「流されていくアイデンティティー?ならば白雲自在のごとく・・・」心に浮かんできた言葉(021)
こんにちは「てると大吉」です。
散歩の途中、空を見上げて、「あっ、ハートだ」。スマホを取り出し、大吉をおとなしくさせているうちに、ごらんのようになりました。
残念---。いや、流れゆくからこそ尊いのかも・・・。
自分探しの記事を書いたあと「アイデンティティー」という言葉が気になっています。「自分が自分であること。それを肯定的に理解していること。」と理解していますが、ここではシンプルに僕が僕であることの「よりどころ」という言葉でとらえておきます。
(心理学では人間の成長を段階的に理解しようとする発達理論の「青年期」に獲得すべき課題とされていたはずです。だから気になったのですね。)
さて、もう若者ではない僕のアイデンティティーの現在地はどこでだろう。
そう自問するとき、それはひとつではないし、変わるものだろうと答える自分がいます。変わるものだと意識することで僕のアイデンティティは更新されるのです。
時代はどんどん変化しています。10年前の常識が今は非常識になっている。変化が速く複雑な時代では、誰もがアイデンティティーを持つことも、持ち続けることも難しいのかもしれません。若者だけでなく誰もが流れ、流されていくアイデンティティーをどこかで感じているのではないでしょうか。
それでも、しっかりとした自分のよりどころを持ちたい気持ちはあります。不易流行の言葉のように、変わるものも変わらないものも元は一つであるならば、流れにあらがうのではなく、それはあるものとして受け止め、ゆずれないところにはこだわってみる・・・。そんな生き方ができたら・・・。
風に流される雲。流れにさからうことなく、しかし、自分を失うことなく在りたい。白雲自在のごとき心にあこがれる僕です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
noteの街のみなさまの今週が清々しい日々でありますように。
※心理学や社会学等、専門的な分野でのアイデンティティーに係る考察は、「関心あれども手に負えず」と深追いできませんでした。ご容赦を。