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生きていると生きる【2024.01.22】

時間が贅沢にある。

何かに追われて1秒も無駄にしたくないような状況とはまったく違う。その時になったら「あぁ、あの時こうしていれば」とかあるのだから、今のうちにいい感じに使え、となるのだがそうもいかない。

「なぜ生きるのか」ということを考えてしまうから。そんな大きなものの前では、スキルアップがとか予習がとか何だとかいうのは後になる。

自分も分かっている。
この「なぜ生きるのか」ということに答えはなくて、生きることに対して意味なんてない。生きることに意味を与えるのは自分であること。それに出会うために生きるとも言えること。

本当に自分がそれを知りたいのかと言われれば微妙。実際、今こうして時間があるから考えられるけれど、学期期間とか何か予定がある時などは対して頭に浮かばないし。目の前にやるべきことがあればそれに取り組む。
きっとそうだ。忙しい皆さん、絶えず回る世界の中でそんなことを考える時間なんて無いんだろう。一体どれだけの人がこんなことを考えるのか。いや、考えない方が幸せかもしれない。

でも、気になるということは自分はそれを知りたいのかもしれない。それが忘れられがちな世の中であるからこそ、自分は考えたいし知りたいのかもしれない。

そんなこと考えているからかはよく分からないけれど、たまに自分がわからなくなる。今自分は大学生をしていて授業を受けていてとか。お客さんに満足してもらうために笑顔を作ってとか。
自分がそこで生きているというよりかは、社会的役割をしている自分という感覚で。時々どこか遠い場所に行きたい気分になる。雲の上なんかに住めたらもう最高。まあ、逃避やろと言われれば返す言葉はないんだけれど。

だから強く生きている人が羨ましく見える時がある。もちろんその人も見えない部分に「お前には分からない」と思っているようなことがあると思うけど。この世界に適合している人たちに嫉妬してしまう。明日を生きることに疑問を抱かなくていいことは適合と言えると思う。

適合の例でいえば社会的な地位とかがそれだと思う。
それに関係して優秀な人材とか別になりたくない。私は機械じゃない。人材って言葉が嫌いだ。
数値で測られ、統一的形式的な能力の測り方で判断されたくない。

成長したい。
そういうのをよく聞くけれど、それは何のためにどうしてしたいんだろうと自分は今感じる。
多くは産業的価値のためなのではないかと見える。(もちろんそれがちゃんと良いせかいに繋がるものも存在しているが、単なる利益を追うものもあるだろうし、どのくらい再分配に繋がっているかという部分でどちらかというと微妙なのでは?の意)

そもそも成長ってとかも考えてしまう。

(面白い記事だったので)


薄々、自分にはスキル・数値的な能力などそういうものが自分の質(たち)とやらに合わないのではないかという気もしている。
むしろそういう計算とかコントロールできる感覚を破壊していくような。(勢い良い火の星座でして)

そんなことよりもっと1人の人と人として向き合おうよ。〇〇(肩書き)の〜です。〇〇(肩書き)の〜です、年収、性別、国籍、見た目とかじゃなくさ。

今はみんなが大まかに専門性を持ち、お互い支え合って、欠くことができないみたいな感じだけど、みんなにとって本当に大事なことがあったりもするでしょう。苦しみを生む構造こそ真っ先に手をつけるべき癌細胞じゃないのですか。

なんて理想を書くけれども。
手元には無力感ばかりなんです。口だけ。、
もういっそそんな理想置いて自分の幸せだけ求めてグッバイしたい気持ちもあるけれどそれじゃあ何も変わらないという考えがトゲ。
まだ頑張ってみるというか草の根は枯れきってはいない。

でももし、もうこんな世界とは一緒にいられないと思ったら

もしも明日世界が終わるとして。
あぁ、そうかと受け入れられる気もする。

人ってよく分からない。
こんなことを考えていても、明日楽しいことが起こればそんなこと頭から飛んでいって夢中になって楽しむのだ。だから生きていけるのかもしれないけれど。

こんな自分も今生きている。
でもそれはただの状態で、何か意思を含むような「生きる」が大切なのかもしれない。
beではなくdoとしての。


「あなたには私がどんな人間に見えている?」

たとえ鏡に問いかけたとて、ガタガタ今にも外れそうな換気扇の音がやけに大きく聞こえるだけであろう。

#留学生のひとりごと日記

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Eito
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