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「いつもの散歩道を逆向きで歩いてみると・・・。」心に浮かんできた言葉(030)

こんにちは「てると大吉」です。久しぶりに昼間の散歩に出かけ、木漏れびのもとで一休み。街中をさけた某森林公園。風は心地よく、季節がゆっくりと進んでいることにほっとしました。

さて、*『高橋源一郎の飛ぶ教室』のなかに、「いつもの道を逆向きに歩く」というお話があります。そこにはいつものあたりまえの風景が、反対向きで歩くことでまったく違って見えた体験が記されています。

まったく同じものなのに、少し角度を変えただけで、見知らぬものに変身する。もちろん、向こうが勝手に変身したわけではありません。結局、ぼくはもう何年も、その景色をきちんと見てはいなかった。ただいつもの風景だなと確認していただけだったのです。 211頁

*『高橋源一郎の飛ぶ教室ーはじまりのことば』著者 高橋源一郎 
発行  株式会社 岩波書店 2022.11.18 岩波新書(新赤版)

たぶん僕も「これはこういうもの」とか「この人はこういう人」となんとなく思って暮らしています。無意識だと思うけど・・・。それは自分の経験によるもので否定する必要はないはず。しかし、それが必ず正しい見方だとも言えないのです。

ならば、この「あたりまえ」を反対側からみるのもいいのでは。そこにはきっと、僕の思い込みがあるのだろうから。

と、考えていたら、ある恩師のトマトの話を思い出しました。

それは恩師が奥様と暮らし始めて驚かれたこと。新婚だったのですね。
「なんと、彼女はトマトを煮るのですよー、トマトは生で、サラダで食べるものだと思っていたものですからー」と、楽しそうに話してくださった。
今ならチキンのトマト煮とかトマトソースとか、あたりまえのことだが、恩師がご結婚された頃は、まだそういうあたりまえがなかったのですね。

文化や時代が違えば、あたりまえが、常識が違う。企業風土とか校風などという言葉があるように、ある組織の常識は別の組織の非常識だったりする。

冒頭の高橋源一郎氏の言葉は、僕たちが日々の暮らしの中で、いつのまにかあたりまえになっていることが、実は絶対ではないのだと教えてくれる。
ちょっと大袈裟だが、そこに気づくかどうかが、柔軟な世界観を持つことができるかどうかにつながるのだろう。

ダイバーシティとか、インクルージョンとか、報道やCMでもよく耳にする言葉も、「知ってるよ」と思い込んで受け止めていると、表面的なものになりがちかなぁと思う。自戒をこめて。

さて、今日は配偶者のことを、ちょっと反対向きから見たらどうだろう。そこには新たな発見があるのかもしれない。ちょっと怖い気もするが・・・。

朝夕の風に秋を感じるこの頃。今になって夏の疲れが・・・などということはありませんか。寒暖差にもお気をつけください。
今週も読んでいただきありがとうございます。どうぞ良い一週間をお過ごしください。ー2024.10.7ー

ミモザのはずですが・・・。さて?
休憩中の大吉。よく見ると、よだれが落ちそう・・・(笑)

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