスでも用いられ、「回復力」「復元力」「耐久力」など意味を持つこの言葉は、大きな災害の後から特に使われるようになった気がします。
ある時代に使われる言葉には、使われる理由があるのでしょう。たとえば、コロナ禍では「ソーシャルディスタンス」「オンライン」など、人との接触を避けざるをえない状況をふまえた言葉が使われ、少しさかのぼって、バブル期には「24時間タタカエマスカ」と言われ、バブルが崩壊した後は「癒やし」という言葉が流行しました。
そうだとすると、現代は私たちが「なんらかの傷を受けざるを得ない時代」なのかもしれません。だから「レジリエンス」について語られ、さまざまな取り組みがなされるのでしょうか。
僕たちが経験することは楽しいこともあれば苦しいこともあります。世界には紛争・災害など心をいためることが今もあります。僕はそこに吹く風を感じて生きたい、少なくとも知らないふりはしたくないと、やはり思います。時に安穏とした暮らしに流れそうになるとしても、その気持ちは持っています。
そう想いをめぐらすとき、僕は「ただ、しなやかでありたい」と素直に思い、社会もそうであってほしいと思います。
吹きすさぶ風雨の中でも、しなりながら時を過ごし、後にすっと立ち上がる竹のようにしなやかでありたい。傷つくことはあっても、そのままではないのが人間なのではないかと。社会で受けた心の傷も、そのことがあったからこそ見えたことがあり、強くなった自分がいるはずなのです。
時に辛い気持ちにもなります。そんなときは暮らしの中のあたりまえのことに集中し、無心になる時間を持つことにしています。そして自分をコントロールできるのは自分しかいないことを思い出すのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。noteの街のみなさまに感謝です。どうぞ、しなやかな一週間を。
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