履き違え
あなたのままでいい。
ありのままでいられる場所。
これは僕が大切だと信じているもの。
理想ともいえるのかな。
僕自身、自分を押し込めていた時間があった。
心の声に蓋をしてたというべきか。
そんな僕はある時、自分を受け入れてもらえた。
そんな場所に出会った。
だから嬉しかった。
そういう優しい場所は必要だと思うし、これからもこの世界に存在していてほしいと思う。
そしてこのような場を必要とする「あなた」に届いてほしいと願う。
そしてここからが本題だ。
僕は「ありのまま」の意味を履き違えていたのではないかと思った。
もっと言えば夢見心地気分から目覚めるべき時が来たのではないかと。
確かに「自身がありのままでいられる」ことは素晴らしく良いことだと思う。しかし、「そのままでいいわけではない」のではないか。
そう思い始めた。
つまり、「ありのまま」という言葉に甘えて止まってしまってはいけないということだ。努力を怠っていいというわけではない。
むしろ今自分に必要なのは甘えを捨てるような努力。
自分を限界まで追い込む姿勢。
耳が痛いようなことこそ今僕が聞くべきようなことであると感じる。
甘言蜜語や美辞麗句ではない。
好きでそこに向かうかと言われれば好みはしない。
むしろ僕が望むのは脱成長・競争みたいなどちらかと言えばゆるーい方向の世界。
でも薄々感じている。
今何もしなかったら自分だけ取り残されるだけ。負け戦。
だから、しばらくはゲームに参加しなくてはならないと思う。
誰が能力があり、富という名の権力があるかという世界のゲーム。
そこで力を持ってこそのみ僕が望むような大きな変化が訪れるのではないか、その可能性が高まるのではないかと感じる。
でもどこに自分は向かったらいいのだろう?
それすらもだ。それすらも僕の努力が足りない。
それを本気で見つけようとする努力が。
だから、#私の私による私のためのやることリストで
自分に都合のいい解釈をやめる習慣をつける
志をもって働いている人についての記事を読みまくり働くことに関するマイナスの印象の払拭を図ると同時に自分の心湧くことを探求する
自己分析を自分理解のために行う
はひとまず取り組もうと思う。
まだ自分は何者でもないと悩んだこともあったが何者かに突然なることなんてない。またその境目は「価値」を提供しているかどうかが一つの指標になると気が付いた。
どうやら社会で生きていくには何らかの価値を生み出す必要がある。
僕はどんな価値を生み出せるのか。
それにはまず一歩から。
なんてことはみんな分かっているんだよ。
それを実際にやるかやらないか。できるかできないか。
僕は問われている―
もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!