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「子供たちの未来を壊しているのは誰?僕たち大人?」心に浮かんできた言葉(024)#未来のためにできること

こんにちは「てると大吉」です。
今日は「子供たちの未来のためにできること」について考えました。

先日、バングラデシュで大規模な反政府デモが起きた。二十年来の知人が代表の国際協力NGOが教育活動を支援している国だ。デモの影響で縫製工場が稼働停止したとも知る。今朝、僕が着たシャツも彼の国で生産されているようだが、その実感はない。日々の快適な暮らしの背後に、僕が実感できていない営みがある。世界はつながっていると言いながら、その実感が持てない。

そんな僕にもに子供たちの未来のためにできることはあるだろうか。

まずは子供たちの未来を「壊すものは何か」と逆から考えてみる。
戦争・食糧問題・環境破壊・虐待・・・。これが世界の現状かと苦しくなる。全部、僕たち大人が今やってることだ。

大人のエゴがぶつかり合い、対話が否定される社会。これこそが子供たちの未来を壊しているのではないだろうか。

一人ひとりが尊重され、いきいきと活動できる社会こそが未来の社会であってほしい。だが、どうやってそんな社会をつくればいいのか。そもそも一市民である僕には自分が社会をつくっているという実感はあまりない。

そんなとき別の知人が上司のことを愚痴った。この4月からの新任上司が勝手にいろいろなルールを変更してくるという。自分たちの話は聞いてもらえず、数ヶ月で職場は重苦しい場所になったと。

彼の話を聞きながら、これだと思った。もちろん組織にはルールが必要だ。しかし、誰かが自分の正義と権威で決めた理不尽なルールのもとでは、一人ひとりがその能力を発揮して、いきいきと働くことはできない。
彼の国のことをよく知らずに安易に状況を重ねられないが、混乱のなかの子供たちが心配だ。変化の後に子供たちの明るい未来のあることを祈りたい。

今一度考えてみよう。僕は理不尽をのみこんではいないか、誰かに理不尽をおしつけてはいないかと。もし気づくことがあったなら、どうにかして声をあげられないだろうか。それができなくても仲間とはつながっていたい。

一市民・組織の一人として、目の前にある理不尽と向き合い、対話を希求すること。子供たちの明るい未来のために、大人である僕たちにできることの第一歩はこれではないだろうか。

これも自分の正義にすぎないのではと自問しながら書きました。
読んでいただきありがとうございます。まだまだ猛暑。どうぞご自愛を。


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